街なかのAEDの詐欺的説明。救命と言うが、重い後遺症が残り多額の費用がかかる事例が多い。本来はBLS(Basic Life Support)とか心肺蘇生(CPR)と言い、後遺症なく救える可能性のために、意識呼吸確認と直ちに心臓マッサージが最も重要で、その普及向上が先決だ。
日本の医療は、追い求めるものがずれている。元から変えないと崩壊する。
Ⅰ.
1)「頼っていくところで、傷つけられて」病院のことだ。検索で見つけて同感したので載せた。経験しないとわからない。状況を伝えよう。
病院をあまり知らない人に言ったら、医師と患者とのコミュニケーションの問題や説明不足だと矮小化された。若手男性はまだ病院に係る機会が少なく、ニュースで医師の働き方改革ばかりを目にするのか、医師側に理解を示す方が多かった。密室性があって、患者と医療従事者との2人切りになることが多く、医療従事者でもお互いがどうやっているか知らないそうだ。女性は妊娠出産や婦人科の病気で、若い内から病院に係る機会があるせいか、冒頭の経験も早くからするが、男性は少し年を取ってから家族や自分が経験して初めてわかるようだ。お年寄りはあまり言わない。病院を批判すること自体を嫌う人がいる。医療側の状況ばかりが報じられる。患者側は言葉で表現することが難しい。
2)昔から「医は算術、モノ扱い、医療過誤で手術は成功しましたが患者は死にましたという何でそう言うのかわからない意識のずれ」が、新聞に書かれて来た。
医の算術は、関係者の努力により、保険診療や薬価や医薬分業の改革等で少し変わったが、今は医療費そのもの以外でやっている。医療費明細書と調剤明細書が、用語の意味も計算式も不明で字も小さく受付の説明は期待できず、どうやったのかわからない項目にもお金を払う。入院時は、健康保険の抑制が及ばない生活部分(病衣や自分自身では使わない(業務として使う)ものまで含まれるタオルといったアメニティ代の強制、差額ベッド代(特別療養環境室料)と悟らせずに同意へ誘導する説明、おむつ交換する人の人件費まで含んでいそうな高額かつ使用枚数不明なおむつ代)が、明細不明瞭な請求書を受け取り、検討する時間も説明も資料もなくその場で支払うという方法で、同意したのでしょと、払うまで延々と言われる。強い嫌悪。
ベルトコンベアー方式でモノ扱いされても、病院の人の業務の流れに逆らう患者ははじかれ、言っても聞き届けられないから言うだけ無駄で傷つけられるから口をつぐむようになっている。
この洗練されていない支払い方法や、業務の流れが出来ていない部分については、医師は経営管理が得意分野ではないだろうに、医療分野以外からの関与を、会社等は営利目的だから悪で、医療はそういうものではないという固い意識で受け入れて来なくて、世の中の仕組みをあまり教わっていないのに院長や上長をやり、上層部と下の者との関係性ということもあろう。
医療過誤については、医療ミスを犯さない対策はするけれど、根本からは変えられなかった。
3)患者の不満が30年ほど前に噴出し、少し変わったが、患者本位でない本質は変わらない。その上にますます制度が重ねられていった。ますます技術が発達したと聞く。
「特定の職業全体を批判することは難しい」とその内新聞に書いてあった。メディアにとって医師からもらえる情報は大きいというのもあった。敵にはできない、批判ばかりできない。
我々も、病院が変わらないのに怒り続けることは疲れるし、病気や怪我なのに病院へ行かないわけにいかないし、これが世の中の仕組みとして固められて行って、世の中の方が医療側に合わせざるを得ないようになったと思う。
今、新聞の医療面やNHKの医療番組は、医師側の出す情報に基づいて書かれるので、患者の疑問と批判は控えめだ、もしくは、だった。タブーもある。社会面・番組は社会問題に浮上して来たものを扱うという理解だ。不満を表に出せずに心の底に抱えている人は多いと思う。
4)コロナのようなパンデミックの危機に対して、対処困難だった。医療側の言っていることが何でそうなるのかよく判らなかったし、目標が医療への負荷を減らすことに変わっていった。感染症法は改正されたが。
5)医療機関へのアクセスが断られるケースが出て来たのは、患者との間が旧態依然だからか。
コロナ以降は発熱外来があり、発熱したら医療機関に電話してから行くようになっているが、基準が曖昧で、熱がなくても受診を断られ、かといって行っていい来院日の予約の話しもなく、病院へかかるまでに2度手間となった例を見た。耳の遠い一人暮らしのお年寄りはどう電話連絡するのか、オンライン診療でもだめで、お医者さんもメールくらいやったらいいのにと言っていた。もともと病院は患者が来るのを待っているところだが、どんな場合でも自分でたどりついてと言う考え方のところもあって、医療DXの時代でDX体制加算がとられることもあるのに、患者との間の直接的なこういうものは旧態依然だ。
6)国民への周知が少ないのは、厚生行政や病院の言う通りにすればよいという古い考えだ。
マイナ保険証を使った時、本人認証できなくても何か方法があるはずなのに受付で示されず、全額自費と言われたケースをテレビでやっていた。医療機関としては、保険証が使えない場合に健康保険組合に治療費を請求できないので言い分はあるが、病院側は、認証できない場合の何かの方法の知識・情報を取れるか持っているはずなので、強い立場だ。患者側はその何かの方法を健康保険組合や行政から知らされていないから、対抗するだけの予備知識がなく弱い立場、行ってみて初めてびっくりすることがある。病院が権限を奮ってしまえるようだ。
7)患者の病気の情報は、日本では医師のものだ。マイナポータルでもそうだ。この機会に、患者の病気の情報は患者のものというふうに変えながら、医療DXやマイナをやってほしい。
米国では昔から、患者の病気の情報は患者のものだと聞いた。正確な記憶でないが、生まれた頃からの病気の情報がレントゲン写真も含めて、引っ越しても患者とともに移動すると。
日本ではやっとカルテの開示くらい。又、健康保険組合のもので患者のものとまで言えない。
紹介状(診療情報提供書)が、病院を移る時に困るのであるが、封をして渡される上、記載した内容を教えてくれる医師は滅多にいないので、自分の情報なのに一度も見られず、医師の間でやり取りするものとなっている。患者として不快感もある。受け取った側も、記載内容がその時わかっていることだけで、それなりに治療・投薬は出来るが、もっと知りたそうだった。
救急外来で、今までの様子がわからない初めての患者が運ばれて来るので、手探りがあるようなことも医師から聞いている。個人医院でも、続けて来ない人が多かったり、急に来なくなってどうなったか分からないというのも不満足だろう。急に受診して病気を見逃すなというのも、原理的に無理なのかもしれない。患者としても不安だ。
自分のマイナポータルに、自分の病気の情報「診療・薬剤・特定健診情報」が、今、載せられ始め、マイナ保険証を使った病院で患者が同意すれば医師らが閲覧できるようになっている。厚労省はマイナ保険証が導入されるから急にやって、より良い診療を受けられるとしている。その人の病歴薬歴が医師に伝わること自体はいいけれども、それだけでより良い診療とするのはちょっと待ってだ。相変わらず患者側がコントロールできないところでいつの間にか身体情報の管理を進めている。いつの間にかということは、行政と医師の都合で進めやすく、管理しやすく、医療機関どうしで情報がやりとりされ患者は結果だけ知らされることになりかねない。内容のレベルはどうか。メタボ検診で計った体重の推移まで載っていてぎょっとしたとかで、健康保険組合が載せるそうで、患者のコントロールできないところでプライバシーを載せるという神経、細かい情報が多すぎても有用でない、返って大事な情報がなかったりすることが懸念される。医療は一般常識から推定できることもあって、むしろ常識がないのも困るので、患者の眼を入れた方が、医療サービスの向上につながるものだ。患者の病気の情報は患者のものというふうに変えながら医療DXやマイナをやるのであれば、本来の意味のより良い診療と言ってよい。今やらなければ、もうその機会はないのではないか。ガラパゴスな医療になると懸念する。
8)大学病院など大病院に患者が集中する問題が随分昔からある。医学教育から、専門医だけでなく家庭医・総合診療医が育つように変えるべきだ。
確か30年近く前くらいに、紹介状を持たずに大学病院へ行くと初診時5,000円ほど別途徴収される制度が始まり、現在の厚労省が「患者のみなさまにおかれては、まずはお住まいの地域の医療機関を受診し、必要に応じて紹介を受ける等、医療機関の機能・役割に応じた適切な受診を行うよう、お願いいたします。」と言うのと同じ趣旨だ。
私は行政を信じて家族に対し近くの医院へ行くよう説得していたが、家族は近くの医院に見切りをつけてニュースで国の言っていることなどお構いなく大学病院へ行き、満足な結果を得ていた。若く病気もなかった私は、国の言う「一部病院に外来患者の集中・待ち時間・勤務医の外来負担」ということに理解を示し、大病院志向の患者が愚かなのだと思い込んでいたが、厚生行政と病院側の都合に寄り添わされていたと気付いた。自分の体に何かされるのだから近所で良いと思わなければ探し求めてでも行くという切実さがなかったが、自分の健康を守るためには、必ずしも厚生行政の言いなりにならずに、しっかりしなければいけないと思った。自分は今この2つの考えの間で、地域で探すのに手間と時間がすごくかかっている。
地域の医療機関の機能・役割というのは、出来ない事情があったと思う。厚生行政の言うのは器がそうなっているということで、本当にそれを果たせるかはスルーしている、と言うか、大学病院の混雑はすごかったので何とかしなければならず、患者の金銭負担だけでコントロールする方法をとった。そして、少しずつ改正(?)し範囲を広げている。厚労省は、紹介状を持たずに特定の病院を受診する場合等の「特別の料金」の見直しについて 令和4年10月1日より、患者等から「特別の料金」を徴収する対象病院が拡大されるとともに、その金額が増額されます。」とのことだ。
地域で受診していると、医師を育てる医学部での教育と大学病院でやることは、地域の医療機関の役割とあっているのかと思う。近所なのに臓器別の標榜科・専門医、説明が少ない人(元の内容が説明できるものでなければ説明ということは出来ない)・・・指を少し深く切っただけで外科か整形外科か迷った上で探し回る。地域の医院は、外国の家庭医のようでない(基礎的なことは何でも家族まるごと診るようだ、総合診療医とも少し違うらしい、家庭医にしてほしいという意味ではない)。
地域では漫然と薬を出すだけのところがあり、大学病院で研鑽している医師が市中病院に行くと、こんなことやっているのみたいな差がある(高度で専門的な医療のことでなく、良質かどうか)という医師自身の指摘がある。
医学部での教育から、社会と人間を学ぶ学年を設け、幅広いベースの知識の習得の上で、必要なら専門性というふうに、専門家でないのでイメージだけだが、変えてほしい。大病院への集中は表層に過ぎない。
9)医学部での教育は、大学の自治があるから政治でも難しいようで、自分達で変えて下さい。
10)救急車の緊急性の低い要請が多く、救急の現場が困っているとのことで、数千円の選定療養費を課す自治体が出始めた(2024年12月から茨城県)とテレビでやっていた。これは患者の責任でなく、医院での正しい説明と問診が少ないと教育効果がないということと、ちょっとした応急処置も教えて来なかったからというのが半分はある。救急現場の人にではなく業界全体に言うのだが、自業自得で、緊急時に患者に心理的負担がかかる方法をとるまでになった。
説明による教育効果等がないのに、具合が悪くなった時に救急車を呼ぶかどう判断するのか。自治体のリーフレットを読んでみたら、緊急性のあるなしは、覚えにくい。電話での相談先(救急電話相談先)の番号が書いてあるが、だから大丈夫かと言うと、痛みの程度を電話で伝えるのは難しいので、はじかれる可能性があるし、応急処置まで教えて頂けるかは電話に出た担当者にもよるだろう。電話出来ない人は?。「要請時点での緊急性」で判断すると役所的には言うが、実際の会計での運用が病院の裁量になることはあり得て、子供がすごくお腹が痛くて親には程度が判らないので行ってみたら便秘だった時とか。リーフレットは各家庭に配っているのだろうか、知らずに行き選定療養費を取られることもありそうで、びっくりするのはごめんだ。
むやみに救急車が呼ばれる原因の半分はこう考える。医師が患者に十分な説明をすることは、患者への教育効果があるから、その意味でも説明は大事だと医師が書いていた。問診についても、問診をきちんとする医師に係っていると、症状の伝え方を自然に覚える。しかし、そういう積み重ねが少ないので日本の患者には知識がない(最近は探せば説明十分な医師もいる)。ちょっとした応急処置も教えて来なかったので、日本人は自分に関することでも応急処置できる人が少ない。そんな感じで、うろたえて救急車を呼んでしまうのだろう。
又、救急車を呼ばなくても患者側から駆け込めるところを、すぐに思いつかない。
11)病気別の知識がはいってくる。特定の病気についてにコマーシャルも多くなった。国民の側は、基本的な知識は教えられないまま、まだその病気にならない内から特定の病気ばかり気にするように、変えられていく。
12)医療費の増大は、財務省が厚労省に言ってもなかなか減らずに言われ続けているが、解決策は個別のものが多く、増大し続けそうではないか。根本問題は、上記に書いてきたものや、医師中心に決めているから診療報酬が減らないようになって行く必然性、他にも思いつく。
看護師さんや薬剤師さんに任せられることでも活用が少ない。何でも医師にみせなさいという昔風のやり方のままで、医療費の不効率が発生し、医療費が増大すると思う。
米国では風邪の時は保険会社に電話し看護師のアドバイスを受け薬が家に送られて来て必要なら病院へ行くと以前に何かで読んだ(少しの記憶違いはあるかも)。患者は家から出なくていいし人に移さないし医療費も人件費部分は少ないし、看護師が出来るのであればこの方がいい。ドイツでも風邪で医師にかかれないとテレビで言っていた。
日本では薬局へ行きかぜ薬を買うことにしても、日本の風邪薬は昔から効き目が弱いので有名で医療側がそうしているわけで、強い薬が欲しくて薬剤師さんに聞きたくても、不在は多いしどこへ行けばいるのかわからないし探し回るのも無理で、結局、医院へ行くことになる。
昔の医師が風邪を治す薬はない(しっかり休んで)と言いながら、一方で風邪くらいでも場合によっては肺まで行くから、症状が軽いのに症状が出そろっていないのに心肺の音を聞くなどのために内科に来なさいという丁寧すぎるやり方で、医院に来るようにする圧がある。
薬剤師さんらを活用するにも、厚労省方針で昨年、医療費抑制のために、花粉症で耳鼻科へ行かないで薬局で薬を買うのが推奨されたので、薬局へ行ったら、こちらの言ったなりで、あまり症状は緩和されない薬でつらかったし、必要な薬を全部買ったら耳鼻科へ行った場合より少し安い程度と思われたので、薬学部で、医師の指示・処方箋に従うだけでなく、患者への問診とかも訓練してほしいと思った。
調剤薬局では、薬・お薬手帳・紙に書かれた情報をもらうだけのことが多い。本当は、薬剤師さんが、体調はどうですかとかこの薬を飲んでどうですかとか聞くらしくて、それも料金に含まれている。紙に書かれたものがそれだそうだ。でも、紙を渡すだけで読み合わせも説明もなく、紙の内容も、何の薬かと、車の運転はダメ等の注意事項は書いてあるが、体にどう作用して効くのかはほぼ不明なこともあって強いか弱いかもわからないし、処方された薬が最良かとかいう話しまでに、なかなかならない。ジェネリックの名称は処方箋の薬名と違ってわかりにくいし、成分名という用語の意味まで理解しろと言うのか。紙を渡すだけでなく、薬剤師さんから問診してほしい、それがないと、薬自体のことは薬剤師さんなのに医師に聞いてしまったり、何も聞かずにそのまま質問を飲み込んだりする。例えば、家族が効かない薬をずっと出されていたが知らなくて、何度か入院したが、別の医院で別の効く薬があることを教えられ、その後は入院しなくなった。薬剤師さんの問診があれば、他にいい薬があるという情報も得られて、何度もの入院を避けられたと思う。
わけの分からない病気にならないでくれ、という医師の声もあった。不定愁訴(病気ではないものの生活する上ではつらい症状)というのもあって医師を困らせて来たらしい。これに対し、医師のアドバイスは、運動・生活習慣・ストレスためない、ということしかない。あとは特定保健用食品(トクホ)とか?。それ以前に、もっと休んで整体したほうがいい。欧米でもアジアでも、整体がずいぶん発達している感じが耳を澄ますとするが、日本では種類もレベルも様々だ。日本は医療界の資金力・団体の力・情報を出す力が強くて、こういう分野を圧迫している気がする。力が強すぎるから、病院への集中と医療費が増大する面はあると思う。
13)医療の周辺産業も多く、資金全体でも大きいと聞いた。よく知らないけれど、製薬会社、医療機械・・。医療側と同じ方向を向いているようだから、あわせて影響力が大きいと思う。
14)口コミについて。病院を探す時、近所の人に聞いたり口コミも確かめたりする人は多い。数年前に見た病院紹介サイトに投稿しようとしたら、あちらで編集することを承諾しないと投稿できないと言うメッセージが出て来た。なるほどいい印象の口コミばかりだった。口コミというのは本人が書いたままかあとは全然載せないかだと思っていたが、編集された口コミに誤解させられる。Yの地図を見たら、病院の口コミはQLへ飛ぶようになっていて、近所のがすごいいいレビューだけど随分前にやめて他の人になっているから投稿しようとしたら、現在口コミは受け付けていないというメッセージが出て投稿できなかった。いい口コミでとめられる。Gが頼り。Gは載らないこともあるそうだが、口コミは全部載るわけではない、社会的主張はブログで書いてとのことで、口コミっぽく書いたら載った。
15)家族を看病していたら、大ごとにならなくても、小から中くらいの間違いが多く、家族は苦しんだ。効かない薬のことは12)で書いた。エビデンスは外国のものが多いそうで、家族にあてはまらないと言っているのに屁理屈で寄ってたかって押さつけられて、やっと行った病院で、それは外国のやり方だから日本ではこういうのもあるけど、どうしますかと聞われて、やっと救われた。退院前にリハビリをやるのも基本中の基本ではないのか。
16)患者本位の医療サービスへ転換していかないと、医療というものは崩れていくものなのだ、という見本をみているようだ。最近の報道を見ても、再び次から次へと問題が出て来た。
患者中心の医療、エビデンスに基づく、ニーズをみる、外国はやっていて日本でも患者中心やエビデンスをやっているのは聞く。よさそうであり、ど真ん中を行くが、日本には日本独特の根深い問題があって、土台が必要と思う。人格・社会性とか、患者の自己決定を認めること、患者の権利を認めるとかが必要だと思う。外国のようにするだけで、患者本位でないまま行うと、あくまで医師の認める範囲内での患者中心になる気がする。
そのためには患者本位でない根本原因は何だ。
Ⅱ.
1)「やっている人がひどいと言うのではない。制度の原理原則から、国がやり切れなかった足りないものがあるのだろう」と私のブログの第1回目の投稿で書いた。これは、戦後の世の中の仕組みがすっかり出来上がって矛盾が色々出て来た頃に、報道で指摘されたことが中心だ。患者の権利など原則的なものが網羅的に指摘されたが、実現できなくて、何か日本の力不足があると感じて来た。原理原則のどこが大事だ、新しい改革をやっていけばよいと言う意見もあろうが、原理原則というのは、その上に制度が築かれるので、違っていたら計り知れない影響がある。今までやってきた対策・改革も、全部ではないが、足りない土台の上に建物を建てるようなものだったではないか。微力だけれども思い出してみたい。
2)「医療過誤訴訟を多く扱っていると、お医者さん達は抽象的な生命健康を追っているようだ」法律系論文集の中の若手裁判官の言葉だ。「病気をみて人をみない」と言うのも検索であった。ザ・ヘルス。私が思うには、人を人体や患部として客観的にみる訓練をしている内に、患者が自己決定・気持ち・主体性を主張しないで、人体や患部でいてくれたほうが医療行為をやりやすくなるのだろうか、医療は間違えたら人を傷つけるが、患者の多少の犠牲は医学の発展の為に必要という伝統があり、間違えない人を傷つけないという意識が薄くないか、他の師業と同様に、昔の医師はいばっていて上からものを言い、顧客は患者というふうにならない、医学の知識が患者に還元されるところまで到達しなくても医療としては成り立つ。
いい医師は第一に、人への尊重があった。
3)医師が非人間的なことまでしてしまう事例が、欧米の医学の歴史の中であって、牽制するようになったが、日本では薄いようだ。具体例を知らないのだが知る限りでは、人体実験、ロボトミー手術(精神疾患の治療で鋭い器具を脳に挿入する)とか。日本でも古くは人体実験の記憶がある。
理系の人ばかりでやっていると危ないということで、欧米では医師への牽制の為に理事や管理かどこかに文系の人も入れるようになったと、正確な記憶ではないがそうあった。
医学部という学校制度も、医学は他の理系と違って人間を相手にするので、人の気持ちがわからないでは危ないから、医師になる前に人間の心理や社会のことを知ることが必要だという考えが一般らしく、国によって医学校は少しずつ違うが、例えば米国では医学部以外の4年生大学を卒業してから4年制の医学部に進むとあった。
日本では、医療に対する社会からの牽制を私は聞かないし、投書箱や患者の声くらいでは消え入りそうだ。日本の医学部は6年制にしていて、最初の2年は心理や社会と言うよりは基礎を学ぶらしく、医学部だけの世界で、卒後もそれが長い。医師自身も、医師は社会の中での自分達の役割を知らないと言っていた。知った上で仕事をした方がいいでしょう。
そもそも医療行為は、合法的に、人を裸にでき、毒にもなる薬を与え、メスで切ることが出来、人に深く侵襲していくことができるものだ。怪我や病気を治す目的だが、興味に従うような行き過ぎることも起こって不思議はない。このような医療行為に対する牽制機能が少ない場合、本来必要な原則的なものがない訳で、実は大変なことになっていくと思われる。日本は世界とは異なる事情があり、お年寄りの患者はあまり言って来なかったし、医師も患者の言うことなんか信用できないというのがあるそうで、そういうのはもう古いから止めていただきたい。
4)医学部とその付属病院である大学病院が、教育研究機関という意識が強くて、医療サービスへの転換を妨げて来たのではないかと考える。患者につらいことをしても、医学の発展のためにと言う理屈を歴史的に用いて来て、学問を追求したようだ。現在、大学病院は高度で専門性の高い医療を提供するというイメージだが、世界トップクラスだとか世界一安全だとかは中身を注意してみないと危ない。高い技術がいい医療なのだと国民は洗脳される。Ⅰ-8)で書いたのと同じで、医学部での教育から、社会と人間を学ぶ学年を設け、幅広いベースの知識の習得の上で、必要なら専門性というふうに、専門家でないのでイメージだけだが、変えてほしい。
5)患者の権利章典が、問題噴出だった頃に国会で議論されたが、時期尚早ということだった。病院の壁に患者の権利章典が張られているところがあった。気持ちは受け取るけれども、患者の権利も医師が主導するふうになっている。
6)「医療側は法曹側(弁護士、裁判官)に過重な負担をかけ・・・」(医療過誤訴訟において)。
「職業倫理がない業界と戦うのは難しい」と訴訟に敗訴した弁護士がTV取材で言っていた。
医師の善良なる管理者の注意義務の内容が他の医師から証言されないと、裁判で違法性が認められるのが難しいが、かばい合うのか証言が得られない模様だった。思うに、職業倫理があるならば、たとえ同業医師を敗訴させても正しく証言することが、業界全体としてレベルを保つことがわかるはずだが、それをしないとレベルを低下させ、自分で自分の業界の首を絞めることになる。こういう仕組みへの理解がないから訴訟が大変になる。個々の人より全体の問題だ。
福岡の弁護士で、よく勝訴し国会で患者の権利章典について意見を述べた人の本を読んだら、医療のこうあるべきというものを知っていて、医療側に依拠することなく、こちらが打ち立てて行く。そこまで出来ないと勝てないわけだから、過剰な負担だろう。
7)「専門性の壁」、「封建制の壁」、「密室性の壁」という3つの壁が医療過誤訴訟にあるそうで、いつもの診療を考える上でも参考になった。
「封建制」が、大学病院の教授の絶大な人事権の面では改革があって変わって来たようだが、ごく最近まで女子受験生らへの合格基準の差別があり、しかも合格基準に嘘をついて受験させているわけで、他の学部や一般社会よりも、そこまでやってはいけないということがある。どこかの医学部長かどなたかが、女性は妊娠出産があるので労働力としてたくさん働かせられないからと言っていて、理系の人らしく体の特性をよく見ているけれども、妊娠出産を持ち出したら、永遠にどうしようもないことになる。子育て中の女性を雇わないというのも、そこまでやってはいけない。受験生や労働者でなくて患者としても、世界中で女性医師へのニーズは高いにもかかわらず、かえりみない。一般より不合理性がある。引き上げた方がいいでしょう。
8)「裁判外の紛争処理機関」。医療の特殊性から、普通の裁判あるいは法律では難しい面があるので、外国にはあると昔に読んだ。日本では弁護士会に医療ADRというのが出来たのを割と最近知った。現状ではそれでも困難と思う。尚、マナーとされるものや心理面の傷つきは、病院に苦情を言っても医療行為ですで終わりだそうで、自己決定権侵害の判例があっても、自ら変わって頂かなければ、終わらない。
9)厚生省は小さい役所だったし(医療も年金も)、残業も多いそうで、日本社会は、大蔵省(財務省)や経済第一でないとやって来られなかったから、規模もマンパワーもそちらに寄っていたから、厚生省でどれだけ出来たのだろうか、それでも医療は大事だからと頑張って、患者本位のところまでは、国が追い切れなかったと思っている。
厚労省の医系技官は業界から行くと聞いていて、医療側を代弁しているというのも読んだ。業界から患者本位に変えなければ、大本の厚生行政も変わらないということか。それとも厚生行政から変えるべきなのか。
10)①「羞恥心は無視される」。『患者よ、がんと闘うな(初版1995年、近藤誠医師)』という本を読んで予想外に多かったのが、女性患者の羞恥心が理不尽に踏みにじられるという記述だ。
又、放射線科の医師である先生は、健康診断の関係者はレントゲンをとらせてきたが、被ばくの影響は蓄積するということと、妊娠適齢期の女性にもかまわず被爆させて、後で妊娠がわかった時に騒ぎになることが書いてあった。近藤先生の怒りを感じた。医師は優しくなければいけませんともあった。(尚、現在は放射線の被ばく量というのか少ないかもしれないので、現時点での影響を私は分からない。)
この本を読むまでは一部の人のマナーだと思っていた。読んでからは、無視されるとはすごいけれど、どういう状況かと思っていたが、永年経験したら分かって来た。幅広い場面で当たり前のようにあり、避けられるはずのことも避けてくれない、意志の確認はなく、無言の圧力があり、一応のメリットはあるので小さいことは我慢できると思って我慢していたけれど、たまって行くものだった、大きいことがあったら一度でだめで、病院へ行くのにびくつく、というようなことだった。病院で吐き気をもよおしている女性患者はいる。
基礎医学(患者を診療する分野でない)へ進む者の中には、あまりのことに辟易して、そちらの道へ進む者もいると、その昔、どこかで読んだ。内部の人がよく怒っているから(私のブログによく出て来る)、そんなやり方をしなくても出来るはずだ、という例が多いのだろう。
日本の医学・医療の始まりの時代から連綿として続いている。
交通事故にあって救急車で運ばれて来た若い女性を裸にするのを、医学の1年生から見学させ、同情する人ばかりでなく、逆に、嘲笑したり女性を侮蔑の眼で見るのも目撃した。虫唾が走った。新たに女性蔑視を生んで来ていて、有害だ。
②「医療の場では女性は羞恥心を踏みにじられることが多く・・」(国連)ネット発達前の新聞。世界でも起こるが、日本では羞恥心は無視されるのだから、踏みにじられる以上のことがある。外国では、医療でも女性がノーなら性暴力だが、日本は性暴力の範囲が狭い国で、医療は例外にされてしまう。日本の医療行為は世界一、やり方が性虐待だろう。
③無視されるのだから、口にすると怒られたから、女性患者はどうする? 我慢しなければ治療を受けられないから、感情を押し殺すすべを覚え、あるいは自尊心を切り下げるのか。平気ですと言う人も歯を食いしばって固い調子で言っている。日本人は思い込んで言うことが出来る。能面のように無表情になって診察されている場面をみたし、羞恥心を感じないようにしなければならないというのも聞いた。調教であり、心に悪影響があった。タブーにもなった。
④世界では、医療の場で女性が羞恥心を踏みにじられることに対して、社会からの牽制がある。日本はこれから始める? 牽制はドラマ等からしか分からないので、それを書くしかない。
その昔、米国の産婦人科で実際にあったという話し。男性産婦人科医が女性患者にやりすぎなくらいの視診触診をして(欧米は1度は全裸にして調べる)、女性が苦情を提出し、男医が自殺し、以後、内診に立ち合い者をつけることにしたという。後に映画『ゆりかごを揺らす手(サスペンス、1992年)』をTVで観たら冒頭にそのいきさつが実際と同じではないだろうけれども描かれていた。映画では医師会に訴えることが出来るなど患者が泣き寝入りにならない様子がうかがえる。現実世界のほうでも、市民社会が発達しているのか、変なことをしたら社会的制裁があるから、立ち合いという改善策に結びついたと考えられる。海外の病院へ留学した医師「(昔)病院でもよくビンタされます。痛い思いをして分かるのです。」過激でも、性侵襲の影響の深刻さを分からない人はいるもので、それくらいしないと女性を守って来られなかった。
韓国ドラマ『馬医』。王族の女性が心停止し医師が国内初の心臓マッサージをする際に、女官に「胸をおはだけ下さい」と言い、女官がうっと言い、着物の胸元は細く縦長に開けて白い布を差し込んで肌の露出をなくし、そこで初めて医師が胸骨をたたくというシーン。医師が患者に治療内容とどこまで露出するかを正確に説明し、患者側はノーでないやり方を示すという手順だ。医師が正確に説明するからこそ、患者は自己決定が出来る。
中国の時代劇で、男性が女性の病人の食事の介助をする際「男女の区別が厳しいゆえ・・・」というセリフがあり、口移しでないスプーンのようなのを考案するシーン。韓国の『チャングムの誓い』で、「男女の区別が厳しいゆえ、医女を育てよ」。「男女の区別が厳しいゆえ」という言葉の中には、女性を守ると言う意味が含まれている。医療行為からも女性を守る。韓国の『百日の郎君様』で、元は高貴な身分だった女性がむち打ちの刑のあと、男医がお尻をほれ診せてみろと言うのを、だめ、だめときっぱりと断わり、男医がすごすごと引き上げていった。女性の沽券と健康は同等クラスなことが分かる。
⑤そうは言っても、診察と治療は皮膚を表さなければ出来ないことがある。又、欧米は、一度は全裸にして、身体を調べる。アジアのやり方ではない。問診と組み合わせる。それが中途半端に納得いかないやり方をしている。
私の第1稿で書いた、「医療全体が、普段の診療や健診から、性別や気持ちに配慮し、悔しくなくトラウマも作らなければ、いざ病気という時に本心から少しくらいならいいわという気になるのだろう。外国はそのようで、そんな問題は起こり得ないそうだ。いい加減ということはなく、その方が真に患者のことを考えるので、レベルが高い。日本は逆のことをしている。」
⑥③で述べたようなタブー視されている問題は、言葉で表現されないから、AIにも反映されないので、AIに聞いても出てこない。だから、この問題が存在しないかのような、奇妙な話しをしている。アンケートでも出てこない。タブーにしないためには、先ずは言葉で表現することが必要だと思う。これ以下に書き出したが、なんせ無視だから、事例があまりにも多くて長くなってしまった。これでも代表的なものだけだ。
又、次回に、街なかのAEDについて、救命医療の現実と学校での性教育とぶつかることと絡めて書く予定で、その前提としても必要だった。
⑦日本の医療は、羞恥心に触れる言葉がなく、羞恥心を無視する形でことを進める。
医療に性別は関係ないと洗脳して来る。世界中で女性医師へのニーズが高いにもかかわらず。
⑧「心電図は患者さんにとって苦痛のない検査です」との説明書きを病院ホームページで見た。採血のような痛みがないことを言っているのだが、女性は心電図は嫌いなのはわかるだろうに、羞恥心に触れる言葉がなく、女性にはこうやりますという説明がなく、苦痛がないと言い切る。健康診断で経験した配慮あるやり方は、前合わせの検診着を着て、女性技師から、検診着の上から乳首の高いところを自分で指して下さいと指示があり、それで取り付け位置がわかり、前あわせのところを持ち上げるだけで、技師が手を突っ込んで、ゼリーと紙と器具を取り付けるというやり方で、技術的にも心理的に問題なく出来た。1回しか経験しなかった。多いやり方は、前合わせの検診着の前を横に全部ばっとはだけさせる。検診着を貸さない医院も多く、女性技師が、金属がついているブラをはずして、着ているものを乳房の上までまくしあげるよう指示して器具を付けるというやり方で、そうしないと出来ないという説明だった。検査着を貸さないから出来ないだけだ。あられもない姿をさらした後でタオルをかけて頂いてもダメで、既に貶められている。汚れるからタオルしか貸さないそうで、タオルをかけておけばいいとしたり、クリーニング代の節約が気持ちより優先なのはイライラする。検査衣と洗濯代は診療報酬で評価されているのか知らないが、いないのだったら厚労省に交渉して含めてもらえばいい。意志の確認なく男性技師が出てくるところもあった。
最初の配慮あるやり方が普及しないのは、心電図の説明書きのような大本のところで、女性にはこのような検査衣が貸されてこのようにやります、というような説明にしないからだ。つまりはこういうことだ、繰り返すが、医療行為というものは裸です、配慮する義務はありませんので、スルーします。上層部がそうだと下の人はそのまま動くから、それであんなやり方のままだ。医療系の学校でも、原則的な裸のやり方を教えて、女性に対するやり方を教えていなくはないか。男性老医師「私なんか平気ですよ」男性はあれで問題ないのだから、医療について来られない女性はいいよ、という日本の医療の男性中心主義も見える。
病気の時だと、男性技師に名前を呼ばれて、名前を呼んだだけだろうと思ったら、やろうとすることがあって、こちらから言わない限りはやっていいことになっているようだ。又、女性患者には女性技師がやるのをルールにしているのに男性技師がやろうとするケースもある。乳房には悪意が向くので、拒否して下さい。検査技師は女性が多い。
尚、2025年度から健康診断での心電図とレントゲンはなくなったと確か報道があった。
⑨内科の聴診で女性に上までまくしあげさせる人。胸の色が変わっていないか一目瞭然に見え
たり、聴診器をあてやすい。屈辱と言う感情を知らないのであれば。
「(服をあげるのはお腹まで)下から聴診器を突っ込んでやればいいのです」と老医師。
「胸の色を見るには襟元を下げれば見えます」、「胸の膨らんでいるところを見てもしょうがありません。皮膚の表面ばかり見てもしょうがありません。」
このやり方を女性に教えずに、躾けて来た。悔しいですね。
外国のやり方をテレビに映る度に見ていたら、服の襟ぐりを少し下げる、もしくは上のボタンを開けて、医師の方がやりにくそうに手を突っ込んで聴診器を入れていた。医師側が女性に配慮するのが世界標準だ。あれは米国では軽い女がふざけてするポーズとの指摘もあった。
つい先日、現代ではまさかもうしていないだろうと期待して女医さんへ行ったら、ば~っと上まで上げて下さいと言われ、鋭かった。女医さんだと返って・・ということもある。変わっていない。患者側が自分で上げないのはいいらしいが、始めからそう言ってあげない。着脱しやすい恰好で来て下さいと掲示してあるところもあって、伸びる服を着て来るように普段から言っておけば、襟元を下げたり手を突っ込んでできるのに。服の上からでは聞こえないとか言ってる人もいて、診察衣を用意したらいい。風邪をひくと耳鼻科へ行く女性は多い。ごく最近、冬の風邪ひきの多い時期に耳鼻科へ行ったら、一目見ても若手の女性の比率が多かった。聴診のトラウマのせいだ。
⑩「(内診を)恥ずかしがらずにいらっしゃい。」日本の少し昔の家庭医学書の産婦人科の頁。「一部の女性たちは婦人科診査(内診等)を嫌がる。もし女性が医師にあらかじめこの点を
知らせるなら、医師は余分の時間をとって、そしてどんな質問にもきっと答えてくれるだろう。」米国の家庭医学書の翻訳。世界では、内診を嫌がる女性の気持ちは、医師から認められていて、嫌がる人には医師は説明するだけで、あとは自己決定だ。だから、女性スタッフばかりの産婦人科クリニックとかも発達して来るのだろう。
日本では、内診は羞恥心を克服できるほど軽くないのに関わらず、恥ずかしいものを恥ずかしがるなと言い、羞恥心を曲げさせる。病気を治すためなら、医療行為を理解しなさい、と言う厳しい考えだ。行かなければお腹が痛くてしょうがない状況のもと、女性産婦人科医が少ない状況のもと、病気を治すためには羞恥心を克服して産婦人科へ行くのがきちんとした女性だと思い込まされて来た。
⑪甚平型の入院着(下はズボン)を、考案した医師の「これいいでしょう」と外国の学会か何かでの自慢気な言葉から、医療者がやり易いという発想ばかりで病衣を考案したようだ。甚平式は男性は普段からけっこう着ているが、女性は胸元が緩みやすいので嫌う人は多い。世界的にも入院着としては珍しい形だ。米国はワンピース型で、前は全面フラットで後ろが縦に切れ目があり紐で結び、心電図や点滴の管を入れる時は、紐を緩めて襟ぐりを丸く下げて手を突っ込んで出来そうで、ネグリジェみたいで日本人に向いていない感じで採用されないだろうが、安心して見ていられることは間違いない。アジアは、韓国ドラマでは、透けないように柄がはいった前空きのパジャマ型が多く、ボタンで上までしっかりとまる。ボタンをはずせば管でも付けられるから前空きパジャマで足りるということだ。何故日本では甚平にしたのか。甚平式だと、必要以上に乳房までばっと開きやすく、嫌な予感がしていたが、女性の看護師さん「乳首まで見る必要ないですよねっ!」と怒り。やはり乳首まではだけさせる人がいるらしい。入院は恐怖。最近はやっと、前開きパジャマで着崩れしにくく胸元がはだけにくいのがメリットという入院着も、たま~に見るようになった。入院着は病院指定だから、変えてほしい。
⑫「診察衣や検査衣を貸す義務はない」と、ある医師。医学の何かの本で、肩を出す診察の時、女性にはこのような診察衣が提供されるとあり、キャミソール型のちょっと外へ出られるくらいの診察衣のさし絵もあったので、それで出来るということだ。が、元々に書いてあるにもかかわらず、現場でバスタオルなんぞにしたりする。義務はないのか知らないが、患者の自己決定の権利がある。
学校検診などで背骨を調べる時など検査衣を着ていれば何でもないのに、後ろの空いた検査衣で出来るとマニュアルのようなのに書いてあるのにもかかわらず、それをしないで、不必要に女子の羞恥心を侵害して、子供を傷つけてきた。思春期の子供には気をつけてやらなければいけないと検査技師が言っていたから、子供の心の発達にもよくないにもかかわらず、有害なやり方をとってきた。裸は病気を発見するために必要な方法などではなく、一瞬しか見られず、じっくり見ずに短時間で次々とみていくやり方であり、背中の空いた診察衣を着ていた方が時間をかけて丁寧に診察できるし、できなければいけないのだ。教育委員会は、医師会に対して、裸はまかりならんと言わなければいけなかった。罪の重いことをした。男子もあるらしい。文科省が昨年、着衣が原則と言う通知を出したそうだが、関係者が見てないことがあるので、父兄は気を付けて下さい。健康診断では盗撮事件まで聞いたが、そういう人を怒れば済む話しでなく、大学病院で検査をこっそり見学するとか、自己決定なく踏みにじっていたら、人格がまだできていない人は勘違いする人もいるから、そういうことをすべきでないのだ。
下半身の方とか、女性も男性も、こういう検査衣を看護師さんが考えましたというのがニュースになるくらいだから、診察衣検査衣が日本ではいかにも珍しいということを示す。
患者は診察衣・検査衣というものを知らされていないから、我慢しなければならないものと思い込まされていて、病気の苦痛と心理面の苦痛が一緒になって区別がつかなくなって、病気で苦しんでいるのに、苦痛が倍増している。まだ元気な人が要求して圧力をかけたらいい。
⑬健康診断を受けるのは国民の「義務」だと法令で決まっている。義務は多分、日本だけだ。会社の就業規則にも従業員の義務だと書くらしい。義務にするのならば(受けなくても何も言われないが)、病院は人権侵害にならないようにやって頂きたいが、セクハラ事故はよく起きるのに、法令で強制力を持たせており、権力者だ。健康診断は、自分の健康状態等に興味が沸くから受けたい気持ちはあって、行くとちょこちょこ嫌なことがあり、それでも家庭医で見てくれる人がいるわけでもないから、また行って傷づけられて。各種健康診断の発達はここ40年くらいだろうか、その発達とともに、健康のために羞恥心を我慢しなさいという価値観ともも言えない屁理屈を、病院外の世の中にも広めてしまった。健康診断のおかげで病気が発見できたというのは、メリットのあった数例をクローズアップするだけで、全体の数値でみないから、デメリットは無視されて進めて、科学的でない。
⑭上層部が羞恥心無視だと、看護師、コメディカルもそうなって、それで病院中に拡大する。
家族がちょっと検査に行った病院で、看護師さんに家族は外でお待ち下さいと言われたので、何をするのですかと聞いたら、答えて頂けず、気になる内容の検査と思ったので、重ねて聞いたら、「それでは〇〇さんのは、出来ません」と言われ、医療からはじかれそうになった。やむを得ず、嫌なことは断ってとささやいてから室外へ出た。もう1件も同じだった。
露出が気になる超音波検査だったので、皮膚のどこを出すのか男性技師に聞いたら、あいまいな答えで、台の上でもっと下げてと言われ、出来ないわよと言ったら、医者には見せるだろと、最後は切れられた。問診だけだと言い返し、やっと女性技師を呼びに行った。最小限にしてあげようという優しい発想でない。本当は優しいのだろうけれども、教わっていないと思う。患者は検査に協力するものという発想のようで、反対のことを少し言っただけで、ぼかっと言われることが多い。
看護師さん(女性)「医療行為というものは・・・」「裸です」
レントゲンの検査衣をあえてなくしてしまい、そのくせ自分はもってくるということも。
老人は気にしないと男性技師が勝手に決めていた。気力が衰えているだけなのに。
医師「羞恥心がないと外からはっきりと言えるのは、おむつを替えている乳児だけです。」
⑮これを世の中の仕組みとして固めてしまった。これが世の中の仕組みだから従わなければならなくなる。でなければ子供も産めない。よほど強くなければ、逆らえない。
⑯乳がん検診は、1970年代後半から始まり、始めから見て来て色々強く感じて来た。実施するのは自治体だが、厚労省の専門家の委員会とかで決める。メディアを通して、乳がんという病気の説明は後から思うと少なく、早期発見すれば治りやすいことが盛んに言われ、その為に検診を受けましょうと盛んに言われた。私も早期発見で治るのなら受けた方が得だと思ったが、後から思うとどういう格好になって何されるのかは知らされなかった。自己検診も知らされなかった。対象年齢でなかったが、別の病気で入院経験のある家族に薦めたら、思い切り嫌な顔をされ、目が覚めた。家族に届いた案内の、診察内容と実施医療機関一覧表をみたら、そこで初め気がついた、この頃は乳房の視触診で、一覧は病院の名前と住所のみだ。もしかして外科って男の先生ばかりじゃないの?その上で視診触診を受けろということだ、血圧上がった。ちなみにやる側の医師も、乳がん検診やらされると嫌そうに書いてあるのをみたことがある。不信感から、日本の家庭医学書を調べたら、乳がんという病気の説明はとても少なくて驚いた、早期発見すれば治り易いということと、検診にいらっしゃいという記述が2度繰り返されていた。大本がこれだからメディアを通してもそうなのだった。以後、がん検診の記事を、検診受けましょうはパスして、よく耳をすませていたら、「自己検診(自分で触診する)が最も発見されやすい。自己検診のやり方の説明。でも見つからないこともあるから2年に1度くらい検診も受けるのを薦める」とあり、正しい説明をした上で薦めるだけで、父権主義的な受けましょうでない。自己検診が一番大事だということもわかった。しかし、これはずいぶん前に1~2度しか聞けず、あとはもう盛んに検診受けましょうという報道がずっと続いた。大本のところが検診受けましょうだけだから、検診の団体とかを作ったら団体は検診の普及を使命として、検診受けましょうの大合唱だった。自己検診のやり方は聞こえずに消えた。知らされていないから知らない女性が多い。科学的に死亡率を減らすやり方かどうかという発想でないようだ。現場の医師も、しこりに触れて病院に来る人は、自分で発見した人が多いと、言う。
一覧表は、やる人の性別が分からない。外国みたいに、何も言わなくても女性が出て来ない。外国では男女で近い米国でさえ、治療は乳腺外科だが、まだ病気になっていない検診の内から男性医師や技師がやるということはなく、検診は女性スタッフばかりの産婦人科病院でやる、という新聞記事を読んだ。これも1度だけだ。日本は産婦人科も外科も男が多かったという事情はあるが、それでも地域に1ケ所くらいそういうところを作ろうと思えば出来ただろうが、一覧表には一切なく、せいぜい検診センターにおそるおそる行くと男医女医1人ずついて選んでよいというのが、かすかに想像されるくらい。
以後はあの報道を見ていないから、比較的若い人は、女性のがん検診は外国は女性スタッフばかりの産婦人科病院でやるのが当然で日本が特殊状況ことを知らない、乳がん検診も婦人科のがん検診も医療に性別は関係なく男でも我慢するもののように思い込まされている。自己検診のやり方も知らない。私ももう忘れた。羞恥心にふれずにことを進めるということはこのようにどんどん進む。洗脳するには、うまい方法だ。
マンモグラフィーを導入した時も、乳房を両側から板で挟んでいくレントゲン撮影を、欧米でやって有効だから導入したそうだ。欧米は胸が大きいから有効で、アジア女性は小さいから両方から挟んでいったら痛いし、最後まではさめなくて映らないだろうというのは、素人目にもわかった。胸の大きい人にはやるというわけでもない。全員に導入した。エビデンスが外国のしかないという事情はあるにせよ、はたまた自己検診をすすめない、
韓国の乳腺外科の日本語サイトがあって、上のほう2人が男性医師で女性医師が2人で、乳がんの検診は婦人科ですが治療は乳腺外科ですとあり、男性は管理でもやっているのか、撮影はレントゲンとあって、マンモグラフィーでないと思われる。平のうつ伏せがあるのですよね。
放射線科医である近藤先生のところへは、乳がんと言われたが、本当にがんなのか疑いを持った患者が訪れていたそうだ。見落としだけでなく、がんでないものを癌とされることがある。しかし、そういうことがありますと言うだけで、誤診のない方法にするのでなく、それを理解した上で検診に来るようにという説明まであるのには、まいった。
乳腺外科も男医が多く、自分はならない病気で(ごくまれに男性の乳がんもあるらしいが)、自分のことのように真剣には考えていないと思ってもいいだろう。産婦人科がどうして男なのかというと、成績悪い奴多いと聞いたのと同じで、あまり優秀な人がやっているとは思えない。
コロナ禍で乳がん検診を受ける人が減ったら、乳がん検診お忘れなくというバナー広告みたいのが、家でネットをやっていたらぼ~んと何度も出てきて、自宅まで追うようにしないでくれ。ポスターもみた。コロナなら、なおさら自己検診のやり方を教えたらいいのに。日本は乳がん検診の受診率が低いので、受診率を上げようというだけで、乳がんによる死亡率を減らすという発想は感じない。患者本位でない医療の弊害は、女性患者の状況によく表れると思われる。えさになりやすい。
令和2年度くらいから学校でのがん教育が始まった。この実態のままで。こどもに、医療者の性別は関係なく受診しろ、効果のない検診方法でも言う通りに受診しろと言っているようなものだ。返って心理面の発達に有害だ。がんだけが病気でないのにそこまでやらなくても。
皇室の人が自己検診を勧めていた。外資系企業が自己検診を推奨していた。米国から入って来たピンクリボン運動というのは、日本では、男医の視触診を受けるようにと言われているみたいだし、欧米人向きのマンモグラフィー検診に従順なので、偽善だ。しっかり考えて。
昨年の新聞記事でも、乳がん検診の無意味な検査を日本は繰り返す、とあった。
礼儀正しく言っている場合ではない。この変態的な状況は何だ。
選択的夫婦別姓
日本は島国で、井の中の蛙大海を知らず、子供の頃にそう感じていた。最近の選択的夫婦別姓への抵抗を見たら、島国の偏狭さを感じて、また同じ言葉が浮かんでしまった。
数年前、経団連の理事の方がテレビで「能力に男女の差はありません」と明言するのを聞いて、あ、昔と変わったのだと思った。経済はグローバル経済だから、経済界は世界に進出して、後に引けない状況下で仕事と生活でもまれて否応なく変わり、考え方に合理が生まれるに違いない。昨年は、経団連から選択的夫婦別姓導入の提言もあった。井の中の蛙を脱したと思った。観光客が来たり留学したりして、ちょっと外の世界に触れただけではそうはいかない。
その経済も、株価や大企業の賃金、物価は上がっているが、中小企業や、その先はまだ見えない。別姓と経済はあまり関係ないだろうが、気分には関係する。少しは人の気持ちを考えた方がいい。
結婚する時に、女性が、苗字を事実上一方的に男性にあわせること自体が苦痛だ。仕事上の不便さを解消すればよしとして、通称使用を拡大し戸籍に旧姓を併記する案は、ごまかしで侮辱だ。
子供の頃から親しんだ姓を変えたくない思いと、結婚する家族で同じ姓にしたい思いは、同時にある。でも、事実上の半強制で一方的に姓を変えたくない。選択できた上で夫の姓にするのなら苦痛は少ない。
家族の一体感がなくなると思う人は、自分達は同姓にしていればいい。
社会の構成要素である家族の呼称としての姓の意義が「失われる」は大げさだ。別姓を認めた場合でも、そう多くの夫婦が実際に別姓にするとも思えないし。人を型にはめないで。
子供の姓を夫婦どちらにするかについて、婚姻時に決めるのか出生時に決めるのか等は、一般人には想像つかないので、専門家が提示して議論を進めて下さい。
政府の世論調査の結果、「国民の意見が分かれている」というのも国民をだしにして大げさに言っている。前回の政府調査後のテレビ取材で一般女性が、自分は夫の姓にしたいから別姓でなくていいというだけで、選択的別姓に反対と言っている風に見えた。自分はそうしないからというだけで反対してしまう。旧姓使用拡大でいいという意見も、それでは足りないことは難しくて理解されない。ゆるい反対と思う。差別は多数決でないと言われている。アンケートというものをどれほど信じるか? 導入した場合、世論調査で反対意見だった人達も、あらそうなったのね、というくらいではないか。
ランスジェンダーの連邦議会トイレ更衣室使用禁止を米国下院議長が決定。その理由と日本のLGBTトイレ制限違憲判決を比較、日本は女性のプライバシー権、保護感覚がなく返って女性差別の判決だ。
以前(2023年9月10日)の記事で、(LGBT)職場トイレ制限訴訟において、制限した人事院の決定を違法とした最高裁判決に違和感があり、トイレは本物の女性とは分けるのが原則で、分けられるなら多目的トイレがあるならそちらを利用してほしいと言う趣旨のことを書いた。又、判決は「嫌な顔をしたくらいで」経産省が反対ととったとのことで「くらいで」というふうに矮小化することに、イライラした。性的な場所で女性が嫌な顔をしたら、すぐに引っ込むのではないか。判決が「問題もなく」と言うのも、色々検討した上で問題がなかったというのではなく、体験したことがなく想像できないから問題を挙げられないのだと、ちょっと考えればわかるだろうが、検討できていないのに「問題もなく」とした。何だそれという感じの悪さだった。
このたび、米国の下院議長(下院施設管理権限がある、男性)が、連邦議会の建物でトランスジェンダー(出生時の性と自認する性が一致しない人)が自らの望む性別のトイレや更衣室を使うことを禁じる方針を発表した、という新聞記事(ネット、11月21日)があった。特定の性別用の施設は全て「生物学上の性別」用だと指摘したとのこと。
各議員の部屋にはそれぞれ個人用のトイレがあり、議会内には男女両用のトイレ(車いすでもはいれる多目的トイレのようなもの?)があり、「女性は女性専用のスペースを持つに値する」とも述べたとのこと。
特定の性別用の施設は全て「生物学上の性別」用だということで、最もなことだ。男女では泌尿器や性器といった体の作りが異なり、トイレはそれにあわせた造りになっている。無理に異なる性別が使えば齟齬が出る。以前の記事で書いたように汚れるという衛生や掃除の問題、生理など母性保護の問題などなど。
「女性は女性専用のスペースを持つに値する」と言ったことも、トイレや更衣室のような準はだかになる空間で「トランスジェンダー以外の女性専用スペース」という概念はあって当然で、一緒の使用を強制されるべきでなく、その言葉が外国では男性である議長からスラスラと出て来る。日本の男性からは無視された上で話しが進むので、何ともいえない嫌さと圧力だ。向こうでは女性は保護するに値するのだ。日本のように、トイレ制限訴訟や街なかでのAEDのように半強制的にプライバシーを奪われることなど行われない。
又、民主党のトランスジェンダーを公表する議員が当選し初の連邦議員となり来年1月に就任するのを踏まえた措置だそうだ。これに先立って共和党議員(女性)が禁じる決議案を提出しており、民主党の一部議員が反対していたとのこと。オバマ元政権は、公立学校に自認する性のトイレ使用を認めるよう通達を出したが、トランプ前政権が撤回したとのこと。現バイデン民主党政権がこれを更に撤回したという記事はないので、通達撤回のままという理解でいいかな。民主党も一部議員が反対してという記事なので、民主党内一致でもないのだろう。
でも、今になってその議員が当選してから急に禁じたのはなぜ?狙い撃ちと取られかねない。又、議長発表以前であっても、出入りするトランスジェンダーの人はいて、今までは自主的にトイレを選んで使用していたのだろう。もっと以前から、制限してもよかったが、そのままにして、ここでやらなければズルズル認められることになるので、ぎりぎりのタイミングで禁止したという思いである。差別や攻撃でなく女性を守る思想で必要なものだ。
ここで、トランスジェンダーの気持ちになってみれば、性自認が女性であれば、女子トイレや更衣室に自由に出入りするできたら、女性として認められたという気持ちになるだろうし、不便さも解消するし、制限は心苦しいかもしれないし、使えるトイレが少ないのであれば不利なこともあるだろう。
医師は、社会的に女性として生活し、ホルモン療法をし、性自認が女性なら女性であるかのように言うが、社会は患者側に立つ医師の意見をうのみにすべきではない。女性として社会生活をしていると言う言葉に惑わされていないか?
準裸になる場所は別だ。日本ではその点に非常に軽視して話が進むので、反論の言葉もなく、本当に恐怖だ。
前に、トランスジェンダーの人は異性を感じると書いた。これは、女性でも男っぽい人がいるとか、そういうレベルではなく、トイレなどで、真横にたったら、体つきやひげなど何かでぴくっと男だって感じさせるものを持っている。
感情を感じないように出来る人もいるかもしれないが、それは心に良くないことなので。このぴくっとぎくりは軽いと思わないで。深いもので、なぜなら性的だから、一瞬のことでも僅かな感じであっても、心の深部にあっというまに達し、傷つけ、小さくてもあとまで残る。治らない傷。女性にこのようなことを感じさせてはいけないのだ。軽くても性侵襲が色々重なってうつ状態のようなものになるから。
トランスジェンダーの何かの方が、女性の恰好をしていても、怒ると急に男性っぽくなったのを米国映画で観た。映画作る人はよくリサーチしている。完全に女性でなく、異性を感じさせるように転じることがあることは、米国人は知っていると思われる。又、昨年?、米国の割と安いスポーツジムチェーン店で、女子更衣室でLGBTQの方が、ひげを反りだして、びっくりした女性利用者がSNSに投稿し、そのジムは解約があいついだという記事をみた。
まずは、向こうの女性は日本のように感情を殺すなんてことはしないし我慢しないといけないことなんて思わされていない。解約というすぐさま自分を守れる行動に移せるということを感じた。
解約した女性側が理解力がないと非難されることなどない。日本だと年長者やネット民に怒られそうだ。
更に、肌をさらす文化である米国ではLGBTQと一緒のトイレや更衣室は全然平気(シャワーは個室だろうが)と思っている女性は多いと思われるので(又、言いにくいが米国などはナプキンでなくタンポンが主流でごみ箱のごみはほほ出ないしきれいだ。男性の体でも座ってするマナーも日本よりあるかな。)、一緒に一見問題なく使っている例はよくあると思う。
しかし、先程のように、突然、男性性が出るシーンがあって、ぎくりとさせられる。このことは、米国でもそれほど知られていないのだろう。長い時間のうちには、先程のようにやっぱりダメだということが出て来ると思われる。英国でも男女一緒のトイレにしたが、やっぱりヤダということになったという記事を以前に見たし。民主党一部議員もこの点がわかっていないというか軽視するか想像力が及ばないかだと思う。賛成できない。
本物の女性の方が解約という、つまりはじかれることになったわけだ。でも、方針を決める権限は、ジムの所有する施設なのでジム側にあり、嫌なら客側が契約しないということになる。女性側がはじかれているが、ジムはほかにもあるので、権利侵害まではいかないのだろう。でも、公共施設のような半強制的な場だったら女性側がはじかれる権利侵害だと思う。
LGBTQの方が皆、女性用トイレを自由に使えることを願っているわけでもない。誰でもトイレを探している人もいる。一部に、女性用トイレの全てに自由に出入りすることをねらっている方がいる。女性の側がはじかれてしまうのだということを理解してほしい。
日本はどうか。トイレ制限訴訟で自由に出入りできるようになり、最高裁としては進んだ考えなのだろうが、人権後進国の日本がそこだけ進んでいるのは奇妙な結果だ。中身は女性のプライバシー権への侵襲性が深く強制的で、「嫌な顔をしたくらいで」と表現したように、ノーを認めない。むしろ女性の権利が遅れている証拠だと考える。
判決後1年たって、その効力というか、自由に出入り出来る方針としたとのこと。国の庁舎には職員だけでなく外部からのお客さんも行くけれども、経産省など国の庁舎内においては、女性専用トイレがなくなってしまったのか。そのスペースが欲しいものだ。どうしてもという場合は我々が多目的トイレに行くのですかね。
ここまで詳しく書きたくなかったが、日本ではここまで書かないとわかってもらえないようなので、書かせていただきました。
日本において、プライバシー権とかそのようなもの(法律的な言葉は知らないので)はとても遅れているのかと言う疑問も沸いた。
最後に、公平中立な記事をみると、自分でものを考えて意見を形成しやすいものだとあらためて実感した。トランスジェンダーやそのトイレ更衣室の記事は、その場所が米国でも日本でも、抽象論で、何を指しているかよくわからないが一定の方向性だけはあって、気持ち悪かったし、反論しようにも、何を言ってるか具体的に判らないと、意見にまとまらず、反対意見がないということになってしまっていたようだ。言える意見は、犯罪が起こるかもということくらいしかなくなってしまい、そこまでは取り入れられないような意見となってしまっていた。
選択的夫婦別姓の反対理由として、子供を持ち出すのは、一部保守派の常とう手段。口をつぐませるだけ。子供のためにもならない。
以前(6月9日)に、選択的夫婦別姓が認められないことについての記事を書きました。最近までに自民党の一部からの反対理由として、子供の姓をどちらの親にするのか、一方の親と子で姓が異なることになり、そのことで子供がいじめられる心配がある、ということが言われるのを目にして来ました。
ずっと昔と言ってもほんの20~40年くらい前のことを思い出しました。女性が家庭内にいず外で一人前の職業を持つことすら反対する人が結構いた時代で、夫婦の姓とはやや違う問題ですが、根は同じと思って投稿します。
反対理由として、女性は家を守るべきと言う以外も、子供がかわいそうとか、子供の面倒を完璧にみられるまで外に仕事を持つべきでないとか、職場で突然、母親業もやっている女性に向かって言って、とっさにその女性は、この状態がいいとは・・という感じで、言い返せませんでした。私などがはたから見ていて、とてもいい母親でしたけど。そういう人に対しても言いました。そのことを言った男性は、その女性が否定出来なかったことを得意げに職場の色々な女性に言って回っていました。子供を持ち出すのは、女性に家にいて欲しい人の常とう手段です。とっさに反論しにくいことを言って、相手の口をつぐませるだけのこと。感じが悪いだけ。本当に母親が仕事で家にいないことがそんなに悪いのかというと、子供は寂しいでしょう、でも、当時、育児専門家からは、かぎっ子(子供が夕方に家に帰って来ても誰もいない為、子供に鍵を持たせ誰もいない家に帰る)よりも、母子密着(家の中に母親と乳児や子供だけ)の方が大きく問題に取り上げられていました。返って家にばかりいろと言う方が、母親としても社会性が育たず成長できないのだと思います。又、自営業で子供をかまっていられない人もいるし、子供は親の背中をみて育つと言う言葉もありましたが、女性が自分の意思で外で働く場合にだけ、そういうことを言われて来たのです。
選択的夫婦別姓での子供の姓の持ち出し方は、上記と同様の問題があると思います。
子供の姓をどちらの親にするかと言うのは、夫婦で話し合って決めればよく、国民を信じればよく、政府が心配するような問題でないという感覚が必要でしょう。
一方の親と子で姓が異なることになるのは、1つ屋根の下で暮らしていてそんなこと気にしないし、表札の名前が2,3種類(両親、その親)になったって、今でもそういうのはあるから平気です。政府は、こういうことに介入しないで下さい。
親子で別姓になることで、子供同士のいじめが心配だというのも、親子で異なる姓を理由のいじめは、それほど深刻とは思えないし、それによって選択的夫婦別姓制度を導入しないというほどの理由にはなりえない、というのが普通の感覚と思います。私はこれまでにも、離婚して母親と一緒に姓を変えた方へのいじめや、父親が転勤が多く何度も転校し仲間外れにされた方を見て来ましたが、それはもう残酷でした。が、企業に転勤やめろとは言わないし、女性が自分の意思で外で働く場合だけ、言われるのです。バイアスかかっていますね。
子供もいずれ大きくなります。結婚を考えた時に、親と同じ悩みを繰り返すことになります。人にもよりますが。子供の将来の為にも、選択的夫婦別姓は認めた方がいいのだと思います。子供を持ち出すのは、母親に口をつぐませるだけの、感じの悪い議論だと思います。今の中高生や学生さんも感じていると思います。子供のためにもならないです。
少子化について追加考察。国連人口基金は、出生率押し上げより男女平等を。日本の人口問題研究でも、結婚回避と出産回避との位置付けあり。
初めに、他の記事の引用があります。著作権に詳しくないが、気を付けてやります。ちなみに、私の記事はどの回も全部、引用していいです。
1.国連機関による男女格差や少子化の原因の提言について、自分が気になるテーマなので、昔のものでも、さわりだけはよく覚えているので、時系列に並べてみた。
国連による(機関名や時期は不明)男女格差の原因について、20~30年前からのもの。
・日本と韓国のはなんだかわからない。
・本当のことを言わないアジア人。(欧米人は意見を言う文化だが、アジア人は本音より周囲にあわせるのかも・・・。)
・日本と韓国は、女性に仕事か家庭かのどちらかを迫っている。
(私の、両立できないという意見と同じ。韓国の場合は、夫の世話をしろとかがあるみたい。)
国連機関による少子化の原因について。
・少子化の原因は、女性の反抗。
・国連人口基金の世界人口白書(2023年4月19日)によれば、出生率を政策で操作しようとすると、かえって女性に悪影響が及ぶそう。出生率にこだわらず、男女平等で社会や経済の発展を目指すべき、とのことだ。
少子化に対しては、出生率押し上げ政策より男女平等を、という国連機関の提言に賛成。各国共通で普遍的なものをまとめていて、具体的には各国にまかせると思うので、日本もこのことについて考えたらいいと思う。頭から、少子化の原因はこれ、とか言って、単一の原因にして、原因分析から入いって行くようなのより、男女不平等を治していったほうが、効果的効率的ということだと思う。更に各国の特殊要因も各国で考慮するのだろう。日本の男女不平等は、戦後くらいからの構造と両立できないこと。特殊要因は、医療が患者本位でないということ、言いにくいが医療を始め、性侵襲の深さもある。
私は少子化の原因として、医療・産婦人科や、日本の構造問題として仕事と家庭を両立できないしにくいことをあげてきたが、これは少子化の原因のほうから考えて行って得たものではなく、日々の不平等経験から、絶対に何とかしたくて、納得いくまで突き詰めて出て来たもので、結果として、これでは少子化になるでしょう、ということだ。
又、書きながら、私は都会育ちで大手企業の経験が長いけれども、少子化の原因として伝統的性別役割分担があげられると、周囲ではたまにそういうことを言ってくる人がいたが、地方、田舎の方のことなのかという感じだったので、その観点の記述は出来なくて、気になっていた。男女不平等そのものも追加したい。
例えば、今、国政の場で議論している、選択的夫婦別姓や皇位継承・皇族数確保問題だ。職業の差別については、20才代の頃、職場の女性と、差別ってやあねえ!と言い合ったものだ。自分より能力の低い後輩の男性に待遇や昇進で先を越され、自分一人すら養えない給料で、貧しくさせられ・・。姓名についても、苗字も名前も生まれた時から自分の一部であって、結婚する年ごろには、苗字を変えるのは自分が別の人に分裂させられるような気持ちで嫌だったし、苗字変更の各種手続きも面倒臭いし、しばらく会っていない人は紙の上の氏名を見ただけでは誰だかわからなくなってしまっていて、不利だった。家に男性を養子を迎えた時代と違い、今は女性が一方的に苗字を変えるが、男性はどう思っているのだろう、男性優位の発想が自然と身についてしまうのでは?女性もそういうものだと思ったり。だとすれば選択的夫婦別姓をあまりにも長く認めないことは、有害ですらある。
皇族数確保も、一度皇室の外に出た男性を皇族に戻す案って、何? そこまでして女性を天皇にしたくないのって、女性に対して何だ。感じ悪い。
2.少子化の原因は経済とか言ってるえらい人もいたし、日本ではジェンダーからの提言が見当たらないようだったので、ジェンダー学者も女性が両立して出来ないのかしらなんて絶望したりしたが、つい先日、発見!
国連人口基金の、出生率にこだわらず、男女平等で社会や経済の発展を目指すべきとの考えに近い提言が、24年前の日本にあったではないか! 24年前とはいえ、日本の構造が変わっていないので、まだ古くない。
人口問題研究2000年12月 特集:少子化と家族・労働政策その2 「少子化」問題のジェンダー分析(国立社会保障・人口問題研究所などによる)による。
その冒頭で、少子化現象を「結婚回避」「出産回避」として位置付け、(1)社会システム、(2)価値観・意識、(3)結婚・出産・育児コスト感の3つの要因群に注目し、特に(3)の軽減が急務であるとのこと。そのために3つ提言があり、第一に、出産・医療システムの中にリプロダクティブ・ライフ及びヘルツの観念を植え付け、女性の生涯健康という観点に立ったシステムに組み直す。又、育児サポートシステム整備。第2に固定的性別役割分担、第3に学校市民を通じて新しいジェンダーとリプロダクティブヘルス観念の普及とのこと。
(国立社会保障・人口問題研究所って国の研究機関なのですね。上記(3)結婚・出産・育児コスト感の軽減が急務、って20年前に提言が出ていたではないですか。どうして世間に知られていないんだろう。あと、冒頭は読んだが、真ん中部分の詳しい記述は、難しくてあまり読めなかったですが、以下に抜き書きする。)
P25 (2)出産コスト感と出産回避のところ・・・大量調査には現れ難い「産む」こと自体のコスト感が含まれていると考えられる・・・妊娠に伴う女性の身体的、金銭的、時間的心理的コストは著しい、妊娠・出産に関わる医療システムのあり方が、これらの単独複合のコストの増大に影響を及ぼしている、特に医者とのコミュニケーションが持ちにくい現状は、女性たちの心理的コストを増幅させているといえる。出産以前の心理的コストも同様の脈絡で存在する。・・出産コストそのものとしてあげられるのは妊娠中のコストで、出産体験に基づくコスト感として2人目の出産意欲に対して直接的に影響を及ぼしている。例えば、通院や産褥期の家事育児・・・初産の体験に問題があった場合は、次の出産意欲は著しく減退することも確認された。(大量調査には現れ難いとはアンケートで出て来ないことかな?)
p64個別システムの改善として・・・出産・医療システムと育児・サポートシステム。性と生殖に関する健康と権利を(日本の)出産・医療システムの中に明確に位置付けること。現状は男性志向、医療機関・専門家中心の発想で作られているが、当事者中心の発想のシステムへの転換。
私の若い頃の考えは、上の(1)社会システム、(2)価値観・意識の部分と似ていて、意識が古いから変えろとばかり思っていた。大人になるにつれて少しづつわかってきたのが、(3)結婚・出産・育児コスト感の部分である。
この提言は、1.の国連人口基金の出生率押し上げより男女平等をという提言の、日本における掘り下げになっている(20年前だが)と、自分では理解した。
但し、このジェンダーの視点からの提言だけでは、どこをどう動かしたら世の中が動いて変わるのかまでは、わからない。それは、政治(本質的な意味で)だから。この提言を読む前からだが、どうしても変えたかったので、何が根源か、ぴたりとくるまで考えたのが、私のこれまでの記事だ。ジェンダーやリプロだけでは出来なくて、社会科学の広めの知識とか、新聞の社会面とかコラムとかの記事がもとで、政治的意見だ。
3.日本では医師や医師会の政治力は結構あるのですよね。患者側はないです。外国では、医師会は政治力を持つものだろうか? 以前の原稿を書きながら思っていたが、書ききれなかったことには、少子化の原因をつきつめていったら、政治、ひいては国民性にあるのかもしれない。
以上
2023年は日本の合計特殊出生率1.20となり、過去最低かつ全国的にずっと減少している。最も低かった東京都の0.99について。
東京都内の産婦人科(婦人科だけでなく分娩までができるところ)っていうのは、
「(個人医院で女性医師のみで出産までするところは)、『都内では珍しい』」と、医院紹介記事にありました。個人の産院は全国的に半分くらいの人が産むようです。これが嫌で昔、友人が教えてくれて、都の南東のほうに1件女性医師のみで出産までする医院を確保しておきました。1件では不安なので、ずっと前ですが医師会かどこかに女性の産婦人科医院を教えて下さいと問い合わせたら、電話に出た女性に、あのう医療に男も女も関係ないんですけどと言われ、少しも教えてくれず、ぎゃんぎゃんやられ、返って傷つけられました。意地悪されたんですかね。南東のほうのも2代目で男女混合になっていました。最近では、多摩のほうに1件、分娩出来る女性医師のみの医院が出来て、国会議員さんで視察に行った方がいらっしゃるので、それくらい珍しいということです。遠すぎるし、一生懸命探しても、そこ意外1件もみつかりませんでした。都内はそんな状況です。この意味するところは、少なくて大変ということではなく、そのような望みをする者にとっての選択肢が皆無であるということです。驚愕しました。産めないではないですか。話しは前後するが、どうしたらいいと友人達とあせりました。現在は、1件だけ老院長先生以外は女性医師という産婦人科病院でいいところがありましたので、宜しければ探してみて下さい(不妊治療は男医)。高いようですが仕方ありません。このような病院を維持するためだったら私は払います。又、地方のほうが女性医師の個人産院いらっしゃるようです。
レディースクリニックで産婦人科って書いてあっても、出産前の健診までですからご注意下さい。大きい病院へ行くことになります。騙されるような感じ。
又、東京は大学病院も大きい病院も見ただけでもすごく多いですが、大きい病院のほうが安全と、個人医院から大病院へやられたり自分でいったりすることも多いでしょう。安全かつ人として優しい病院が見つかったのであればいいと思います。病院は信用して行けるのでなければ、かかりにくいけど、行ってみたら、運悪く、見学をされたり、研修生に会陰縫合されたり、実験台のように触られたり、お腹の超音波なのに上半身裸にしてバスタオル掛けてあるからいいと思われていたり、断ったらカメラで撮ってたとか裏切りもあって、じわじわ伝わってきています。大病院でのこのような機会が地方よりも多く、病院が恐怖の人も多いわけです。
これらが東京都の出生率が一番低い原因。
少子化の原因は、独身者が地方から集まって来る環境とか、子育て環境とかがすぐに上げられるけれども、そこを治しても、産まない人を産むに転じさせて少子化傾向を反転させることはできないと考えています。又、晩婚化が原因というのも、産みたければ女性は晩婚になる前に結婚相手探しますよ、お互いにアピールして交際も結婚もします、生き物はそうでしょう?、仕事なんかのためにかわいい子供を全くあきらめますか? 経済は表面の原因にすぎず、又、言いやすいのです。家庭(家事育児など)と仕事の両立困難でも一人くらい産みます、家族に子供がいないなんて嫌ですから。
両立できない問題は、産婦人科医や乳腺外科医でさえ、女性が両立して仕事をできないために、ニーズに答えられないということが、一般人の両立問題の先の更なる重大な問題で、タブーにせずに、表に出して欲しいと思います。
少子化問題は、可能な時期が来たら、医療界と産婦人科界にもふって、色々と改善・貢献させるべきだと考えます。産婦人科医のどこの会かわからなくなってしまったが、少子化問題に我々も何かしようと女性産婦人科医を増やそう働きやすくしようという、そういう改革の芽は、今現在あるようですから。もちろん不妊治療などでなくてです。