hateSyoushiの日記

少子化の本当の原因って、問題は医療、産婦人科が男だからじゃない?

別姓阻止その他の思想統制。徹底排除したいのだろう。

このブログ(2つある)を立ち上げた2023年初めから、言葉になりづらいことを言葉にして来て、読みづらい文章なのに、読んで下さった方々にありがとうと思っている。  立ち上げた比較的最初の頃から、教育関係の方(「キョク・・・」)が何度か訪れて、私のブログは、教育問題は自分の主張に関する部分だけなので、そこを読んで下さっているのかなと思っていた。先方のブログを読むことは、それまでもあまりしていないので、ここも詳しく読まなかった。  昨年2024年 6月から2025年1月に選択的夫婦別姓導入賛成の投稿を何度かした。そのあたりから、「日本」の「教育」を「再生」する趣旨の「ネットワーク」から頻繁にフォローがあった。なぜ頻回なのかな、どういう団体なのかと、気にしながらも、先方のブログは読まなかった。教育問題以外でも見ている感じがしたので不思議に思って、最後のフォローの時にクリックしたら、選択的夫婦別姓反対の決議をしたという議事であった。ああそういうことか、家族を持ち出して我々のようなのを悪者にし、わざわざ知らせていさめて意見を変えさせたいのだろう、私は思想統制されないよということで、それ以上読まなかった。最近ようやく暇が出来たので、やはり不思議だと思って調べたら、その決議以前にも「全国教育問題協議会」の別姓反対と阻止の議事などを知らせていたのだった。歴史のある団体らしい。かのネットワークはすなわちこの団体なのだろうか。こちらは個人でやっているが、団体として個人に言ってくる。別姓反対及び阻止にこう言いう団体があるとは知られていないと思う。団体としての意見は表で表明し正当な議論をしたらいい。ほかにどういう活動をしているのだろうか。  思想統制と言うなら、子供の頃から女性対象になされて来たことがある。男性は知らない。 中学生だった頃、学校内で女子だけに、内容はかなり忘却しているのだが、女性は家を守るべしという意味の、道徳っぽい雑誌の切り抜きだかわからなかったが、文書が誰だか分らないところから回ってきた。読んだ後の女子はそれまではつらつとしていたのに、し~んとなっていた。学校教育でも家庭でもそんな教育をされたことは皆無で、今でも印象に残っている。同時期に雑誌の付録の冊子と記憶しているが、妻が風邪をひいて寝ている部屋のふすまを夫が開けて、冷酷に食事の支度をしろと言う。それを議論するのではなくて、妻はそうすべきと奨励する内容だった。当時のテレビや新聞では家のことをやってから働いてというのが多かったが、そこまで人を締めるのは見たことがなく、奴隷労働かと思うほどだ。 しかし、このような文書・意見は通常のメディアでは見たことがないが、他の女性より情報を伝える媒体を見ている私としては、目にするのは珍しいことではなく、現在まで10年おきくらいに、誰が言っているのかわからない形で、経験している。誰かが何かやっていると思われる。   男女雇用機会均等法が1985年に制定された時、テレビでは、家のことどうするの?子供の世話誰がするのということで、外で一人前に仕事を求める女性は悪者扱いだった。テレビは一般人の正直な反応と思う。実際問題、当時の日本の家事は延々を終わらず、働くと家の中が滅茶苦茶になるというのが見えていた。政府・自民党は均等法などを施行するだけで、経済は所得を増やそうとするだけで、暮らしの中身を見てほしいと思っていた。それでも均等法は必要な法律で、育休や労働者のための法律も徐々に制定し、当時は政府・自民党の方が一般人より進んでいる感じもした。  ただ、均等法施行後、反対の人達が自民党に入って来たとあとから聞いた。違うかもしれないのだけれども。 均等法施行後、初めて就職した職場で、女子社員も戦力として使っている会社だったが、上司の中のどなたかの指示で、女子社員だけに、仕事はそこそこに家を守るべきという趣旨の文書が、回覧されて来た。もちろん会社の回覧ではない。働いている会社なのに嫌な感じ。  別の職場で、総合職の新入社員の内、女性のみに、家庭を守るべしと説いて回っている中間管理職の方が1名いた。上司から、働いてもらうために採用したのだから、そういうこと言うのをやめろと言われたそうだ。女性が総合職で採用される時、あなたは結婚しても働くかが聞かれるような時代であり、他の若い男性社員もそういう事情や背景は知っているが、思想統制するんだと驚いていた。そう、堂々と言わないで隠れて『思想統制』している! 一部の若い男性社員も、その管理職の方と一緒になって、家事や食事作りが全部出来て子供も育てられるようになってからなら、働いていいとか言い出した。一部だが結構いた。実際に共働きの男性社員から大変だよ~と聞いていたらしい。が相手の状況も知らずに生意気を言っている。人の人生を家庭のみに限定するようなことは、この憲法下の国でまるで2級市民で、人の首をしめるようなものだと、みんなで言ったら、若い方はやっと黙った。又、仕事がなかったら収入の道がない女性もいて、生きることができない、当時は母子の心中もまだ時おりあって、管理職の方も仕事と言うものはそうだと納得していた。現在、女性が外で仕事をすること自体を表立ってとやかく言う人は少ないと思うので、こういう話しは古いかもしれないが、まだまだ家のことは女性にやってほしいみたいで、現在でもこのような流れと思う。 何でも先ず反対する人もいた。別姓反対なんかそういう感じだろう。  25年ほど前、民間人で自民党とちょっと行き来があった人が、職場に帰社して、今、自民党は保守化している・・ということと、徴兵制をしいて女性も徴兵しろなんて言う意見も聞いたとか。子供産めって言ったり兵士になれって言ったり矛盾がすごいし、保守化っていうより強い意見が通る感じで、世間と乖離してきた。 数年前から最近、テレビのコメンテーターが、今自民党の中に女の人はいっていけませんよ、保守派の中には人を型にはめようとする人がいる、首相だった阿部さんは党内のリベラル派をグリップして来た、とコメントしていた。前々々回の総裁選で選択的夫婦別姓反対と女性天皇への反対(確か)のように第一に来るような問題でないことを応援の条件にするとか、政治を歪ませる。候補者選びや党員集めではどうか? ほんの数年前にネットをみていたら、昔の医師の片岡青洲の妻が、自分の身を犠牲にして夫の全身麻酔の人体実験を受けて失明したというふうに、たぶん歪曲して、女性は医学の発展のためなどの理由があれば自分の身を犠牲にすべしと言いたげな文章が、流れて来た。2回見た。美容外科医1名が街なかのAEDに抵抗感を示す女性が多いというアンケート結果をばかよばわりしたとか。性的行為にノーを言っている人に対し、殴っているのと同じ効果がある。嫌がったら心理的に傷つけられるのだから、言えなくして言論統制している。21世紀だっていうのに、おぞましくなった。 参政党の党首をテレビで見たら、さわやかではないか。それまで陰で誰が統制してるのかと思うことが多かったが、この政党は別姓反対や外国人排斥を、陰さず、堂々と言っているので、さっぱりしたのだと思う。支持していないし、外国人排斥など心苦しい。裏でやるなという気持ちが大きいのかもしれない。 どうまとめたらいいか分からないけど。ロビー活動は、表に出せとでもいいますか。

街なかのAEDの詐欺的説明2 誇大広告? AEDあること(購入、設置数増)前提の商業的説明だ。AED突出は危なくて蘇生後脳症にならないかは賭け。欧米は一般人の心肺蘇生が向上してから慎重に導入。

1.①AEDの一般市民による使用は2004年4月から解禁され、販売事業者が公や法人個人へ販売している。一般へ売る物であり、購入者以外にも同意なく使われ、又、公共施設内だけでなく路上や人混みや駅のホームにも使用される場所を広げており、ならば、誰にも害なく使用され得る説明にして頂きたい。売る際にAED中心の説明をしており、蘇生後脳症にならないかは賭けだ。質の高い胸骨圧迫重視の国際標準の本来の心肺蘇生法(BLS)を習得してからでなければAEDは危ない。救急車が来るまでの間に何をすべきかのような応急救護からはいり、国際標準の本来の心肺蘇生法の説明が必要だ。しかし推進者は、心拍再開を絶対視、蘇生後脳症を隠し、防げるかは賭けで、異性の抵抗感を無視し、啓蒙する気で、約300m置きに設置するというもくろみがある。AEDを美化し、心肺蘇生を人命救助のイメージにし、共鳴する人だけが駆り立てられ、一般人に救命士になれと言うようなものだ。 ②国際標準の本来の心肺蘇生法というのは、私が見つけたのを、ハーバードかつ順天堂大と、ドイツかつ2021年欧州蘇生協議会のBasic Life Support(BLS)の、日本人医師の2本を、私の3月記事(2.④⑤他に③~⑦)で紹介したので、そちらを読んでほしい。全部載せていないので全文を探して頂ければと思う。本来のBLSの予備知識がない状態で日本のを読むと、一般人も記者も政治家も洗脳される可能性がある。欧州蘇生協議会のは英語らしい。又、日本でBLSと言う場合、胸骨圧迫にAEDを加えたものくらいに単純化して言うことがあり、国際標準と思っていたら違っている。誤解させられない為に、元々の国際標準の知識が必要になる。BLSは救急車が来るまでの間にすることであり、患者の観察から始まる。 ぶっちゃけて言うと、救急車が到着するまでに10分ほどかかるが、一般人による蘇生措置がなく何もしないで脳に血液循環しない時間が長い状態で、救急車でAEDをやるので、蘇生後脳症の人が続出しそうではないか?一般人もAEDを出来るようにして救急車が着く前にやるケースも少し出てきたが、やはり血液循環させていないことは多そうだ。それで蘇生後脳症になる人が増えたと言えないか。 ドイツの日本人医師のを自分なりに解説する。題が「救急車を必要とする時に備えて」と、一般人は動きやすい。日本のように心停止から入る説明は、病院外の現場の実際と違うので、動きにくい。「Q:いつ救急車を呼ぶべきか?一番大事なのは意識レベル、呼吸の状態、循環・・他に救急車を呼ぶ例・・」「Q:救急車が来るまでの間に何をすべきか?意識レベルと呼吸の確認・止まった場合は即座に心臓マッサージを始めて救急隊が到着するまで止めない・・人工呼吸は・・乳児や幼児への心肺蘇生は大人と異なる」続けて「2021年欧州蘇生協議会のBasic Life Support」の一部が載っている。「AEDを取りに行ってもらいましょう。周囲に人がいない場合は患者の元を離れず、蘇生措置を開始してください。」(私のコメント:人が少なければ、AEDを取りに行くよりも、そばを離れずに蘇生措置を開始する方が大事だということだ)。「AEDとは?=電気ショック出来る機械。心臓の状態を自動で判断できる機能が備わっています。」(私のコメント:AEDが救命できる機械だという誤解を与えない。心電図の解析を行い、心室細動か判断し、心室細動の場合に電気ショックで一時静止させ、通常の拍動の再開を促すもの、無脈性の心室頻拍にも有効とも(私の3月記事1.②)という機械だ。)「蘇生のトレーニングが不足している場合、・心臓マッサージのみを行いましょう。・・AEDが身近にある場合、電源を入れて・ショックが推奨されない場合は蘇生措置を続け・・AEDがない場合は蘇生措置を続けて下さい・プロが停止を指示するまで続けて・自分の身体能力に限界を感じた場合も停止して・・蘇生措置を行うだけで循環が元に戻ることはごく稀です。従って成功が確証出来ない場合は蘇生措置を続けて下さい。」(私のコメント:蘇生措置がきちんと出来て血液循環させ続けた上で、救急隊が到着する前にAED実行するのであれば、後遺症なく蘇生する可能性は高まりそうだ。但し、それには数人の人手がいるので、いつでもできるわけでない。蘇生措置が手抜きになると救急隊のAED蘇生後脳症になってしまう。よって、BLSにAEDを取り入れるがAEDが使える場合と使えない場合に、場合分けをして、できることをしてあげればいいという感じだ。日本のようにAEDまで行かなければいけないということはない。女性へもやりやすく男女差が小さいと思う。) ③国内情報では事足りず、海外配信記事を探す。欧米では質の高い心臓マッサージの練習をする記事が目立つ。ドイツ・欧州蘇生協議会のようなBLSの基本ができていないと、AEDで強引に心拍再開させても、それまでに体が傷んでしまい返って危ないからだと思う。BLSの最初の方を習得するだけでも結構難しい。よって質の高い心臓マッサージの練習が最も重要になる。だからその記事も多いのだろう。そこまでをきちんと出来れば危なくないので、AEDを設置しているが、一般人の使用は慎重で、心臓マッサージの向上の方を進めている。一般人が可能ならやる。一般人は救急隊に引き渡すまでのことをする。 ・ヨーロッパの記事に「医療従事者が使うAED」とあった。日本の旅行者が、ヨーロッパで外に設置されているAEDを見て、AEDが普及していると思ったようだが、向こうの人は、医療従事者がいた場合に使うんでしょと言う感じかもしれない。 ・一般人のAED使用記事は、欧米は男女共にないがアジアは女性へAED使用記事が多い。 ・質の高い心臓マッサージをどうやるか医療者が工夫してる、胸骨圧迫の練習の記事が多い。 心臓マッサージで手を動かす時のリズムや速さをつかむために適した曲がよく紹介され ていて、講習だけでなく楽しいビデオを作ったり、義務教育の学校で訓練している。 「2013年6月19日AFP ドイツ東部リンゲン(Lingen)で18日、約600人の生徒が人形を使って心肺蘇生術を練習し、同時心肺蘇生の最多人数記録に挑戦した。(練習用人形を使って一斉に蘇生術を練習する生徒らの、心臓マッサージの練習をしている画像つき。)」 「ニューズウィーク日本版2017年5月19日 ビー・ジーズのあの名曲が命を救う? そのリズムが心肺マッサージにピッタリ・・イギリスではユーモラスなビデオで心肺蘇生法を紹介・トラボルタ・の背後でかかる音楽が『ステイン・アライヴ』『ア、ア、ア、ア、ステイナライヴ、ステイナライヴ』この『ア、ア、ア、ア』のリズムが、心臓マッサージにピッタリ・・イギリス心臓病支援基金BHFもその効果を認める。ドイツでは・・学校での心臓マッサージの練習にはリズミカルな音楽が効果的で、とくに『ステイン・アライヴ』が最適ということ・・早くから、学校で子供たちに心停止時の蘇生法を教えることに取り組んできている。心停止はドイツの死因で3番目に多いが、正しい処置を知っていれば救命できる可能性が高いからだ。2014年には52人の専門家が・・心停止のケースの60%から70%は少なくとも1人の同伴者の前で起こるにもかかわらず、心肺蘇生法が行われるのはたった17%しかない・・また、その多くは家庭で起こる。・・マドンナの『ライク・ア・プレイヤー』、ビートルズの『イエロー・サブマリン』、AC/DCの『ハイウェイ・トゥ・ヘル』なども心臓マッサージにいいらしい。毎分100〜120のビートが適するようだ(BBC)。」 ④ ③は10年ほど前だが、下記記事によれば、米国とカナダの2023年時点でも心肺蘇生にAEDははいっていない。それでも米国で心臓発作の人の生存率は高いと聞いた。記事の論文では、公共の場で一般人がCPRを受けたケースは男女ともに60%代だそうで、CPR実施率は結構高い。よって、AEDをやらなくてもCPRの普及向上により心臓発作の生存率は結構高くなる。又、CPRの女性への実施が少なく生存率の男女差があるのに対し、行う側の性別などに原因を求める。日本の推進者のように異性へためらわないでは、あり得ない。 「心臓発作時の救命処置 女性への実施少なく生存率に影響』AFP BB Newsフランスから2023年9月18日 心臓発作を起こした人を救命するために一般の発見者が心肺蘇生法(CPR)を行う対象は、男性よりも女性の方が少なく、これが心臓発作を起こした女性の生存率を低くしているという査読前論文が18日、公表された。CPRは、人工呼吸と胸骨圧迫を組み合わせた処置で、心臓が停止している人の脳に血液を送り込み、救急隊が到着するまでに行う救命方法だ。カナダの医療チームは、米国とカナダの・・4万人近い記録を調査し・・路上などの公共の場で一般人からCPRを受けたケースは・・男性は68%、女性は61%だった。調査を行った救急医、この格差は『心停止後の女性の死亡率を確実に押し上げている』男女差が生まれている理由について、公の場で本人の同意を得ずに女性の胸に触れることへのためらいが関係している可能性がある・・また、発作が起きる前、男性は胸痛を訴える人が多いのに対し、女性は息切れを感じる人が多い・・こうした違いから、女性の場合は、心臓発作を起こしているか否かの点において「認識の壁」が存在していることも・・そのうえで男女差を明らかにするには、CPRを行う側の性別などを含め、さらなる研究を要する。」  (私のコメント:一般人の心肺蘇生は人工呼吸と胸骨圧迫でAEDははいっていないが、それでも本人の同意を得ずに女性の胸に触れることへのためらいが、アジアより大胆な欧米でもある。実施率の男女差が7%とそれほど大きくないが、男女差の原因について科学的に調べている。心臓発作を起こしているかの認識の壁を除外した上で、社会的にも、公の場で本人の同意を得ずに女性の胸に触れることへのためらいの存在を言い、『CPRを行う側の性別』へ行きつく。おそらく男性から女性へは行われにくい。医師が論文などで言うことは、ここまでで、日本のように、異性へもためらわないでとか啓発が必要とか、権限を逸脱して言うことは、科学的でない。 ⑤米国はヨーロッパよりAED設置が多いようで、米国の心臓の学会か何かが、100か300メートル置きに設置を推奨というのを読んだ(今、探せなかった)。学会は米国内のあらゆるところでAEDがない状態を目指しているようだ。その理由は、医師がそうしたいからではなく、米は心臓発作が多いようだし、アメリカ人は気が短いと思うのだが速く意識が戻ってと言う、需要に基づくのではないか。医師としては、一般人のCPR(胸骨圧迫と人工呼吸を組み合わせた蘇生法で、BLSはこれにAEDが加わるような。)が男女共に実施率60%代と高く、CPRが出来ているならばAEDを使わせても大丈夫だから、進められると思う。 米国の旅行者のブログに、ある空港に本当にそのくらいのメートル置きに設置され、箱が緑色だという写真があった。一方、海外生活が多い女性のブログで、応急救護に興味があって2017年頃の講習で、米国はAEDまでやったが、ドイツは人工呼吸がありしっかりキッスしてと言われたがAEDはなかったそうだ。 ⑥日本の医療は米国を追っているとのことだ。「AEDの適正設置に関するガイドライン」(平成30年)があった。公共施設だけでなく、商業施設、交番、会社、ホテル、集合住宅とか、あらゆるところに設置したいらしい。米国を追っているとはいえ、需要に基づかないし、CPR、BLSなんてみんな知らないのにAEDを進ませ、欧米の心肺蘇生法と日本の財団などの説明と両方見ると、まるで違う。蘇生後脳症と抵抗感への対応もまるで違う。  あらゆるところに設置をと言う人は、女性が抵抗感が大きく恐怖なのにそう言っており、男性は救命できるから進めたい、異性の抵抗感への感性が乏しいのだろう、抵抗感はどうするのかと聞くと、だんまりを決め込むか、やんややんやしそうで、女性蔑視の可能性がある。実行率の男女差より、こちらの方がジェンダーギャップである。 ⑦米国は、女性へのAEDの取り付け方を、心臓協会とかが、普及を推奨する以上は、ごまかさずに説明している。アメリカ心臓協会の動画(BLS横浜 救命処置とAED 女性への配慮 米国の場合 2023.07.19 アメリカ心臓協会が2022年8月に公開)があって、女性の実行者が、女性の人形の上半身の服を素早く左右にはだけ、ブラをハサミで切断するというもの。実行者は女性になるだろう。男性だったら夫か恋愛関係にある者と思われる。ハサミで切るのは、AEDの装着は胸骨圧迫を中断してやるので、もたもたしていると血液循環していない時間が長くなってしまうし、パッドは心電図の解析を行うので、はだけ足りないと解析できず貼り治すと血液循環しない時間が長くなってしまう、と言う理由だろう。日本のように、救命は一刻も早くというのは、違う。 BLS横浜も「日本ではAED装着の際に傷病者に被せるシーツのようなものや、胸元を隠す三角巾の活用といったアイデアや、服の隙間からパッドを貼ればいいというやや現実離れしたやり方が提唱され・・特に服の隙間からAEDパッドを貼るというのは、救命のプロであっても難しいやり方。」私も、服をめくって出来るというのは、出来る『場合がある』だけで、出来るという説明だったので異性が持っていったら、着ているものを見て、これいったいどうやるんだ、ということになる。そして実行できなかったら持って行った人が負い目を感じるようになっている。保身と嘘の説明だ。米国やドイツのように裸にするのをごまかさないから、心臓マッサージを一生懸命やろうとか、女性を呼んだり人垣を作る行動が出来る。それで男女差を縮めることになる。 ⑧日本の、蘇生後脳症が増えている、社会復帰率が低い原因は、モルモット意識から来ると思う。「近年(2015年時点)、心肺停止の蘇生率が上がると共に、蘇生後脳症にかかる患者さんが増えています」(3月記事2.④)。「(昨年)蘇生措置後の社会復帰率は14%くらい(消防庁のデータ)」(3月記事1.⑧)。「社会復帰率とは・・特に、心肺停止状態から救命された人が、どの程度日常生活を送れる状態まで回復できるかを示す指標」(googleのAI)。 現在の方法では、蘇生・救命されても、日常生活を送れる状態まで回復できる人は14%とはすごく少ない。他の人は蘇生後脳症なのだろう。欧米の社会復帰率は不明だが、今までの自分の記事を見て、低いとは到底思えない。 社会復帰率は以前は10%以下くらいで「蘇生で数字がかなり上昇した」(3月記事1.⑧)とのことだが、この低い率のもとでは、蘇生後脳症の重大性に鑑みて、率でなく患者の絶対数をみるべきだ。患者数は不明だが、率の変化があるので、分母と分子に仮の数字を入れて考えられる。外で心停止した人の数は変わらないと仮定して、分母は蘇生された人の数、分子は社会復帰できた人の数、社会復帰できなかった人と足すと分母に一致。蘇生措置が増えて蘇生された人が80人から100人へと20人増えたとし、早期のAED使用や胸骨圧迫などで社会復帰率は10%から14%へ上昇したとして計算すると、社会復帰できた人は8人から14人へと6人増え、社会復帰できなかった人は72人から86人へと14人増えた。社会復帰率が少しくらい上がっても依然として低いやり方のままでは、社会復帰できないほどの人は100人中86人と多く、増え方も14人と多い。但し、早期のAED使用と胸骨圧迫が行われた状況に限定すれば社会復帰率はもっと上がるだろう。それで社会復帰率が低い要因を、初動の遅れのほかにAED使用率が低いからで、AEDを早期に使ってもらおうという議論をしていたりするのだが、使用率がこれ以上上がる可能性は高くなく、出来ると思っているのか。欧米のようなCPR・心臓マッサージの普及向上が蘇生後脳症を減らすのに。こうしている間にも蘇生後脳症の患者が増えてしまう。この状況でまだAEDを使ってほしいとするのは、モルモットにほかならない。AEDで蘇生率の上昇を目指すのでなく、蘇生後脳症は忍びないので、その患者数を減らすことを考えるべきだ。 ⑨心臓マッサージが日本でなかなか普及しなかったらしい。又、「バイスタンダーCPRの実施は頭打ちになっている?―日本、韓国、シンガポールでの国際比較、京都大学2025年2月7日」。だからAEDを普及させようとでもいうのかな。心臓マッサージが普及しなかったのは、みんな仕事で稼がないと余裕がない、人が倒れても心停止は普段遭遇しないので自分に関係ない気がする、人が倒れた場合にどう対応するかから入った方がいい、人工呼吸までやるのはキスハグ文化でないアジア人はドン引きする、心臓マッサージは裸の男性の人形で原則的方法で解説するが、女性へはどうするのか、服を着た女性にすやるイメージ画像でも示せばいいのに、女性に優しくない(女性へ配慮した胸骨圧迫のやり方は3月記事(2.⑦))、あなたの勇気でとか言う指導者がいて、まだ従順な学生なら言うこと聞くだろうが、大人は僭越に感じる。7月にNHKで、蘇生後脳症にしないように胸骨圧迫を一生懸命やるものが、今、大学の方で広がっているというニュースがあった。学生なら受講させられる訳だが、一般人にも、欧米のように、心臓マッサージなどのやり方を工夫して教えればいい。 ⑩昨年頃のAED推進者の啓蒙と、セールスと、導入時の手順だけの講習により、AEDで絶対的に命を救わなければいけない(正確には心拍再開するだけ)イメージが役所や法人や人々の頭の中に、出来てしまった。こういう論者の場合、社会復帰率が低いね(蘇生後脳症が多い)と指摘しても、社会復帰した人もいますという反応しかない。ああ言えばこう言う。分脈全体が問題なので、いったん全部ひっくり返すべきだ。 その為にも、巨大地震が起こる国なのに我々は初歩的な応急手当も教わっていないが、応急救護全体を国際水準(米国はやや異常だから欧州)でやり、国際水準の患者本位のBLSに日本のを置き換えたらどうか。先のドイツやハーバードの日本人医師のだと、すぐに頭に入るし心理的に迫られずに落ち着いた気持ちで読める。嫌な気持ちになるようなのは、人間扱いしていない(モルモット)のだ。最近のAEDの説明だと、巨大地震でもAEDを多用し、医療機関が混んで治療につながらないのに、苦しませるだけで再び亡くなるとか、使わない方がよかったということになりかねないし、応急手当の方がおろそかになる。 ⑪話しは少しそれるが、コロナ禍で政府が医療の専門家を集めて対応している時、当時の菅首相が「何言ってるのかわからないんだ」と言われた記憶がある。違っていたらすいません。これは医学の専門用語が難しいのではなくて、2月に書いたように大学等の医師らの追求して来たものが抽象的な生命健康で、研究や論文で、こちらは自分や家族の健康という目線だが、研究だと人体と患部で、何度聞いても理解しがたいというようなことではないか。外国へ行っていた方を招くことになった。都知事も週末勉強会までやったりロックダウンとかの外国を見てやっていると言う記事があった。ということは、元から変えないと次の国難でも何言ってるのかわからない話しへの対応が大変だ。 又、コロナの時に感染症法が改正されたけれど、担当議員が、厚労省の最初の法案を、基本的考えが違うよということで、一度差し戻していると聞いた。松本モデル(病院の在り方の長野県松本のやり方、コロナでも松本モデル)や、選択と集中、私は正確に表現できないのだがそんなようなことも。議員の側に、あるべきを示せるほどの力がないと、厚労省の言いなりになる。変な言い方だが仕方ない。厚労省の言う世界に冠たる日本の医療というのは、自画自賛だ。元から少しずつ変えないと大変だ。 2.①昨年頃からの、AEDを売る際のセールスや、AED財団の一般向け法人向け手順と説明を読み治して問題点を考えてみた。説明される分量が多いところへ、AEDが「救命率」をあげるという記述が多く、心拍再開第一に目標を設定しており、蘇生後脳症を防ぐ意識が乏しい。本来の心肺蘇生法と異なるようで、医師から何か指摘があったのではないか?(「・・最近の議論」新聞)かすかで見逃してしまった。AEDを必ず使うという初めに結論ありき、メリットを切り取って繰り返し、あとは手順の説明で、手順通りにできればきれいに救われるが、人々が現実に実行できるかを考慮せずに、実行せよという無理なものだ。医師の監修等受けているとはいえ、元の医師の説明がそうだ。 ②救命を歌ったせいか、よく売れたようだが、「設置数が世界一」「使われないと言います・・それなら競技場に設置すればいいでしょう(医師)」(Yahooニュース)、「低迷する使用率」(毎日新聞)との記事。失敗だ。 ③セールスの、とっつきやすい方の説明を取り上げた。 「AEDによる救命措置が生死を分ける」(セールス)。救命や生死という、アドレナリンが出そうな言葉へのすり替えがある。3月に指摘したように、医師が救命と言う場合、心拍再開を指し重度障害が残っても心臓が動けば救命と言う。「AEDによる救命措置」を主語にし「が」という主語以外を排除する意味合いを持つ助詞を用い、「生死」を強調した。AEDは心拍再開の可能性が高いだけだが、人の命を救える素晴らしい機械と言う印象を与える。 「早期のAED使用と胸骨圧迫が救命率向上の鍵」「救命には一刻を争う」(セールス)。  これをやるには、胸骨圧迫する人、救急車を呼ぶ人、AEDを取りに行く人、女性なら人垣を作るとか、多くの人の連携が必要で、協力者がいればきれいに救えるが、できない場合は多く、よって連携可能な場合だけを前提とした説明になっている。人がいない場合は、色々とばしてとにかくAEDを取りに走りそうで、それで失敗しても説明が悪いのでなく、出来なかった我々が責任を感じるようになっている。AEDをせかせれたら、重労働な胸骨圧迫をとばし操作の簡単な機械であるAEDに頼りやすくなりそうだ。路上の人を急かすのは危ないが、そう指摘しても、無理しないようにくらいしか言わないのが日本の医療だ。 「心停止すると脳の血液の流れも停止し、それが約6分続くと脳の組織がダメージを受ける」、「心停止した人に速やかに心臓マッサージ等を行うことで脳のダメージを最小限に抑える」(セールス)。6分間はダメージを受けないみたいでAEDを取りに行く時間的余裕があるように見える。蘇生後脳症の重大さを想起させない。私が読んだものでは、循環が途絶えても脳にも血液が少し残っていて、どうやら5分かそこら以内は大丈夫ではないかということで、何分かは不確実だ。6分以内に持って来られなかったらどうなるのか。蘇生後脳症にならないかは賭けになる。持って来られなかった人の責任か。又、発見時に経過時間が分かっていないケースを考慮していない。 ④日本AED財団「心臓突然死の対策などAEDの知識」は、全体的に救命、救命率という言葉が多い。災害時の人命救助みたいで、必ず心拍再開させなければいけない気にさせられる。救命と言う言葉は総合的で、心拍再開、蘇生、蘇生率や生存率が正確な用語だ。心肺蘇生を誤解する。心肺蘇生なら、脳への血液循環停止のイメージがわき、もっと気を付けてやるようになる。「胸骨圧迫をするのとしないので救命率は約2倍違います。AEDを用いて電気ショックが行われれば、約7倍の人の命が救えます」全体の印象が伺えるこの部分を書き出しておく。又、主張を通すために特定の病気を取り上げるのも多い。 ⑤背景というか、日本の救命救急医療は、米国や外国のERとだいぶ違うらしい。随分前「高度救命救急センター」設立など、それまでの『救急外来』より『救命』が多くなり、当初議論があったと記憶、違和感があったが、その後、「1.⑥救命医療の現実・・重度障害が残って、家族に莫大な費用がかかるのを知りながら救命している・・心臓が戻っても、苦しませるだけで、再び心臓が止まっていく(私の3月記事)」とネットで読んだ。高度救命救急医療が心拍再開が第一で後遺症は医療の発達のためにやむを得ないみたいになっていまいか。その結果、今回のような病院外での心肺蘇生もその延長線上で考えてしまい、心拍再開のみに優れるAEDを突出させた。又、AEDで元気に回復した人の事例や、AEDがなかった為に亡くなった人の事例を出して、情緒に訴える。又、導入自体を目的としている。どうして財団を作るのだろう。 3.「女性へのAED使用をためらわないで」(セールス、地方行政)男性が女性へもためらわずAED実行することを、世の中の仕組みにする勢いで、自己決定権侵害と考える。 ①ためらわないでって言われるの女の人、嫌ですよね。本人の意志を無視して何でそちらが言う権利があるのか。外でのAEDの奇矯さから、女性の抵抗感は一般常識でもわかるし、アンケートでも出ている。ところがAED推進医師やセールスの説明では、女性の抵抗感は一切出さない。男性も女性へやれという啓発という名の調教をし、服を脱がせることを一生懸命に矮小化する。私の第一稿に書いたように、病院は昔から嫌がるなと調教していて、慣性の法則でやっている。実際にAEDをやるかやらないかの話しでなく、ためらわないでということ自体に、自己決定権の問題があると考える。 ②女性の抵抗感はアンケートで出ていて「フィリップスについて ニュースセンター | 日本healthyjapan banner 9 15, 2018・・つなぐヘルスケア編集部・・AED使用時のプライバシーに関するアンケート調査を実施・・医療従事者以外の一般の人が救助にあたる場合、『AEDを使うために異性に衣服を脱がされること』について、女性の合計86%が不快感、もしくは抵抗感を感じるとの回答結果で・・周りの人から見えないようにしてほしいという要望・・回答をふまえ・・救急救命士に、プライバシーに配慮した対応方法と、実際の場面での流れを聞いてみました。」 外国のメーカーは、同意なく衣服を脱がす医療行為に、きちんと気持ちを確かめる。抵抗感があることが分かったら、プライバシーの配慮方法を考える。  ③日本の医療者は、女性が抵抗感がある嫌だと言うことに対し、「意識がないから、やっていい」と言うスタンス、こちらは意識のなくなる前後があるので嫌だが、話しは通じないというか、聞くつもりがない。患者の自己決定はない(後述のエホバの証人判例)。年齢が高い人だけでなく若い人もだ。抵抗感があることを認識してしまうと、対応しないといけないから、面倒だからあえて無視するという、昔からの知恵があるようだ。私の2月記事(Ⅱ10①)「羞恥心は無視される」で心理面を考慮せずことを進めることを歴史的にやっている。 ④やる方の男性にとっても、ためらいは内心のことで、他人がためらうなと言うのは僭越だ。内心でためらわないだけでは意味がないので、使えと言っているのと同じ。躊躇なく実行をソフトにしただけ。男性でも女性へ使えと言っている。やる人に対しても心理的性的虐待だ。 ⑤事故があったから躊躇なく実行と言ったようだ。都のマラソン大会で女性が心停止状態になり、AEDを持って行ったのが男性で、女性だから使われなかった、救急車が来てAEDをやったが、という昨年の新聞記事。ここから先は憶測。ユーチューブをみたけど、患者家族は、BLSを知らないだろうから、AEDを使わなかったから寝たきりになったと言われたら、AEDどんどんやってくらい言うだろう。家族がそう言ったから、躊躇なく実行とか、ためらわないでとか言い出したのかも。しかし、蘇生後脳症になった原因は、男性でも女性へためらわずにやらなかったからではない。胸骨圧迫もしていない感じがするが、大会準備でAEDを設置しただけでBLS訓練はしていないからではないか。だとすれば杜撰。女性へ配慮したやり方を検討せず実行者を女性とか協力者を募って人垣を作るとかの話しもしていなくて、保険局が教えてあげないからだ。AEDとかばっかり言ってるのと羞恥心を無視して論を進める医療界が根本原因だ。自分らがすべきことをしていないのに、ためらわないでと言うことで、保身をはかり、持って行った男性のせいにしたり、一般女性の気持ちを踏みにじった。病院は医療ミスがあった時に責任を立場の弱い人のせいにすることがあるのは聞いているから十分推測できる。又、都の保健局もホームページにためらわないでとか書いており、他の地方行政も真似してるのがあり、医師や行政が言うならセールスもそれにあわせるから、一斉にそう言いだした。これを既成事実として世の中の仕組みにしてしまう勢いだ。自己決定権侵害だから、都は取り消すべきだ。 又、(男性でも女性に対し)躊躇なく実行と医師が言ったために、現場に近い方が困って、下着をめくって出来るとか言い繕わなければならないようになったのだろう。 ⑥セールスが、法人担当者に、女性は抵抗感がありますと正直に言ったら売れないだろう。売るために、異性の抵抗感にも実行者の性別にも触れず、女性へもためらわないで使って下さい、セクハラにならない、やらないと救命されないとか、下着を脱がせなくてもめくって出来るとか説明したら、一般常識では女性が嫌がっているものをそんなふうに言わないから、法人担当者を、女性は救命のためなら嫌でなくなるのかな、女性はそれでいいんだな、使われる方を望んでいるんだな、と誤解させるのに十分だ。こうして既成事実として世の中の仕組みにしてしまう。 ⑦mxnテレビ7月後半、「めくってできる」「セクハラでない」の文字、男性出演者1名が若い女性2~3名を前に解説。女性はテレビで露骨に嫌な顔を出来ないという表情。始めから見ていなかったが、女性1名が固い表情で「それでは・・(AEDを使われた方がいい)のですか」確かそんなことを言った。調教している。これは行政(めくって出来る)とセールス(セクハラでない)、推進医師(異性へもためらわないよう啓発)がやっていることそのまんまで、そこでは抵抗感をスルーするが、更にこの番組では女性に向かって使われろみたいな内容だし性的部分ばかり取り出してる。 ⑧結果として、セクハラでないとか言ってるけど、異性の抵抗感を無視して、女性へのAED使用をためらわないでと言うのは、自己決定権の社会規範上の問題があると考えている。「自己決定権に関する重要な判例は、輸血拒否訴訟における2000年最高裁判決です。この判決は、患者の自己決定権を憲法で保障される人格権の一内容として初めて認め、医師の説明義務違反は人格権の侵害にあたると判断しました。また、自己決定権は憲法13条の幸福追求権に由来し、自分の生き方や生活スタイルを自由に決定する権利であるとされています。(AI)」判決文を読んだら、患者が書面で何度も頼んでいるのに対する反応もなく、輸血できないと手術出来ないと断ったらいいのに、みごとにスルーして手術してしまった。「判例が社会規範となるのは、裁判所が特定の事件について下した判断を、その後の同種事件の裁判における先例や基準として尊重するからであり、特に最高裁判所判例は、条文の解釈を示し、社会全体の秩序を維持する重要な規範として機能します。判例自体は法令の形式を持つものではありませんが、裁判所間の判断基準を統一し、裁判の公平性を確保するとともに、人々が従うべき「暗黙のルール」としての役割を担うため、社会規範となるのです。」(AI) 4.「女性へのAED使用をためらわないで。下着はどうすべき?」(セールス)は、プロパガンダ。 セールスが、女性医師に依頼して書いてもらっているので、セールス側の意向に沿うに決まっている。ジェンダーギャップの問題は社会学者に任せて医師は男女差の原因を科学的に調べるところまででいいのに、医師の専門外の過剰なことをしている。事情を知らない男性は、女性である医師が女性へもためらわずとか言ったら、女性医師が一般女性を代弁しているように見えて、男性もやるべきだと勘違いする。現場の状況による自己決定のはずだ。データ上、実行率の男女差を縮めたいだけの医師と、売りたいセールスが合致して、実行率の男女差を大げさに問題視し、AEDによる救命は非常に重要と大げさに言い、男性でも女性の胸をはだけさせて装着すべきと言う内容のことを、微妙な言い方で洗脳してくる。 学校構内で心停止に至った日本の小中高生へのAEDの使用において、「特に高校・高専では、女子が約56%、男子が83.2%と大きな差があります・・これは女性の衣服をはだけさせることに対してのとまどいが、重要な救命行為を妨げている可能性があるということです。」学校と街なかでは事情が違うのに、街なかへ設置する法人へ売る際の説明の中で、学校の例を出すのは、男女差の大きい例を出して強調したい意図だ。とまどい自体は指摘してよいが、救命を妨げるとはどこにも書いていない。ニューズウィークの記事の論文もとまどいが関係すると言っている。とまどいが救命の妨げになると言ってしまうと、とまどってはいけないんだと洗脳するようなものだ。 「心肺蘇生やAEDは実施が遅れると・・命が助かったとしても、重度の障害が残る可能性が高くなるのです。異性へのAED装着をためらわず行い、男女差のない救命活動を実施することが非常に重要であることが分かります。」重度の障害が残らないようにするには、『すぐに』『絶え間なく』血液循環させるのに胸骨圧迫するのがBLSの基本で、普通こういう言い方はせずかえって誤解を与える。杜撰なBLSでAEDやられても重度障害になる。異性へのAED装着をためらわず行いとまで言うのは、自己決定権侵害だ。男女差のない救命活動が『非常に重要』とは言い換えだ。世界の医学界では、男女差があることの指摘はあり、すると、(1.④)のように医師が原因を科学的に調べて論文を書き社会に提供するところまでをやる。日本では男女差があると『啓発する必要がある』と医師が論文で書くのが定石かもしれず、私の第一稿で書いたように、性的医療行為を嫌がる女性に対して嫌がるなと調教することを、慣性の法則でやっている。感じが悪い。 AED使用率の男女差は、社会の方では世界でも、たいして問題にしていない。私が2月に探した時に今ちょっと出てこないが、スェーデンの女性への使用率が日本の女性の使用率と変わらなかった。男女平等の国と比べてそうなのだから、使用率自体は問題ない。ずっと以前に北欧でAED使用開始の頃はジェンダー学者の女性が男女で差があることを問題視していたが、胸骨圧迫重視のCPR、救急隊のAED蘇生後脳症の危険とか知る機会が増えて、今も問題にしている話しは聞こえてこない。むしろアジアでは女性へも使われている気がする。学校や競技場などで配慮可能なのに配慮不足なことを問題にしている。 「女性のAED装着に関して正しい知識を得ることは、もしものときにとまどわずに行動できることに繋がり、・・女性の方、協力してください!・・そこのスーツの男性、手伝ってください!・・胸部の露出が必要です。着衣や下着をはずす必要がありますので、協力者にAEDや傷病者に触れない位置で周囲の視線を遮ってもらい、・・協力者に女性がいる場合は、AED装着を手伝ってもらいましょう。」全部が気持ち悪い。スーツの男性だとか、協力者に女性がいる場合はとか、わざわざ男性を出す必要はないのにあえて示唆している。色々細かく書いたって、素肌の胸に取り付けて心電図の解析のようなことをするのだから、心電図を取ったことがある人は多いからわかるだろう、胸を裸にしないと、それこそ、一刻も早くできない。わくわくする人が出てくるだけで、女性を救うことにはならない。実行者は女性で人垣を作ることこそ、示唆すべきことだ。 先の、フィリップスのつなぐヘルスケア編集部ではアンケート結果を受けて、プライバシーに配慮した対応方法と実際の場面での流れを、日米で学んだ救命士に聞いており、「救護者で人垣を作るがベスト・・女性なら女性に多く声をかけて・・呼吸や意識の有無を確認する人、119番通報する人、AEDを取りにいく人、施設の管理者を呼びにいく人、救急車を誘導する人など・・AEDを使った心肺蘇生活動には、多くの人のヘルプが必要・・」 こういうことに対し日本のAED推進者の中には、女性には女性がすることにしたり、人垣を作ってあげるとかしていたら、救命に間に合わないから、教えてあげないで、異性へも実行するように言う厳しい人もいる。厳しすぎて人は動かない。  「救助の様子をスマートフォンで撮影する人を止める」今は、防犯カメラがそこら中にあって、リアルタイムで見られる。 「女性の傷病者だからとAEDの使用が遅れることのないよう」「救命率に男女差が出ることは、避けるべき事態」外でのAEDはそもそも病院でやるより遅れるもので、だからBLSが大事なのだ。AED実行率に男女差が出るのは当たり前で、生存率(救命率とか言ってる)に男女差は少しくらいあって、避けるべき事態とは女性がそう望んでいると思われる。AED実行でなく、きちんとしたBLSでやることこそが男女ともに生存率と社会復帰率を高める。怖いことに、日本の心肺蘇生の社会復帰率が低いもとで、救命率の男女差は避けようと頑張られると、重い障害になるかは賭けなので、男女差を避けると言うのは、返って恐ろしい。 ためらわないでとか下着をめくってできるとか見過ぎたせいか、気分が悪くなり、血圧を測ったら、通常より20高かった。ストレスでも病気のなると言うが、病気の元を作られる。 5.否応なく視界に入ってくるステッカーと、目立ちすぎ本体。心理面を考慮しない。 AEDは奇矯だから、街なかで、ステッカーも本体もあまり見たくない。が、抵抗感を抜きにしても、ステッカーの赤白色のハート形は、救急車や心臓発作を連想し、日常生活で普段から心臓発作を意識させられたくない。心理面を考慮してほしいものだ。 どこにあるかわかるよう目立つところに張って下さいとセールスと推進者が言うのだろう。 商業施設にあるようなオレンジ色の小さ目ステッカーが視界の隅に入ってくるので十分。 毎日、外へ出ると、あちこちにあって、突然視界の真ん中に飛び込んで来るのが嫌だ。 避けて通り回り道することもある。行き先のステッカーがすごいと行く前から気になる。 マンションの入り口の目に入りやすい場所に貼ってある場合は、帰ってくるたびにみなければならない。自分の住んでるマンションだったら、耐え難い。 すごく大きいのが貼ってあるところは、AED=救命を信じすぎているのかな。 職場でAEDがある時、同僚男性にどう思われているか気になる。やらないと思うけどね。 現金引き出しにATMへ行くと、どんと置いてある。行かなければいけないのに気が重い。 義務教育の学校の出入り口の両側にステッカーが貼ってある。小中学校の9年間、視界に入るのを免れられない。かわいそうではないか。 学校の校門の真横にど~んとしたAEDがたっている学校とか、学生・生徒が男子も女子も毎日、1年中、その横を通って登下校するのに、。女子は嫌な思いを感じながら通学か。 駅の改札の客が通る真横にAEDが立っていた。毎日至近距離で通勤し、免れられない。 公共施設は、すごく目立つところに貼ってあるから、なるべくもう行かない。

2025年都議選と参院選 選挙結果の勝手な比較

 6月の都議選では、小池さんが今回は関わったという都民ファーストの会が伸びて第一党になり、国民民主党と参政党は都議会で初議席を獲得し勢いがあって、でも程度押さえられていたといいますか。  都議選の時、投票日直前に自宅に各党が政策・公約のビラを入れて、今までどおり、こういうビラを見ても迷うばかりだったけれども、都民ファーストの会のビラを見たら、他と結構違って、内容豊富というか、各方面に目を配り、ビラをみて初めて、あらいいわねって思いました。これは都民ファーストの会が強いなと投票日前日に思いました。  今回、7月の参院選は、都議選と日程はすごく近いが、国政に都民ファーストの会は出てこないこともあり、彼らの支持者にとって受け皿なし、それもあって参政党と国民民主党の躍進が目立った、と勝手に思っていて、それで腑に落ちたことにしている。都と地方の違い、国政と都政の違いというのはあるけれども。  私はよく、不満なことがあっても、誰かが悪いのではなく、自分があるべき姿を打ち立てられないのだとしてきた。現実というのは、誰かの責任にしても解決しないので。厳しい考えではあるけれども。

街なかのAEDの詐欺的説明。救命と言うが、重い後遺症が残り多額の費用がかかる事例が多い。本来はBLS(Basic Life Support)とか心肺蘇生(CPR)と言い、後遺症なく救える可能性のために、意識呼吸確認と直ちに心臓マッサージが最も重要で、その普及向上が先決だ。

まとめ 街なかのAEDの詐欺的説明。救命と言うが、重い後遺症が残り多額の費用がかかる事例が多い。本来はBLS(Basic Life Support)とか心肺蘇生(CPR)と言い、後遺症なく救える可能性のために、意識呼吸確認と直ちに心臓マッサージが最も重要で、その普及向上が先決だ。最近の一部の議論は、救命とAEDが突出しており、無理な話しで、もくろみに過ぎない。返って、倒れた人への注意事項や応急手当がないがしろになったり、重度障害が増えたりするきらいがある。又、一部医師と都を始め一部地方行政が、AEDの異性への使用をためらわないで、と言っているが、そこまで指図する国はなく人々の側の判断であり、やり方があるはずで、こちらが考える。 1.①数年前からビル入り口のドアガラスに、赤いハートが破れたステッカーを見るようになりました。昨年は気付いたら、このステッカーと赤白のAED装置を、駅、交番、銀行ATM、公共施設(都の施設が目立つ)、一部商業施設、一部ビル、一部学校の門、まれに宿泊施設やマンション等、色々な場所で見かけるようになりました。あれは心停止した時に、裸の胸に取り付けて電気ショックを与えるものではなかったか?街なかでこんなに多く見かけるのは、女性としてショックでした。(尚、この記事では街なかとは、外や繁華街だけでなく病院や救急車以外の色々なところを含めています。) ②AED自動体外式除細動器)とはで検索しました。 グーグルのオックスフォード辞書によると、「自動体外式除細動器心室の細動で全身に血液を送れないとき電気ショックを与えて、正常な機能を回復させる装置。空港・駅・学校など公共の場に設置。」心室細動とは不整脈の一種で、心停止の一種と言え、心室細動による不整脈の時、つまり心臓がけいれんしている状態の時に、電気ショックで一時静止させ、通常の拍動の再開を促すもの。無脈性の心室頻拍にも有効だそうです。又、すべての心停止に有効というわけではないようです。又、日本での設置場所より限定的な気がします。 ③AED その他の言葉でも、おそるおそる検索しました。 論理飛躍があり情緒的で途中から意味が通らず、AEDまで必ず実行させる説明で、医療だから法的セクハラでないので訴えられないから、それでいいとするような説明が、たくさん出てきて、胸が苦しくなりました。 ④AEDの設置台数は、現在の日本は世界有数で、一人当たりのAED保有率は世界一だが、使用率は低迷しているとのことです。使われないのが課題とのことで、使えと言って来ます。日本では一部推進側が「救命」を前面に出して来るので、納得でなく横並びでとりあえず設置したから一挙に増えただけで、使われないのは、現在の説明が、本来のというか国際標準のBLSから論理飛躍があって、人が動けるようなものにはなっていない、人に厳しいことを要求しているからだと思います。欧米では、一般人でも科学的思考があるようで、欧米先進国の設置台数の方が適正で、日本の設置台数世界有数は誇れないですね。 ⑤AEDの装着について、右胸の素肌を乳首近くまで出さないと電極パッドをきちんと装着できない、上半身が半分裸です。服をそこまで脱がします。電気を通すので金属も水分もだめなこともあって、本当は上半身裸が原則だそうです。水分があったら拭き取ります。 女性の右のブラジャーを少し下げます。ブラには金属のワイヤー入りがよくあり、したまま電気を通すと火傷しますが、軽いので、ブラしたままでも「いい」ことになったそうですが、こちらとしてはブラ姿にされて「いい」わけがない上に、火傷のあとがぐるりと1周残るので、ブラしてままで「いい」と勝手に決められても困るのですが、ブラをはずすかしたままかは、その場の状況判断でしょう。 左側のお腹に、もう片方のパッドを貼り付けます。お腹は見られてよくても、ワンピース等の上下つながっている服だったら、下からまくり上げるか、ハサミで切るかになります。かけるものがあるのなら(ないことの方が多い)、かけたものと一緒に服をずり上げて、ショーツを見せずに上げることは場合によっては可能です。 パンフレットは、ロボット風の絵が描かれて裸の生々しさをなくしています。講習では、裸の男性の人形を使い、女性の型はないようで、女性も半裸だと気づきにくくなっています。講習を受ける側としては、まさか人前で女性を半裸にすることを勧めないだろう、分かりやすく説明する為に裸の人形を使うのだと期待するのが人の気持ちです。実際どういう姿になるかは想像しにくく、ちょっとごまかしで、反対されにくいものになっていると思います。  男性の絵や人形で、右の鎖骨のすぐ下にパッドを貼っているのもあり、男性だと体が大きいので、鎖骨の下から乳首までが長くて、そのため鎖骨の下に貼れますが、一方で鎖骨の下なら女性にも大丈夫と思いがちですが、女性は男性より体が小さいので、パッドをきちんと貼るには、乳首の上までになるでしょう。 導入に前向きな女性でも、実際の姿を知ったら、考え直すということはあり得ます。 男性には装着出来るから、とりあえず進めるのでしょう。ただ後遺症は男性も同じです。 ⑥「(AEDで)救われた命があります」という地方行政のホームページの説明や、「救命率が向上する(何分か以内であれば)」「AEDによる救命措置が生死を分ける」「AEDが救命率を上げる」というセールスの説明がよくあります。心停止した人をAEDで救命できたら、素晴らしいと思う方は多いかもしれません。しかし、私は以前、救命医療の現実の報道を見ていたので、びっくりしました。 救命と言う言葉を医師が言う場合、心臓が動けば救命です。後遺症が残っても救命です。 「救命医療の現実」という確かそういう報道だったと思います、あとで検索したら、 医師「心臓というのは停止しても、他の臓器より血液がまだ豊富に残っており、だから蘇生させることができるが、脳などはそうはいかない。」(文言の記憶違いはあります) 医師「重度障害が残って、家族に莫大な費用がかかるのを知りながら救命している。」 (家族に多額の費用がかかることのほか、医療費全体も増大していると思います。) 医師「心臓が戻っても、苦しませるだけで、再び心臓が止まっていく。」(戻る場合もある。) NHKスペシャル の滝山病院(精神病院)の昨年の放送、たくさんの管につながれた植物状態と思われる患者さんの映像が一瞬あり、院長「我々にとって・・心臓が・・動く・・救命」 救命や救命率と医師が言う場合、心停止から心臓の動きが戻れば、救命された、救命率が上がったと言うようです。このこと自体は間違っていないようですが、最近のAEDの議論では、重度障害や後遺症が残る可能性が高いのに、そのことに触れないで、あるいは深刻さが分かりにくい言葉で「救命」と言っているようです。 ⑦救命と言うよりも、心肺蘇生と言うべきではないかと思いましたが、それでも・・。 「1分ごとに救命率が少しずつ下がって行くため、早く心肺蘇生を行うことが大切」とセールスの説明があったりして、基本からの流れで説明していないです。 心肺蘇生と言う場合でも、AEDのことを指すみたいで、すぐに胸骨圧迫なのかが、わからなくなっています。 ⑧蘇生措置後の社会復帰率は14%くらい(消防庁のデータ)で、蘇生で数字がかなり上昇したという見解(毎日新聞AED低迷する使用率、関係者に聞いた記事の中で。言っていることが腑に落ちなくて、もう論理破綻していると思いました)なのですが、残り86%は社会復帰できていないということで、患者側としては社会復帰できない率がとても高く、14%が上昇というよりこちらに注目しますけれども。 後遺症が残ろうとも救命優先で、精神論みたいに患者を頑張らせているということはないでしょうか。 ⑨やる側は心拍が戻れば達成感はあるけれども、やる側が達成感を得るのでなく、患者中心に考えなければいけないです。 ⑩家族や友人としても、心臓が戻ったら嬉しいですが、自分がそうなった時のことも考えて、ほしいと思います。 ⑪救急隊員だと、患者を病院に運んだ後のことは十分には知らないもので、心拍がAEDなどで戻っても、重い後遺症や再び死亡することの現実的なことまで知らない人も、特に若い方ではいるのではないかと思います。救命を頑張ってしまう。後遺症を知っている人もいて、女性に使われなかったケースでは、蘇生しても、もうだめだろう判断も、中にはあったのではないかと思います。女性の「救命率」が低いのが全て悪い訳ではないように思います。男性の救命率の方が高くても重度障害も多いということにもなります。 ⑫人が倒れた時はみんな心臓がとまっているわけではなく、応急手当の仕方から話さないと、患者側としては動けないと思います。  女子学生が意識を失い、てんかん発作だったらしく、脈も速く呼吸は大丈夫でしょうに、男子がAEDを取りに走ったという話し。そばについていた方がいい、頭を打っているかどうかも大事で(外国では一般人も知っています)、嘔吐したら窒息するのでその方が一大事で頭を横に向けてやるとか、外なら鳥や動物に狙われ、悪い人がよって来る・・。心停止する状況でないのに、倒れただけでAEDを探し回ったりして大変な騒ぎになっているのではありませんか? AED突出はかえって救護の基本の妨げだと思います。 2.①後遺症を防ぐ心肺蘇生の情報は、素人の耳にも、昔から少しずつ入って来ていました。 心停止した場合は、心臓から脳などに血液が送れなくなるので、死に至りますが、心肺蘇生を試みる場合は、すぐに心臓マッサージを開始して脳に血液を送り続けないと、蘇生したとしても後遺症が残りそれも重い障害が多いので、「すぐさま心臓マッサージ(胸骨圧迫)を始めて」、「脳に血液を送り続ける」ことが大事だという印象でした。ただ、心臓マッサージで、心臓の動きが戻ることは少ないそうです。電気ショックを与えると戻りやすいとのことです。救急車の中にAEDがあるので、すぐに心臓マッサージを始めて、救急車が到着するまでやり続けて、救急隊に引き渡すのかなと思ってきました。 心臓マッサージだけで心拍が戻ることは少ないと言っても、救急車や消防とうまく連携して、「後遺症なく救われ」、消防署から表彰されたというニュースは昔から案外ありました。心臓発作を起こしたおじいさんに対し、隣にいた女性がすぐに胸骨圧迫を開始し「後遺症もなく」回復したというテレビのお話しとか。昨年は、途中で人員を交代して救急車が到着するまで胸骨圧迫をやり続けて「後遺症なく」回復し表彰されたというニュース。先日は食べ物をつまらせたお婆さんに若い男性が消防と連絡の上、骨折しないように上手に心臓マッサージをして心拍が戻ったという話しをテレビでやっていました。 心停止した場合、何が何でも心臓を動かすやり方でいいかと言うと、救うのであれば重度な後遺症にならない救い方を、患者として最も重視してほしいです。AEDがなくて死に至ったとしても、病気であり、運命だったと考えることはありだと思います。近くにAEDがあれば使うというやり方でいいように思います。 ②学校での運動とか、激しいスポーツの競技会場では、突然死のリスクは高いと聞いていて、それまで健康だった人だし、復活する可能性は高いし、あきらめられない、AEDをすぐ近くに配備出来て、人が大勢いるから適切な使用も見込めるだろうから、そういうところに設置するのは、おそらくいいと思います。設置だけでなく、後遺症その他の問題がなく人が動けるように準備しておいてほしいです。女性や女子が嫌でない方法をとることも、できるはずなので(やり方は後述)、準備していてほしいです。 飛行機のような救急車がすぐに来ない乗り物にも、設置するのでしょう。 心臓発作は自宅で起こることが多いそうで、自分は心臓発作のリスクが高いと思う人は、自宅に置いてもいいと思います。自宅での心臓発作が多いなら街なかに増やすよりも、蘇生される人は多くなりますよね。家なら、すぐに発見されればすぐに実行できるから、後遺症なく救える可能性が高いですし。  混雑したところでは人口密度が高いから突然死の方も多いでしょうが、多いからと言う理由でやたらに設置しないでほしいです。救急車もすぐに来るし、衆人環視だ。 ③暗澹とした気持ちになって更に検索していた時に、応急救護、心肺蘇生(CPR)、BLS(Basic Life Support)という用語が出てきて、調べたらそちらが本当ではないですか。AEDで検索してもしょうがなかったです。だまされたなあ。それより、呼吸がとまっていないかをどう確認するのかと、心臓マッサージ(胸骨圧迫)等を覚えて血液送り続けるのが先決で、後遺症少なく、かつその後の蘇生にもつながるようですね。尚、BLSは日本では一次救命処置と言うそうですが、救命と言う言葉の印象から、ここではその翻訳をあてはめていません。 ④メディカルノート、2015年12月1日最終更新日、当時ハーバードの近藤先生の記事が、理路整然としてわかりやすく、患者本位でほっとしたので載せました。著作権のことはよく知らないので、転載にならないように抜粋で。 『蘇生後脳症低酸素脳症)とは?』(記事4) 「近年、心肺停止の蘇生率が上がると共に、蘇生後脳症にかかる患者さんが増えています。」「蘇生後脳症は、心肺停止の蘇生後に生じる脳の損傷のことをいいます。通常、病院の外で心肺停止になった患者さんの心拍が再開したとしても、約7割がこの蘇生後脳症で命を落とすといわれています。また、そうならなかった場合でも脳に障害が残り、寝たきりの状態になることも少なくありません。その為、蘇生後脳症を防ぐことはとても重要となります。」「軽度なもの・・重度なものになると・ここまで障害されると社会復帰は難しくなります。しかし即座に社会復帰が望めなくなるわけではありません・・長い時間をかけて症状がよくなる方も・・特に小児や若年者」 「蘇生後脳症を予防するためには、すぐに救急車を呼ぶとともに胸骨圧迫(心臓マッサージ)を行うようにしましょう。(詳細は下記の記事1)。胸骨圧迫には脳へ血流を送り低酸素脳症を防ぐという目的もあります。もちろんAEDを使用して心拍を再開させることも重要です。このために記事1で述べたBLSがとても大切となってきます。」 『一般の方にもできる蘇生法(BLS)とは?』(記事1) 「BLSは非常に大切・・道具を必要としない救命処置で・いつでも実施できます」「呼吸が止まる・・心臓が止まる・・一般の方はこの状態を見極めるのが難しいと思っている・・まずはそれを確認する方法からお話しします」「倒れている方を発見したら、周囲の安全確認、反応チェック、緊急通報とAED持ってくるよう呼びかけ」「次に呼吸確認、正常な呼吸でなければ蘇生法が必要」「BLSとは急に人が倒れたりした場合、救急隊や医師に引き継ぐまでの間に、その場に居合わせた人が行う応急処置のこと」「蘇生が必要と判断したら、胸骨圧迫と人工呼吸を行う(回数や速さ深さが記載せれています)(但し2015年時点なのでコロナ以降では人工呼吸はしないという話しもあります)」「胸骨圧迫を絶え間なく実施することが最も重要です。他動的に血液循環でき、脳の障害を防いだり、心臓を再始動させることが期待できるからです。そのため交代要員確保が望まれる、疲れてくると質の高い胸骨圧迫が困難になるため」「本項ではAEDの使い方について説明します」 ⑤ドイツは医療先進国だから、ドイツ応急救護で検索したら、わかり易いのが出てきました。 『救急車を必要とするときに備えて」ドイツ在住でしょうか、田村先生、2021年頃。抜粋。 Q:救急車がくるまでの間何をすべきか 安全な姿勢というのがあるようです。声をかけ続け意識確認、呼吸が止まっていないかを見て、聞いて、感じる。両者ない場合は即座に心臓マッサージを初めて救急車が到着するまで止めない。 Q:心肺蘇生はどこで行うべきか? 硬いものの上がベストで、動かせない場合はベッドやソファ上でも。一番大事なのは心臓マッサージを即座にスタートすること。 Q:心肺蘇生をする際に人工呼吸も必要か 心臓マッサージを30度行った後に人工呼吸2度がベスト。人工呼吸はプロが行っても難しい場合があるため、慣れていない場合はひたすら心臓マッサージだけでもいい。心臓マッサージのスピードはアンパンマンのマーチ(100/Sek)やプリンセスプリンセスのダイヤモンド(110/Sek)を想像しながらするのが適当。腕を伸ばした状態で、胸の真ん中に両手を当て、深さは患者の体の半分程度まで、自分の手が押し込まれるようにマッサージを行って。 Q:乳児や幼児は実はちょっと違う。始めに人工呼吸5度となっている(そのあと諸略)。 (保育園や幼稚園の方は、検索してみて下さい。) AEDは、参考文献の2021年欧州蘇生協議会のBasic Life Support(BLS)にあり、 (たぶんどこか近くにAEDがある場合)AEDを取りにいってもらいましょう。周囲に人がいない場合は患者の元を離れず、蘇生措置を開始して下さい。 (たぶんAEDがない場合)心臓マッサージのみ行いましょう。 (AEDが身近にある場合)電源を入れて電気パネルを患者の裸の胸部の上に張って下さい。 心肺蘇生はAEDが届けられるまで続け、プロが指示したら停止ししてよい、意識戻り動き始め目開き呼吸正常になった時も停止してよい、自分の身体能力に限界を感じたら停止してもよい。蘇生措置を行うだけで循環が元に戻ることは稀で、成功が確証できない場合は蘇生措置を続けてください 最後の方に、異物による気道の遮断の場合、即座に対応を要する緊急事態です!!! 飲み込むのに苦労していたり空咳の上にしゃべれない場合、気道の遮断の可能性、食事中多い、咳をするよう促して。取れない場合は前傾姿勢にして背中を5度たたく、手の甲で肩甲骨の間を5度たたいてください。それでも取れない場合、上腹部を5度押し込んで・・(お年寄りがむせる場合の手当としてすごく大事だけど長くて省略。自分で検索してみて下さい)。 ⑥メディカルのもドイツのも、心臓マッサージがきちんと出来ていなかったら、そこへAEDを使われたら、心臓を動かせた人が嬉しいだけで、本人は重い後遺症になるということではないですか。なんと言うことでしょう。だから欧米では以前から心臓マッサージの練習を一生懸命やっている感じなのですね。日本はほぼできないですよね。 近くにいる人の中に心臓マッサージが出来る人がいることが大事で、心臓マッサージを上手に出来ることが大事です。出来る人が増えることが大事で、講習で心臓マッサージの練習をすることが大事です。AEDはある場合とない場合が書かれていて絶対的ではない。 後遺症が残らないことが、先進国の価値観といいますか・・。 ⑦心臓マッサージは、男性でも女性に対して出来ます。 胸を押すイメージですが、押すのは胸骨という胸の真ん中に縦に伸びている骨です。骨を押されるのは、満員電車でわかるように、女性は結構大丈夫なものです。筋肉もまあまあ大丈夫。脂肪は柔らかいのでダメ。 医師「心臓マッサージは、女性に対しても、服の上からボタンを横にずらしてできます。」服が邪魔で脱がさないと出来ないとか言っている人がいるから、言ったみたいです。 コートやジャケットのボタンをはずしてもいいから、ブラウスのボタンまではダメ、つまんで横にずらしてやって下さい。セーターも最近のは薄いから出来るはず。更にハンカチを載せてやっているのも見ました。 卑猥な事件が多いような状況をかんがみると、中には胸をつかむ奴もいないとは限らないから、可能なら立ち合い者をつけて。 お年寄りだと骨粗鬆があって骨折することもあるから気を付けてやるそうです。 やる人は疲れるみたいで、長く続けるには交代要員がほしいそうです。 そのためには多くの人が心臓マッサージを出来るといいから、もっと普及したらいいと思います。練習も少しいりますが単純です。 外国のドラマのシーンで心臓マッサージはよく見るので、外国では普及しているようです。 日本では、なぜあまり普及していないのかわからないですが。人工呼吸まであるからかな? 消防署の心臓マッサージの講習では、男性の裸の人形を使うと思いますが、そのせいもあるでしょうか。手を突っ込んで素肌を感じながらやるなど土台無理なので、できないことをするより、女性に対しても服の上から出来ると教えたらいいと思います。 ⑧日本のBLSというのか、「救急蘇生法の指針2020市民用」というのが出て来て、市民用ですが60ページあり、こういうのは完璧なマニュアルであって実行できないものも多く、心肺蘇生の手順では安全確認と胸骨圧迫(心臓マッサージ)からAEDまでつながり、AEDを必ずやるよう錯覚させられました。返って恐怖です。 厚労省はどんなだろうと調べようと思ったが、ちょっと無理でした。似た感じでしょうか。 ⑨AED財団に教本がありますが、倒れている人の反応を確認し、応援を呼び、救急車を呼び、AEDを持って来てと頼み、呼吸を確認できなければ、胸骨圧迫を開始し、AEDが来たら、裸の胸にパッドを貼り、AEDから音声が出るので聞いて、電気ショックが必要と言われたらボタンを押し、感電に注意し、その後も胸骨圧迫を続けるというものです。AEDが近くにあることを前提とし、AEDを必ず行う手順です。AED財団の教本だから当然と言えば当然ですが、ただの手順です。そのため、AEDが近くにあることが必要になり、100メートルおきとかコンビニに設置しようという、方向性にもなるのではないか。AEDを早く持って来て早く使うことに気をとられて、返って、胸骨圧迫の開始が遅れたり間隔があいたりして、おろそかになり、後遺症が多くなると思います。 ⑩AEDは誤解されていて、AEDが有効なのは冒頭のように心室細動と無脈性の心室頻拍で全ての心停止に有効ではなく、AEDから電気ショック不要と言われることもあるそうです。 ⑪韓国の「ハロウィン雑踏事故、圧迫による死亡の原因は窒息。AEDは?」というブログがあって、ふつうの心肺蘇生法講習は心臓突然死を前提とするので、外傷性心停止は想定外だそうです。この事故では、圧死か窒息死(水に溺れた状態)の可能性が高く、窒息は酸素が足りなくなる状態で、心臓も酸欠の可能性で心拍が落ち、心停止していくという推測です。やるべきことは胸骨圧迫で循環を促し、人工呼吸で酸素を血に溶け込ませることだったのではないかということです。AEDを使ってもショック不要ですと言われただろうと。使うにしても、大勢の事故では数が足りなかったでしょう。AEDがなかったから女性が救われなかったという議論が出たようですが、間違いで、ジェンダーで考えるのは注意がいります。 ⑪日本で多い水の事故は、人工呼吸が有効だそうです。 学校のプールでの事故での事故・窒息は、水だからAEDは無理は使わないでしょうが、マウスtoマウスはやりにくいが、器具もあるらしいです。あまりAEDばかり言ってると、こういうことを考える機会を逃してしまうかな。 ⑫交番にあって、交通事故のニュースで警察官がAEDをしたが病院で亡くなったという例が昨年ありました。大けがした人にAEDを素人がやるのは大丈夫なのでしょうか。苦しませるだけでまた心臓が止まっていくという話しがありましたし。医療従事者が判断した方がいいような気がします。危ない交通事故現場で警察官にここまでやらせるのは負担が過剰な気もします。 ⑬保育園にステッカーがはってありました。AEDは子供に対して使えるそうです。私は乳幼児にどう使うか知らないですが、幼児も食べ物がつかえたとか、乳幼児突然死症候群とか聞きますので、本当によいのであればいいと思います。ステッカーを外に向けて貼ると、いざという時に外に貸し出していて乳幼児に使えないから、ステッカーは貼らない方がいいと思います。又、ドイツのところで書きましたが、乳幼児への心臓マッサージは大人とは違って最初は人工呼吸から始めるようです。命だけでなく後遺症が残らないように、きっちり考えてほしいです。 ⑭電気機械としてのAEDのデメリット 普通近くにはないし、機械は壊れていることもあり、雨で濡れてたら電気はダメ、真冬の寒いところで服を脱がせたら蘇生して再びヒートショックとか、あっても使えない場合があります。 ⑮AEDを早く取りに行くためには、街なかで走る人もいるでしょう。出会いがしらにぶつかったりして返って事故になりそうです。小学校か中学校でAED教育をし、外の人の為にと学校の門に設置し、昨年商業施設の自転車置き場から生徒が走って取りに行って持って来たというNHK首都圏ニュースがありました。いつか出会いがしらの事故が起きそうな気がします。AEDは市民に子供に過剰な負担があります。街なかでAEDを早く持ってくることまであまり奨励するものではないです。又このニュースでは後遺症なく救えたという話しはありませんでした。 ⑯街なかのAEDは行政が公共施設に設置しているほか、民間事業者も設置して一般人が使えるようにしている訳ですが、こちらとしては、意識を失った時に強制的に使われるものです。使い方がこんなな上に設置場所も多すぎて、撤去してほしいです。 ⑰よく売れたみたいです。価格は1台50万円ほど、レンタルあり。補助金助成金があるそうです。使用期限は6~8年とか。ランニングコストはバッテリーや電極パッドの交換費用が2~4年おきに1~4万円、パッドは1度使用すると交換で、医療廃棄物になります。1台50万円と言っても、あんなにたくさんあったら、全部でいくらになるのでしょう。 3.①女性に配慮したAEDの使用方法が、色々言われるからなのか、色々な自治体ホームページ等に載っていて、下着をずらして貼ることで、服を全て脱がせる必要はないとか、まくって手を突っ込んで出来るとか、半裸を見せた後なのに後から毛布をかければいいとか、女性がその程度でいい訳はなく、医療だからと言って強制的にされる状況なのに、胸が押さえつけられます。これは、医師に聞いて、やる側にとって、これでも出来るよと言っているだけだと思われです。女性に聞いて女性の気持ちが嫌でなくなるところまでやりません。「出来ます」という言葉を使われて、いらいらします。 女性が嫌でなくなるところまでに、すべきなのです。やる男性に対しても虐待です。 外国の救急では、大きいシーツを使って肌を全部覆っているシーンはよく見るのですが、日本の救急外来で胴体の真ん中だけを申し訳程度に覆い、肩と脇とお腹の一部は見えるようにしていました。シーツで覆い隠すという伝統がない日本の病院。我々が嫌でないところまでしていただきたいです。 ②羞恥心・個人の尊厳と生命健康は同等クラス。少なくとも他人が後者を優先しろと指示や強制はできない。しかも命はかかっていません。 ③人の視線とスマホ撮影を完全にさえぎることが、かなり絶対的に求められると思います。競技会場など、衆人環視になってしまう場所があります。そのため、大きいシーツかブランケットが必要で、AEDに必ず2枚ほど風で飛ばないのをつけて下さい。男性ばかりの時でも、ブランケットを持って前向きでも首を曲げて見ないようにするとか、後ろ向きになって人垣を作るとかの方法があります。商業施設の自転車置き場での例が昨年ニュースでありました。自転車が人目をさえぎり、人も少ない場所でできたのでしょう。服を脱がすのは女性でないとかなり厳しいです。1人は女性がいればなんとかなりますから、一人は女性が来てくれるような行動を促した方がいいと思います。女性を中心にすえた上で、電気パッドを貼るのは、男性でも後ろ向きから一瞬振り返ってできます。もう顔を合わせない人なら、異性でもそれほど気にならないかもしれないです。同僚じゃ嫌です。スマホで撮る人は絶対出てくるでしょうから、性善説はあり得ず、若い女性ほど狙われるのはわかりきっていて、街なかで女性に中途半端な配慮のやり方をしている方が悪いです。撮られたら心配で心の平穏は一生ありませんし、流出したら深刻な事態です。 ④躊躇なく実行とか、異性への使用をためらわないでとか、医師、行政、セールスが一斉に、言っています。誰か医師が言ったのが、たぶん元のようです。人格の大事な部分である羞恥心に対して我々の内心まで変えるように指示していて、僭越で、心理的な問題があります。医師は医学は専門ですが、社会のことは専門外で、病院外の環境や人の心理は知りえず、医師の能力外で権限外です。医師の言えることは助言にとどまります。その助言とは、「心臓が止まると血流が途絶えるため脳の血液の流れも停止するので、心停止から回復しても寝たきりなどの後遺症も多いから、『すぐに』救急車を呼び『胸骨圧迫から開始しましょう』、AEDも近くにあれば使いましょう」というような助言です。女性が男性も嫌がっているのに配慮不十分なまま、やりなさいという基準を社会に設ける意図であり、問題です。医師が決めることではなく、こちら側が状況判断することです。躊躇なくためらわず実行とまで言うのは、世界中で日本だけでしょう。 ⑤又、世の中には善意の人ばかりでなくて、性犯罪志向の人もあちこち歩いていて、躊躇なく実行と言われて、にやついているでしょう。「異性への使用をためらわないで」は、そういう人の後押しになります。時間を置いてもAEDを使われてしまいやりすぎなくらいに脱がしても、医療だと言い逃れしやすくので犯罪が起こりやすくなり、処罰も難しいです。合法に痴漢行為が可能なのです。そういう人が悪いでは済まないです。そこまで世間に指示すべきではないのです。 又、躊躇なく実行という部分だけが、独り歩きし、胸骨圧迫なんかとばしてAEDを躊躇なく実行と強調し、躊躇していると女性の命を救えないかのように論を展開する法的アドバイスのものが見られ、女性の気持ちに全く触れないことからも、後押しをし、トラブルを予定している言説があります。医師にこの責任はありませんが、やはり、ためらいなくとかまでは言うべきでないです。 ⑥小中学校でAED教育?をしているところがあるのですか?中身は知らないですが。日本の状況は上記のようなものですから、正しいBSLを解く方に教わらないと、重い後遺症が残ったり実際には助からなかったりして、とても危険です。命という言葉をやたらに使わないで下さい。科学でなく情緒で考え危険です。救命以前に、持病のある人への配慮(上記てんかんのような)とか、応急手当も同様に大事です。学校のプールでの窒息にもAEDを使おうとしているのでしょうか?AEDを導入するだけで済ましたら、危ないです。国際標準の医師に教わってほしい。 そして子供は洗脳されやすい。やる側の達成感をえさにしてはいけない。AEDの女性へのやり方、心臓マッサージのやり方を前の方に書きましたから、女子に十分な配慮は可能ですから、日本の昔ながらの医療界にありがちな、医療なら女子の羞恥心より優先していいようなことは教えないでいただきたい。羞恥心・個人の尊厳と生命健康は同等クラス。少なくとも他人が後者を優先しろと指示や強制はできない。しかも命はかかっていません。アジアの、日本の女性は胸とおしりはだめですから、性教育もそのはずですから、医療は性教育の例外ではない、人はそういうものだから、医療行為でも最大限に配慮して沽券を守りながらやるのだということを教えて下さい。学校で逆のことを教えると、世の中に出てそういう発想の人が多くなるので困ります。成長期で人格形成に影響が出て、男子の中には女子にはそういうことをしていいのだと勘違いする者が出てきたり、嫌らしくなったり、女子も自分の大事なものを守れない人になったりしそうです。学校の門の前にまで置かないで下さい、AEDはやはりセクハラですから、門を通るたびに、女子の胸がちくりと痛むではないですか、性的なことで。女子中学生が、AEDは胸を出すことに気づいて布を作ったとユーチューブに出ていましたが、子供に心配させている、今の子かわいそうですね、なぜ大人がやらない。交通事故で警官が男性にAED使ってたと女子中学生が興奮した様子でテレビでしゃべっていました、AEDが不安なのでしょう。 (ちょっと疲れました。長文の記事はしばらくお休みします。)

日本の医療は、追い求めるものがずれている。元から変えないと崩壊する。

Ⅰ.

1)「頼っていくところで、傷つけられて」病院のことだ。検索で見つけて同感したので載せた。経験しないとわからない。状況を伝えよう。

病院をあまり知らない人に言ったら、医師と患者とのコミュニケーションの問題や説明不足だと矮小化された。若手男性はまだ病院に係る機会が少なく、ニュースで医師の働き方改革ばかりを目にするのか、医師側に理解を示す方が多かった。密室性があって、患者と医療従事者との2人切りになることが多く、医療従事者でもお互いがどうやっているか知らないそうだ。女性は妊娠出産や婦人科の病気で、若い内から病院に係る機会があるせいか、冒頭の経験も早くからするが、男性は少し年を取ってから家族や自分が経験して初めてわかるようだ。お年寄りはあまり言わない。病院を批判すること自体を嫌う人がいる。医療側の状況ばかりが報じられる。患者側は言葉で表現することが難しい。

 

2)昔から「医は算術、モノ扱い、医療過誤で手術は成功しましたが患者は死にましたという何でそう言うのかわからない意識のずれ」が、新聞に書かれて来た。

医の算術は、関係者の努力により、保険診療や薬価や医薬分業の改革等で少し変わったが、今は医療費そのもの以外でやっている。医療費明細書と調剤明細書が、用語の意味も計算式も不明で字も小さく受付の説明は期待できず、どうやったのかわからない項目にもお金を払う。入院時は、健康保険の抑制が及ばない生活部分(病衣や自分自身では使わない(業務として使う)ものまで含まれるタオルといったアメニティ代の強制、差額ベッド代(特別療養環境室料)と悟らせずに同意へ誘導する説明、おむつ交換する人の人件費まで含んでいそうな高額かつ使用枚数不明なおむつ代)が、明細不明瞭な請求書を受け取り、検討する時間も説明も資料もなくその場で支払うという方法で、同意したのでしょと、払うまで延々と言われる。強い嫌悪。

ベルトコンベアー方式でモノ扱いされても、病院の人の業務の流れに逆らう患者ははじかれ、言っても聞き届けられないから言うだけ無駄で傷つけられるから口をつぐむようになっている。

この洗練されていない支払い方法や、業務の流れが出来ていない部分については、医師は経営管理が得意分野ではないだろうに、医療分野以外からの関与を、会社等は営利目的だから悪で、医療はそういうものではないという固い意識で受け入れて来なくて、世の中の仕組みをあまり教わっていないのに院長や上長をやり、上層部と下の者との関係性ということもあろう。

医療過誤については、医療ミスを犯さない対策はするけれど、根本からは変えられなかった。

 

3)患者の不満が30年ほど前に噴出し、少し変わったが、患者本位でない本質は変わらない。その上にますます制度が重ねられていった。ますます技術が発達したと聞く。

「特定の職業全体を批判することは難しい」とその内新聞に書いてあった。メディアにとって医師からもらえる情報は大きいというのもあった。敵にはできない、批判ばかりできない。 

我々も、病院が変わらないのに怒り続けることは疲れるし、病気や怪我なのに病院へ行かないわけにいかないし、これが世の中の仕組みとして固められて行って、世の中の方が医療側に合わせざるを得ないようになったと思う。

今、新聞の医療面やNHKの医療番組は、医師側の出す情報に基づいて書かれるので、患者の疑問と批判は控えめだ、もしくは、だった。タブーもある。社会面・番組は社会問題に浮上して来たものを扱うという理解だ。不満を表に出せずに心の底に抱えている人は多いと思う。

 

4)コロナのようなパンデミックの危機に対して、対処困難だった。医療側の言っていることが何でそうなるのかよく判らなかったし、目標が医療への負荷を減らすことに変わっていった。感染症法は改正されたが。

 

5)医療機関へのアクセスが断られるケースが出て来たのは、患者との間が旧態依然だからか。

コロナ以降は発熱外来があり、発熱したら医療機関に電話してから行くようになっているが、基準が曖昧で、熱がなくても受診を断られ、かといって行っていい来院日の予約の話しもなく、病院へかかるまでに2度手間となった例を見た。耳の遠い一人暮らしのお年寄りはどう電話連絡するのか、オンライン診療でもだめで、お医者さんもメールくらいやったらいいのにと言っていた。もともと病院は患者が来るのを待っているところだが、どんな場合でも自分でたどりついてと言う考え方のところもあって、医療DXの時代でDX体制加算がとられることもあるのに、患者との間の直接的なこういうものは旧態依然だ。 

 

6)国民への周知が少ないのは、厚生行政や病院の言う通りにすればよいという古い考えだ。

マイナ保険証を使った時、本人認証できなくても何か方法があるはずなのに受付で示されず、全額自費と言われたケースをテレビでやっていた。医療機関としては、保険証が使えない場合に健康保険組合に治療費を請求できないので言い分はあるが、病院側は、認証できない場合の何かの方法の知識・情報を取れるか持っているはずなので、強い立場だ。患者側はその何かの方法を健康保険組合や行政から知らされていないから、対抗するだけの予備知識がなく弱い立場、行ってみて初めてびっくりすることがある。病院が権限を奮ってしまえるようだ。

 

7)患者の病気の情報は、日本では医師のものだ。マイナポータルでもそうだ。この機会に、患者の病気の情報は患者のものというふうに変えながら、医療DXやマイナをやってほしい。

米国では昔から、患者の病気の情報は患者のものだと聞いた。正確な記憶でないが、生まれた頃からの病気の情報がレントゲン写真も含めて、引っ越しても患者とともに移動すると。

日本ではやっとカルテの開示くらい。又、健康保険組合のもので患者のものとまで言えない。

紹介状(診療情報提供書)が、病院を移る時に困るのであるが、封をして渡される上、記載した内容を教えてくれる医師は滅多にいないので、自分の情報なのに一度も見られず、医師の間でやり取りするものとなっている。患者として不快感もある。受け取った側も、記載内容がその時わかっていることだけで、それなりに治療・投薬は出来るが、もっと知りたそうだった。

救急外来で、今までの様子がわからない初めての患者が運ばれて来るので、手探りがあるようなことも医師から聞いている。個人医院でも、続けて来ない人が多かったり、急に来なくなってどうなったか分からないというのも不満足だろう。急に受診して病気を見逃すなというのも、原理的に無理なのかもしれない。患者としても不安だ。

自分のマイナポータルに、自分の病気の情報「診療・薬剤・特定健診情報」が、今、載せられ始め、マイナ保険証を使った病院で患者が同意すれば医師らが閲覧できるようになっている。厚労省はマイナ保険証が導入されるから急にやって、より良い診療を受けられるとしている。その人の病歴薬歴が医師に伝わること自体はいいけれども、それだけでより良い診療とするのはちょっと待ってだ。相変わらず患者側がコントロールできないところでいつの間にか身体情報の管理を進めている。いつの間にかということは、行政と医師の都合で進めやすく、管理しやすく、医療機関どうしで情報がやりとりされ患者は結果だけ知らされることになりかねない。内容のレベルはどうか。メタボ検診で計った体重の推移まで載っていてぎょっとしたとかで、健康保険組合が載せるそうで、患者のコントロールできないところでプライバシーを載せるという神経、細かい情報が多すぎても有用でない、返って大事な情報がなかったりすることが懸念される。医療は一般常識から推定できることもあって、むしろ常識がないのも困るので、患者の眼を入れた方が、医療サービスの向上につながるものだ。患者の病気の情報は患者のものというふうに変えながら医療DXやマイナをやるのであれば、本来の意味のより良い診療と言ってよい。今やらなければ、もうその機会はないのではないか。ガラパゴスな医療になると懸念する。

 

8)大学病院など大病院に患者が集中する問題が随分昔からある。医学教育から、専門医だけでなく家庭医・総合診療医が育つように変えるべきだ。

確か30年近く前くらいに、紹介状を持たずに大学病院へ行くと初診時5,000円ほど別途徴収される制度が始まり、現在の厚労省が「患者のみなさまにおかれては、まずはお住まいの地域の医療機関を受診し、必要に応じて紹介を受ける等、医療機関の機能・役割に応じた適切な受診を行うよう、お願いいたします。」と言うのと同じ趣旨だ。

私は行政を信じて家族に対し近くの医院へ行くよう説得していたが、家族は近くの医院に見切りをつけてニュースで国の言っていることなどお構いなく大学病院へ行き、満足な結果を得ていた。若く病気もなかった私は、国の言う「一部病院に外来患者の集中・待ち時間・勤務医の外来負担」ということに理解を示し、大病院志向の患者が愚かなのだと思い込んでいたが、厚生行政と病院側の都合に寄り添わされていたと気付いた。自分の体に何かされるのだから近所で良いと思わなければ探し求めてでも行くという切実さがなかったが、自分の健康を守るためには、必ずしも厚生行政の言いなりにならずに、しっかりしなければいけないと思った。自分は今この2つの考えの間で、地域で探すのに手間と時間がすごくかかっている。

地域の医療機関の機能・役割というのは、出来ない事情があったと思う。厚生行政の言うのは器がそうなっているということで、本当にそれを果たせるかはスルーしている、と言うか、大学病院の混雑はすごかったので何とかしなければならず、患者の金銭負担だけでコントロールする方法をとった。そして、少しずつ改正(?)し範囲を広げている。厚労省は、紹介状を持たずに特定の病院を受診する場合等の「特別の料金」の見直しについて 令和4年10月1日より、患者等から「特別の料金」を徴収する対象病院が拡大されるとともに、その金額が増額されます。」とのことだ。

地域で受診していると、医師を育てる医学部での教育と大学病院でやることは、地域の医療機関の役割とあっているのかと思う。近所なのに臓器別の標榜科・専門医、説明が少ない人(元の内容が説明できるものでなければ説明ということは出来ない)・・・指を少し深く切っただけで外科か整形外科か迷った上で探し回る。地域の医院は、外国の家庭医のようでない(基礎的なことは何でも家族まるごと診るようだ、総合診療医とも少し違うらしい、家庭医にしてほしいという意味ではない)。

地域では漫然と薬を出すだけのところがあり、大学病院で研鑽している医師が市中病院に行くと、こんなことやっているのみたいな差がある(高度で専門的な医療のことでなく、良質かどうか)という医師自身の指摘がある。

医学部での教育から、社会と人間を学ぶ学年を設け、幅広いベースの知識の習得の上で、必要なら専門性というふうに、専門家でないのでイメージだけだが、変えてほしい。大病院への集中は表層に過ぎない。

9)医学部での教育は、大学の自治があるから政治でも難しいようで、自分達で変えて下さい。

 

10)救急車の緊急性の低い要請が多く、救急の現場が困っているとのことで、数千円の選定療養費を課す自治体が出始めた(2024年12月から茨城県)とテレビでやっていた。これは患者の責任でなく、医院での正しい説明と問診が少ないと教育効果がないということと、ちょっとした応急処置も教えて来なかったからというのが半分はある。救急現場の人にではなく業界全体に言うのだが、自業自得で、緊急時に患者に心理的負担がかかる方法をとるまでになった。

説明による教育効果等がないのに、具合が悪くなった時に救急車を呼ぶかどう判断するのか。自治体のリーフレットを読んでみたら、緊急性のあるなしは、覚えにくい。電話での相談先(救急電話相談先)の番号が書いてあるが、だから大丈夫かと言うと、痛みの程度を電話で伝えるのは難しいので、はじかれる可能性があるし、応急処置まで教えて頂けるかは電話に出た担当者にもよるだろう。電話出来ない人は?。「要請時点での緊急性」で判断すると役所的には言うが、実際の会計での運用が病院の裁量になることはあり得て、子供がすごくお腹が痛くて親には程度が判らないので行ってみたら便秘だった時とか。リーフレットは各家庭に配っているのだろうか、知らずに行き選定療養費を取られることもありそうで、びっくりするのはごめんだ。

むやみに救急車が呼ばれる原因の半分はこう考える。医師が患者に十分な説明をすることは、患者への教育効果があるから、その意味でも説明は大事だと医師が書いていた。問診についても、問診をきちんとする医師に係っていると、症状の伝え方を自然に覚える。しかし、そういう積み重ねが少ないので日本の患者には知識がない(最近は探せば説明十分な医師もいる)。ちょっとした応急処置も教えて来なかったので、日本人は自分に関することでも応急処置できる人が少ない。そんな感じで、うろたえて救急車を呼んでしまうのだろう。

又、救急車を呼ばなくても患者側から駆け込めるところを、すぐに思いつかない。

 

11)病気別の知識がはいってくる。特定の病気についてにコマーシャルも多くなった。国民の側は、基本的な知識は教えられないまま、まだその病気にならない内から特定の病気ばかり気にするように、変えられていく。

 

12)医療費の増大は、財務省厚労省に言ってもなかなか減らずに言われ続けているが、解決策は個別のものが多く、増大し続けそうではないか。根本問題は、上記に書いてきたものや、医師中心に決めているから診療報酬が減らないようになって行く必然性、他にも思いつく。 

看護師さんや薬剤師さんに任せられることでも活用が少ない。何でも医師にみせなさいという昔風のやり方のままで、医療費の不効率が発生し、医療費が増大すると思う。

米国では風邪の時は保険会社に電話し看護師のアドバイスを受け薬が家に送られて来て必要なら病院へ行くと以前に何かで読んだ(少しの記憶違いはあるかも)。患者は家から出なくていいし人に移さないし医療費も人件費部分は少ないし、看護師が出来るのであればこの方がいい。ドイツでも風邪で医師にかかれないとテレビで言っていた。

日本では薬局へ行きかぜ薬を買うことにしても、日本の風邪薬は昔から効き目が弱いので有名で医療側がそうしているわけで、強い薬が欲しくて薬剤師さんに聞きたくても、不在は多いしどこへ行けばいるのかわからないし探し回るのも無理で、結局、医院へ行くことになる。

昔の医師が風邪を治す薬はない(しっかり休んで)と言いながら、一方で風邪くらいでも場合によっては肺まで行くから、症状が軽いのに症状が出そろっていないのに心肺の音を聞くなどのために内科に来なさいという丁寧すぎるやり方で、医院に来るようにする圧がある。

薬剤師さんらを活用するにも、厚労省方針で昨年、医療費抑制のために、花粉症で耳鼻科へ行かないで薬局で薬を買うのが推奨されたので、薬局へ行ったら、こちらの言ったなりで、あまり症状は緩和されない薬でつらかったし、必要な薬を全部買ったら耳鼻科へ行った場合より少し安い程度と思われたので、薬学部で、医師の指示・処方箋に従うだけでなく、患者への問診とかも訓練してほしいと思った。

調剤薬局では、薬・お薬手帳・紙に書かれた情報をもらうだけのことが多い。本当は、薬剤師さんが、体調はどうですかとかこの薬を飲んでどうですかとか聞くらしくて、それも料金に含まれている。紙に書かれたものがそれだそうだ。でも、紙を渡すだけで読み合わせも説明もなく、紙の内容も、何の薬かと、車の運転はダメ等の注意事項は書いてあるが、体にどう作用して効くのかはほぼ不明なこともあって強いか弱いかもわからないし、処方された薬が最良かとかいう話しまでに、なかなかならない。ジェネリックの名称は処方箋の薬名と違ってわかりにくいし、成分名という用語の意味まで理解しろと言うのか。紙を渡すだけでなく、薬剤師さんから問診してほしい、それがないと、薬自体のことは薬剤師さんなのに医師に聞いてしまったり、何も聞かずにそのまま質問を飲み込んだりする。例えば、家族が効かない薬をずっと出されていたが知らなくて、何度か入院したが、別の医院で別の効く薬があることを教えられ、その後は入院しなくなった。薬剤師さんの問診があれば、他にいい薬があるという情報も得られて、何度もの入院を避けられたと思う。

わけの分からない病気にならないでくれ、という医師の声もあった。不定愁訴(病気ではないものの生活する上ではつらい症状)というのもあって医師を困らせて来たらしい。これに対し、医師のアドバイスは、運動・生活習慣・ストレスためない、ということしかない。あとは特定保健用食品(トクホ)とか?。それ以前に、もっと休んで整体したほうがいい。欧米でもアジアでも、整体がずいぶん発達している感じが耳を澄ますとするが、日本では種類もレベルも様々だ。日本は医療界の資金力・団体の力・情報を出す力が強くて、こういう分野を圧迫している気がする。力が強すぎるから、病院への集中と医療費が増大する面はあると思う。

 

13)医療の周辺産業も多く、資金全体でも大きいと聞いた。よく知らないけれど、製薬会社、医療機械・・。医療側と同じ方向を向いているようだから、あわせて影響力が大きいと思う。

 

14)口コミについて。病院を探す時、近所の人に聞いたり口コミも確かめたりする人は多い。数年前に見た病院紹介サイトに投稿しようとしたら、あちらで編集することを承諾しないと投稿できないと言うメッセージが出て来た。なるほどいい印象の口コミばかりだった。口コミというのは本人が書いたままかあとは全然載せないかだと思っていたが、編集された口コミに誤解させられる。Yの地図を見たら、病院の口コミはQLへ飛ぶようになっていて、近所のがすごいいいレビューだけど随分前にやめて他の人になっているから投稿しようとしたら、現在口コミは受け付けていないというメッセージが出て投稿できなかった。いい口コミでとめられる。Gが頼り。Gは載らないこともあるそうだが、口コミは全部載るわけではない、社会的主張はブログで書いてとのことで、口コミっぽく書いたら載った。

 

15)家族を看病していたら、大ごとにならなくても、小から中くらいの間違いが多く、家族は苦しんだ。効かない薬のことは12)で書いた。エビデンスは外国のものが多いそうで、家族にあてはまらないと言っているのに屁理屈で寄ってたかって押さつけられて、やっと行った病院で、それは外国のやり方だから日本ではこういうのもあるけど、どうしますかと聞われて、やっと救われた。退院前にリハビリをやるのも基本中の基本ではないのか。

 

16)患者本位の医療サービスへ転換していかないと、医療というものは崩れていくものなのだ、という見本をみているようだ。最近の報道を見ても、再び次から次へと問題が出て来た。

患者中心の医療、エビデンスに基づく、ニーズをみる、外国はやっていて日本でも患者中心やエビデンスをやっているのは聞く。よさそうであり、ど真ん中を行くが、日本には日本独特の根深い問題があって、土台が必要と思う。人格・社会性とか、患者の自己決定を認めること、患者の権利を認めるとかが必要だと思う。外国のようにするだけで、患者本位でないまま行うと、あくまで医師の認める範囲内での患者中心になる気がする。

そのためには患者本位でない根本原因は何だ。

 

Ⅱ.

1)「やっている人がひどいと言うのではない。制度の原理原則から、国がやり切れなかった足りないものがあるのだろう」と私のブログの第1回目の投稿で書いた。これは、戦後の世の中の仕組みがすっかり出来上がって矛盾が色々出て来た頃に、報道で指摘されたことが中心だ。患者の権利など原則的なものが網羅的に指摘されたが、実現できなくて、何か日本の力不足があると感じて来た。原理原則のどこが大事だ、新しい改革をやっていけばよいと言う意見もあろうが、原理原則というのは、その上に制度が築かれるので、違っていたら計り知れない影響がある。今までやってきた対策・改革も、全部ではないが、足りない土台の上に建物を建てるようなものだったではないか。微力だけれども思い出してみたい。

 

2)「医療過誤訴訟を多く扱っていると、お医者さん達は抽象的な生命健康を追っているようだ」法律系論文集の中の若手裁判官の言葉だ。「病気をみて人をみない」と言うのも検索であった。ザ・ヘルス。私が思うには、人を人体や患部として客観的にみる訓練をしている内に、患者が自己決定・気持ち・主体性を主張しないで、人体や患部でいてくれたほうが医療行為をやりやすくなるのだろうか、医療は間違えたら人を傷つけるが、患者の多少の犠牲は医学の発展の為に必要という伝統があり、間違えない人を傷つけないという意識が薄くないか、他の師業と同様に、昔の医師はいばっていて上からものを言い、顧客は患者というふうにならない、医学の知識が患者に還元されるところまで到達しなくても医療としては成り立つ。

いい医師は第一に、人への尊重があった。

 

3)医師が非人間的なことまでしてしまう事例が、欧米の医学の歴史の中であって、牽制するようになったが、日本では薄いようだ。具体例を知らないのだが知る限りでは、人体実験、ロボトミー手術(精神疾患の治療で鋭い器具を脳に挿入する)とか。日本でも古くは人体実験の記憶がある。

理系の人ばかりでやっていると危ないということで、欧米では医師への牽制の為に理事や管理かどこかに文系の人も入れるようになったと、正確な記憶ではないがそうあった。

医学部という学校制度も、医学は他の理系と違って人間を相手にするので、人の気持ちがわからないでは危ないから、医師になる前に人間の心理や社会のことを知ることが必要だという考えが一般らしく、国によって医学校は少しずつ違うが、例えば米国では医学部以外の4年生大学を卒業してから4年制の医学部に進むとあった。

日本では、医療に対する社会からの牽制を私は聞かないし、投書箱や患者の声くらいでは消え入りそうだ。日本の医学部は6年制にしていて、最初の2年は心理や社会と言うよりは基礎を学ぶらしく、医学部だけの世界で、卒後もそれが長い。医師自身も、医師は社会の中での自分達の役割を知らないと言っていた。知った上で仕事をした方がいいでしょう。

そもそも医療行為は、合法的に、人を裸にでき、毒にもなる薬を与え、メスで切ることが出来、人に深く侵襲していくことができるものだ。怪我や病気を治す目的だが、興味に従うような行き過ぎることも起こって不思議はない。このような医療行為に対する牽制機能が少ない場合、本来必要な原則的なものがない訳で、実は大変なことになっていくと思われる。日本は世界とは異なる事情があり、お年寄りの患者はあまり言って来なかったし、医師も患者の言うことなんか信用できないというのがあるそうで、そういうのはもう古いから止めていただきたい。

 

4)医学部とその付属病院である大学病院が、教育研究機関という意識が強くて、医療サービスへの転換を妨げて来たのではないかと考える。患者につらいことをしても、医学の発展のためにと言う理屈を歴史的に用いて来て、学問を追求したようだ。現在、大学病院は高度で専門性の高い医療を提供するというイメージだが、世界トップクラスだとか世界一安全だとかは中身を注意してみないと危ない。高い技術がいい医療なのだと国民は洗脳される。Ⅰ-8)で書いたのと同じで、医学部での教育から、社会と人間を学ぶ学年を設け、幅広いベースの知識の習得の上で、必要なら専門性というふうに、専門家でないのでイメージだけだが、変えてほしい。

 

5)患者の権利章典が、問題噴出だった頃に国会で議論されたが、時期尚早ということだった。病院の壁に患者の権利章典が張られているところがあった。気持ちは受け取るけれども、患者の権利も医師が主導するふうになっている。

 

6)「医療側は法曹側(弁護士、裁判官)に過重な負担をかけ・・・」(医療過誤訴訟において)。

「職業倫理がない業界と戦うのは難しい」と訴訟に敗訴した弁護士がTV取材で言っていた。

医師の善良なる管理者の注意義務の内容が他の医師から証言されないと、裁判で違法性が認められるのが難しいが、かばい合うのか証言が得られない模様だった。思うに、職業倫理があるならば、たとえ同業医師を敗訴させても正しく証言することが、業界全体としてレベルを保つことがわかるはずだが、それをしないとレベルを低下させ、自分で自分の業界の首を絞めることになる。こういう仕組みへの理解がないから訴訟が大変になる。個々の人より全体の問題だ。

福岡の弁護士で、よく勝訴し国会で患者の権利章典について意見を述べた人の本を読んだら、医療のこうあるべきというものを知っていて、医療側に依拠することなく、こちらが打ち立てて行く。そこまで出来ないと勝てないわけだから、過剰な負担だろう。

 

7)「専門性の壁」、「封建制の壁」、「密室性の壁」という3つの壁が医療過誤訴訟にあるそうで、いつもの診療を考える上でも参考になった。

封建制」が、大学病院の教授の絶大な人事権の面では改革があって変わって来たようだが、ごく最近まで女子受験生らへの合格基準の差別があり、しかも合格基準に嘘をついて受験させているわけで、他の学部や一般社会よりも、そこまでやってはいけないということがある。どこかの医学部長かどなたかが、女性は妊娠出産があるので労働力としてたくさん働かせられないからと言っていて、理系の人らしく体の特性をよく見ているけれども、妊娠出産を持ち出したら、永遠にどうしようもないことになる。子育て中の女性を雇わないというのも、そこまでやってはいけない。受験生や労働者でなくて患者としても、世界中で女性医師へのニーズは高いにもかかわらず、かえりみない。一般より不合理性がある。引き上げた方がいいでしょう。

 

8)「裁判外の紛争処理機関」。医療の特殊性から、普通の裁判あるいは法律では難しい面があるので、外国にはあると昔に読んだ。日本では弁護士会に医療ADRというのが出来たのを割と最近知った。現状ではそれでも困難と思う。尚、マナーとされるものや心理面の傷つきは、病院に苦情を言っても医療行為ですで終わりだそうで、自己決定権侵害の判例があっても、自ら変わって頂かなければ、終わらない。

 

9)厚生省は小さい役所だったし(医療も年金も)、残業も多いそうで、日本社会は、大蔵省(財務省)や経済第一でないとやって来られなかったから、規模もマンパワーもそちらに寄っていたから、厚生省でどれだけ出来たのだろうか、それでも医療は大事だからと頑張って、患者本位のところまでは、国が追い切れなかったと思っている。

厚労省の医系技官は業界から行くと聞いていて、医療側を代弁しているというのも読んだ。業界から患者本位に変えなければ、大本の厚生行政も変わらないということか。それとも厚生行政から変えるべきなのか。

 

10)①「羞恥心は無視される」。『患者よ、がんと闘うな(初版1995年、近藤誠医師)』という本を読んで予想外に多かったのが、女性患者の羞恥心が理不尽に踏みにじられるという記述だ。

又、放射線科の医師である先生は、健康診断の関係者はレントゲンをとらせてきたが、被ばくの影響は蓄積するということと、妊娠適齢期の女性にもかまわず被爆させて、後で妊娠がわかった時に騒ぎになることが書いてあった。近藤先生の怒りを感じた。医師は優しくなければいけませんともあった。(尚、現在は放射線の被ばく量というのか少ないかもしれないので、現時点での影響を私は分からない。)

この本を読むまでは一部の人のマナーだと思っていた。読んでからは、無視されるとはすごいけれど、どういう状況かと思っていたが、永年経験したら分かって来た。幅広い場面で当たり前のようにあり、避けられるはずのことも避けてくれない、意志の確認はなく、無言の圧力があり、一応のメリットはあるので小さいことは我慢できると思って我慢していたけれど、たまって行くものだった、大きいことがあったら一度でだめで、病院へ行くのにびくつく、というようなことだった。病院で吐き気をもよおしている女性患者はいる。

基礎医学(患者を診療する分野でない)へ進む者の中には、あまりのことに辟易して、そちらの道へ進む者もいると、その昔、どこかで読んだ。内部の人がよく怒っているから(私のブログによく出て来る)、そんなやり方をしなくても出来るはずだ、という例が多いのだろう。

日本の医学・医療の始まりの時代から連綿として続いている。

交通事故にあって救急車で運ばれて来た若い女性を裸にするのを、医学の1年生から見学させ、同情する人ばかりでなく、逆に、嘲笑したり女性を侮蔑の眼で見るのも目撃した。虫唾が走った。新たに女性蔑視を生んで来ていて、有害だ。

②「医療の場では女性は羞恥心を踏みにじられることが多く・・」(国連)ネット発達前の新聞。世界でも起こるが、日本では羞恥心は無視されるのだから、踏みにじられる以上のことがある。外国では、医療でも女性がノーなら性暴力だが、日本は性暴力の範囲が狭い国で、医療は例外にされてしまう。日本の医療行為は世界一、やり方が性虐待だろう。

 

③無視されるのだから、口にすると怒られたから、女性患者はどうする? 我慢しなければ治療を受けられないから、感情を押し殺すすべを覚え、あるいは自尊心を切り下げるのか。平気ですと言う人も歯を食いしばって固い調子で言っている。日本人は思い込んで言うことが出来る。能面のように無表情になって診察されている場面をみたし、羞恥心を感じないようにしなければならないというのも聞いた。調教であり、心に悪影響があった。タブーにもなった。

 

④世界では、医療の場で女性が羞恥心を踏みにじられることに対して、社会からの牽制がある。日本はこれから始める? 牽制はドラマ等からしか分からないので、それを書くしかない。

その昔、米国の産婦人科で実際にあったという話し。男性産婦人科医が女性患者にやりすぎなくらいの視診触診をして(欧米は1度は全裸にして調べる)、女性が苦情を提出し、男医が自殺し、以後、内診に立ち合い者をつけることにしたという。後に映画『ゆりかごを揺らす手(サスペンス、1992年)』をTVで観たら冒頭にそのいきさつが実際と同じではないだろうけれども描かれていた。映画では医師会に訴えることが出来るなど患者が泣き寝入りにならない様子がうかがえる。現実世界のほうでも、市民社会が発達しているのか、変なことをしたら社会的制裁があるから、立ち合いという改善策に結びついたと考えられる。海外の病院へ留学した医師「(昔)病院でもよくビンタされます。痛い思いをして分かるのです。」過激でも、性侵襲の影響の深刻さを分からない人はいるもので、それくらいしないと女性を守って来られなかった。

韓国ドラマ『馬医』。王族の女性が心停止し医師が国内初の心臓マッサージをする際に、女官に「胸をおはだけ下さい」と言い、女官がうっと言い、着物の胸元は細く縦長に開けて白い布を差し込んで肌の露出をなくし、そこで初めて医師が胸骨をたたくというシーン。医師が患者に治療内容とどこまで露出するかを正確に説明し、患者側はノーでないやり方を示すという手順だ。医師が正確に説明するからこそ、患者は自己決定が出来る。

中国の時代劇で、男性が女性の病人の食事の介助をする際「男女の区別が厳しいゆえ・・・」というセリフがあり、口移しでないスプーンのようなのを考案するシーン。韓国の『チャングムの誓い』で、「男女の区別が厳しいゆえ、医女を育てよ」。「男女の区別が厳しいゆえ」という言葉の中には、女性を守ると言う意味が含まれている。医療行為からも女性を守る。韓国の『百日の郎君様』で、元は高貴な身分だった女性がむち打ちの刑のあと、男医がお尻をほれ診せてみろと言うのを、だめ、だめときっぱりと断わり、男医がすごすごと引き上げていった。女性の沽券と健康は同等クラスなことが分かる。

 

⑤そうは言っても、診察と治療は皮膚を表さなければ出来ないことがある。又、欧米は、一度は全裸にして、身体を調べる。アジアのやり方ではない。問診と組み合わせる。それが中途半端に納得いかないやり方をしている。

私の第1稿で書いた、「医療全体が、普段の診療や健診から、性別や気持ちに配慮し、悔しくなくトラウマも作らなければ、いざ病気という時に本心から少しくらいならいいわという気になるのだろう。外国はそのようで、そんな問題は起こり得ないそうだ。いい加減ということはなく、その方が真に患者のことを考えるので、レベルが高い。日本は逆のことをしている。」

 

⑥③で述べたようなタブー視されている問題は、言葉で表現されないから、AIにも反映されないので、AIに聞いても出てこない。だから、この問題が存在しないかのような、奇妙な話しをしている。アンケートでも出てこない。タブーにしないためには、先ずは言葉で表現することが必要だと思う。これ以下に書き出したが、なんせ無視だから、事例があまりにも多くて長くなってしまった。これでも代表的なものだけだ。

又、次回に、街なかのAEDについて、救命医療の現実と学校での性教育とぶつかることと絡めて書く予定で、その前提としても必要だった。

 

⑦日本の医療は、羞恥心に触れる言葉がなく、羞恥心を無視する形でことを進める。

医療に性別は関係ないと洗脳して来る。世界中で女性医師へのニーズが高いにもかかわらず。

⑧「心電図は患者さんにとって苦痛のない検査です」との説明書きを病院ホームページで見た。採血のような痛みがないことを言っているのだが、女性は心電図は嫌いなのはわかるだろうに、羞恥心に触れる言葉がなく、女性にはこうやりますという説明がなく、苦痛がないと言い切る。健康診断で経験した配慮あるやり方は、前合わせの検診着を着て、女性技師から、検診着の上から乳首の高いところを自分で指して下さいと指示があり、それで取り付け位置がわかり、前あわせのところを持ち上げるだけで、技師が手を突っ込んで、ゼリーと紙と器具を取り付けるというやり方で、技術的にも心理的に問題なく出来た。1回しか経験しなかった。多いやり方は、前合わせの検診着の前を横に全部ばっとはだけさせる。検診着を貸さない医院も多く、女性技師が、金属がついているブラをはずして、着ているものを乳房の上までまくしあげるよう指示して器具を付けるというやり方で、そうしないと出来ないという説明だった。検査着を貸さないから出来ないだけだ。あられもない姿をさらした後でタオルをかけて頂いてもダメで、既に貶められている。汚れるからタオルしか貸さないそうで、タオルをかけておけばいいとしたり、クリーニング代の節約が気持ちより優先なのはイライラする。検査衣と洗濯代は診療報酬で評価されているのか知らないが、いないのだったら厚労省に交渉して含めてもらえばいい。意志の確認なく男性技師が出てくるところもあった。

最初の配慮あるやり方が普及しないのは、心電図の説明書きのような大本のところで、女性にはこのような検査衣が貸されてこのようにやります、というような説明にしないからだ。つまりはこういうことだ、繰り返すが、医療行為というものは裸です、配慮する義務はありませんので、スルーします。上層部がそうだと下の人はそのまま動くから、それであんなやり方のままだ。医療系の学校でも、原則的な裸のやり方を教えて、女性に対するやり方を教えていなくはないか。男性老医師「私なんか平気ですよ」男性はあれで問題ないのだから、医療について来られない女性はいいよ、という日本の医療の男性中心主義も見える。

病気の時だと、男性技師に名前を呼ばれて、名前を呼んだだけだろうと思ったら、やろうとすることがあって、こちらから言わない限りはやっていいことになっているようだ。又、女性患者には女性技師がやるのをルールにしているのに男性技師がやろうとするケースもある。乳房には悪意が向くので、拒否して下さい。検査技師は女性が多い。

尚、2025年度から健康診断での心電図とレントゲンはなくなったと確か報道があった。

⑨内科の聴診で女性に上までまくしあげさせる人。胸の色が変わっていないか一目瞭然に見え

たり、聴診器をあてやすい。屈辱と言う感情を知らないのであれば。

「(服をあげるのはお腹まで)下から聴診器を突っ込んでやればいいのです」と老医師。

「胸の色を見るには襟元を下げれば見えます」、「胸の膨らんでいるところを見てもしょうがありません。皮膚の表面ばかり見てもしょうがありません。」

このやり方を女性に教えずに、躾けて来た。悔しいですね。

外国のやり方をテレビに映る度に見ていたら、服の襟ぐりを少し下げる、もしくは上のボタンを開けて、医師の方がやりにくそうに手を突っ込んで聴診器を入れていた。医師側が女性に配慮するのが世界標準だ。あれは米国では軽い女がふざけてするポーズとの指摘もあった。

つい先日、現代ではまさかもうしていないだろうと期待して女医さんへ行ったら、ば~っと上まで上げて下さいと言われ、鋭かった。女医さんだと返って・・ということもある。変わっていない。患者側が自分で上げないのはいいらしいが、始めからそう言ってあげない。着脱しやすい恰好で来て下さいと掲示してあるところもあって、伸びる服を着て来るように普段から言っておけば、襟元を下げたり手を突っ込んでできるのに。服の上からでは聞こえないとか言ってる人もいて、診察衣を用意したらいい。風邪をひくと耳鼻科へ行く女性は多い。ごく最近、冬の風邪ひきの多い時期に耳鼻科へ行ったら、一目見ても若手の女性の比率が多かった。聴診のトラウマのせいだ。

⑩「(内診を)恥ずかしがらずにいらっしゃい。」日本の少し昔の家庭医学書産婦人科の頁。「一部の女性たちは婦人科診査(内診等)を嫌がる。もし女性が医師にあらかじめこの点を

知らせるなら、医師は余分の時間をとって、そしてどんな質問にもきっと答えてくれるだろう。」米国の家庭医学書の翻訳。世界では、内診を嫌がる女性の気持ちは、医師から認められていて、嫌がる人には医師は説明するだけで、あとは自己決定だ。だから、女性スタッフばかりの産婦人科クリニックとかも発達して来るのだろう。

日本では、内診は羞恥心を克服できるほど軽くないのに関わらず、恥ずかしいものを恥ずかしがるなと言い、羞恥心を曲げさせる。病気を治すためなら、医療行為を理解しなさい、と言う厳しい考えだ。行かなければお腹が痛くてしょうがない状況のもと、女性産婦人科医が少ない状況のもと、病気を治すためには羞恥心を克服して産婦人科へ行くのがきちんとした女性だと思い込まされて来た。

⑪甚平型の入院着(下はズボン)を、考案した医師の「これいいでしょう」と外国の学会か何かでの自慢気な言葉から、医療者がやり易いという発想ばかりで病衣を考案したようだ。甚平式は男性は普段からけっこう着ているが、女性は胸元が緩みやすいので嫌う人は多い。世界的にも入院着としては珍しい形だ。米国はワンピース型で、前は全面フラットで後ろが縦に切れ目があり紐で結び、心電図や点滴の管を入れる時は、紐を緩めて襟ぐりを丸く下げて手を突っ込んで出来そうで、ネグリジェみたいで日本人に向いていない感じで採用されないだろうが、安心して見ていられることは間違いない。アジアは、韓国ドラマでは、透けないように柄がはいった前空きのパジャマ型が多く、ボタンで上までしっかりとまる。ボタンをはずせば管でも付けられるから前空きパジャマで足りるということだ。何故日本では甚平にしたのか。甚平式だと、必要以上に乳房までばっと開きやすく、嫌な予感がしていたが、女性の看護師さん「乳首まで見る必要ないですよねっ!」と怒り。やはり乳首まではだけさせる人がいるらしい。入院は恐怖。最近はやっと、前開きパジャマで着崩れしにくく胸元がはだけにくいのがメリットという入院着も、たま~に見るようになった。入院着は病院指定だから、変えてほしい。

⑫「診察衣や検査衣を貸す義務はない」と、ある医師。医学の何かの本で、肩を出す診察の時、女性にはこのような診察衣が提供されるとあり、キャミソール型のちょっと外へ出られるくらいの診察衣のさし絵もあったので、それで出来るということだ。が、元々に書いてあるにもかかわらず、現場でバスタオルなんぞにしたりする。義務はないのか知らないが、患者の自己決定の権利がある。

学校検診などで背骨を調べる時など検査衣を着ていれば何でもないのに、後ろの空いた検査衣で出来るとマニュアルのようなのに書いてあるのにもかかわらず、それをしないで、不必要に女子の羞恥心を侵害して、子供を傷つけてきた。思春期の子供には気をつけてやらなければいけないと検査技師が言っていたから、子供の心の発達にもよくないにもかかわらず、有害なやり方をとってきた。裸は病気を発見するために必要な方法などではなく、一瞬しか見られず、じっくり見ずに短時間で次々とみていくやり方であり、背中の空いた診察衣を着ていた方が時間をかけて丁寧に診察できるし、できなければいけないのだ。教育委員会は、医師会に対して、裸はまかりならんと言わなければいけなかった。罪の重いことをした。男子もあるらしい。文科省が昨年、着衣が原則と言う通知を出したそうだが、関係者が見てないことがあるので、父兄は気を付けて下さい。健康診断では盗撮事件まで聞いたが、そういう人を怒れば済む話しでなく、大学病院で検査をこっそり見学するとか、自己決定なく踏みにじっていたら、人格がまだできていない人は勘違いする人もいるから、そういうことをすべきでないのだ。

下半身の方とか、女性も男性も、こういう検査衣を看護師さんが考えましたというのがニュースになるくらいだから、診察衣検査衣が日本ではいかにも珍しいということを示す。

患者は診察衣・検査衣というものを知らされていないから、我慢しなければならないものと思い込まされていて、病気の苦痛と心理面の苦痛が一緒になって区別がつかなくなって、病気で苦しんでいるのに、苦痛が倍増している。まだ元気な人が要求して圧力をかけたらいい。

⑬健康診断を受けるのは国民の「義務」だと法令で決まっている。義務は多分、日本だけだ。会社の就業規則にも従業員の義務だと書くらしい。義務にするのならば(受けなくても何も言われないが)、病院は人権侵害にならないようにやって頂きたいが、セクハラ事故はよく起きるのに、法令で強制力を持たせており、権力者だ。健康診断は、自分の健康状態等に興味が沸くから受けたい気持ちはあって、行くとちょこちょこ嫌なことがあり、それでも家庭医で見てくれる人がいるわけでもないから、また行って傷づけられて。各種健康診断の発達はここ40年くらいだろうか、その発達とともに、健康のために羞恥心を我慢しなさいという価値観ともも言えない屁理屈を、病院外の世の中にも広めてしまった。健康診断のおかげで病気が発見できたというのは、メリットのあった数例をクローズアップするだけで、全体の数値でみないから、デメリットは無視されて進めて、科学的でない。

⑭上層部が羞恥心無視だと、看護師、コメディカルもそうなって、それで病院中に拡大する。

家族がちょっと検査に行った病院で、看護師さんに家族は外でお待ち下さいと言われたので、何をするのですかと聞いたら、答えて頂けず、気になる内容の検査と思ったので、重ねて聞いたら、「それでは〇〇さんのは、出来ません」と言われ、医療からはじかれそうになった。やむを得ず、嫌なことは断ってとささやいてから室外へ出た。もう1件も同じだった。

露出が気になる超音波検査だったので、皮膚のどこを出すのか男性技師に聞いたら、あいまいな答えで、台の上でもっと下げてと言われ、出来ないわよと言ったら、医者には見せるだろと、最後は切れられた。問診だけだと言い返し、やっと女性技師を呼びに行った。最小限にしてあげようという優しい発想でない。本当は優しいのだろうけれども、教わっていないと思う。患者は検査に協力するものという発想のようで、反対のことを少し言っただけで、ぼかっと言われることが多い。

看護師さん(女性)「医療行為というものは・・・」「裸です」

レントゲンの検査衣をあえてなくしてしまい、そのくせ自分はもってくるということも。

老人は気にしないと男性技師が勝手に決めていた。気力が衰えているだけなのに。

医師「羞恥心がないと外からはっきりと言えるのは、おむつを替えている乳児だけです。」

⑮これを世の中の仕組みとして固めてしまった。これが世の中の仕組みだから従わなければならなくなる。でなければ子供も産めない。よほど強くなければ、逆らえない。

 

乳がん検診は、1970年代後半から始まり、始めから見て来て色々強く感じて来た。実施するのは自治体だが、厚労省の専門家の委員会とかで決める。メディアを通して、乳がんという病気の説明は後から思うと少なく、早期発見すれば治りやすいことが盛んに言われ、その為に検診を受けましょうと盛んに言われた。私も早期発見で治るのなら受けた方が得だと思ったが、後から思うとどういう格好になって何されるのかは知らされなかった。自己検診も知らされなかった。対象年齢でなかったが、別の病気で入院経験のある家族に薦めたら、思い切り嫌な顔をされ、目が覚めた。家族に届いた案内の、診察内容と実施医療機関一覧表をみたら、そこで初め気がついた、この頃は乳房の視触診で、一覧は病院の名前と住所のみだ。もしかして外科って男の先生ばかりじゃないの?その上で視診触診を受けろということだ、血圧上がった。ちなみにやる側の医師も、乳がん検診やらされると嫌そうに書いてあるのをみたことがある。不信感から、日本の家庭医学書を調べたら、乳がんという病気の説明はとても少なくて驚いた、早期発見すれば治り易いということと、検診にいらっしゃいという記述が2度繰り返されていた。大本がこれだからメディアを通してもそうなのだった。以後、がん検診の記事を、検診受けましょうはパスして、よく耳をすませていたら、「自己検診(自分で触診する)が最も発見されやすい。自己検診のやり方の説明。でも見つからないこともあるから2年に1度くらい検診も受けるのを薦める」とあり、正しい説明をした上で薦めるだけで、父権主義的な受けましょうでない。自己検診が一番大事だということもわかった。しかし、これはずいぶん前に1~2度しか聞けず、あとはもう盛んに検診受けましょうという報道がずっと続いた。大本のところが検診受けましょうだけだから、検診の団体とかを作ったら団体は検診の普及を使命として、検診受けましょうの大合唱だった。自己検診のやり方は聞こえずに消えた。知らされていないから知らない女性が多い。科学的に死亡率を減らすやり方かどうかという発想でないようだ。現場の医師も、しこりに触れて病院に来る人は、自分で発見した人が多いと、言う。

一覧表は、やる人の性別が分からない。外国みたいに、何も言わなくても女性が出て来ない。外国では男女で近い米国でさえ、治療は乳腺外科だが、まだ病気になっていない検診の内から男性医師や技師がやるということはなく、検診は女性スタッフばかりの産婦人科病院でやる、という新聞記事を読んだ。これも1度だけだ。日本は産婦人科も外科も男が多かったという事情はあるが、それでも地域に1ケ所くらいそういうところを作ろうと思えば出来ただろうが、一覧表には一切なく、せいぜい検診センターにおそるおそる行くと男医女医1人ずついて選んでよいというのが、かすかに想像されるくらい。

以後はあの報道を見ていないから、比較的若い人は、女性のがん検診は外国は女性スタッフばかりの産婦人科病院でやるのが当然で日本が特殊状況ことを知らない、乳がん検診も婦人科のがん検診も医療に性別は関係なく男でも我慢するもののように思い込まされている。自己検診のやり方も知らない。私ももう忘れた。羞恥心にふれずにことを進めるということはこのようにどんどん進む。洗脳するには、うまい方法だ。

マンモグラフィーを導入した時も、乳房を両側から板で挟んでいくレントゲン撮影を、欧米でやって有効だから導入したそうだ。欧米は胸が大きいから有効で、アジア女性は小さいから両方から挟んでいったら痛いし、最後まではさめなくて映らないだろうというのは、素人目にもわかった。胸の大きい人にはやるというわけでもない。全員に導入した。エビデンスが外国のしかないという事情はあるにせよ、はたまた自己検診をすすめない、

韓国の乳腺外科の日本語サイトがあって、上のほう2人が男性医師で女性医師が2人で、乳がんの検診は婦人科ですが治療は乳腺外科ですとあり、男性は管理でもやっているのか、撮影はレントゲンとあって、マンモグラフィーでないと思われる。平のうつ伏せがあるのですよね。

放射線科医である近藤先生のところへは、乳がんと言われたが、本当にがんなのか疑いを持った患者が訪れていたそうだ。見落としだけでなく、がんでないものを癌とされることがある。しかし、そういうことがありますと言うだけで、誤診のない方法にするのでなく、それを理解した上で検診に来るようにという説明まであるのには、まいった。

乳腺外科も男医が多く、自分はならない病気で(ごくまれに男性の乳がんもあるらしいが)、自分のことのように真剣には考えていないと思ってもいいだろう。産婦人科がどうして男なのかというと、成績悪い奴多いと聞いたのと同じで、あまり優秀な人がやっているとは思えない。

コロナ禍で乳がん検診を受ける人が減ったら、乳がん検診お忘れなくというバナー広告みたいのが、家でネットをやっていたらぼ~んと何度も出てきて、自宅まで追うようにしないでくれ。ポスターもみた。コロナなら、なおさら自己検診のやり方を教えたらいいのに。日本は乳がん検診の受診率が低いので、受診率を上げようというだけで、乳がんによる死亡率を減らすという発想は感じない。患者本位でない医療の弊害は、女性患者の状況によく表れると思われる。えさになりやすい。

令和2年度くらいから学校でのがん教育が始まった。この実態のままで。こどもに、医療者の性別は関係なく受診しろ、効果のない検診方法でも言う通りに受診しろと言っているようなものだ。返って心理面の発達に有害だ。がんだけが病気でないのにそこまでやらなくても。

皇室の人が自己検診を勧めていた。外資系企業が自己検診を推奨していた。米国から入って来たピンクリボン運動というのは、日本では、男医の視触診を受けるようにと言われているみたいだし、欧米人向きのマンモグラフィー検診に従順なので、偽善だ。しっかり考えて。

昨年の新聞記事でも、乳がん検診の無意味な検査を日本は繰り返す、とあった。

礼儀正しく言っている場合ではない。この変態的な状況は何だ。

選択的夫婦別姓

日本は島国で、井の中の蛙大海を知らず、子供の頃にそう感じていた。最近の選択的夫婦別姓への抵抗を見たら、島国の偏狭さを感じて、また同じ言葉が浮かんでしまった。 

数年前、経団連の理事の方がテレビで「能力に男女の差はありません」と明言するのを聞いて、あ、昔と変わったのだと思った。経済はグローバル経済だから、経済界は世界に進出して、後に引けない状況下で仕事と生活でもまれて否応なく変わり、考え方に合理が生まれるに違いない。昨年は、経団連から選択的夫婦別姓導入の提言もあった。井の中の蛙を脱したと思った。観光客が来たり留学したりして、ちょっと外の世界に触れただけではそうはいかない。

その経済も、株価や大企業の賃金、物価は上がっているが、中小企業や、その先はまだ見えない。別姓と経済はあまり関係ないだろうが、気分には関係する。少しは人の気持ちを考えた方がいい。

 結婚する時に、女性が、苗字を事実上一方的に男性にあわせること自体が苦痛だ。仕事上の不便さを解消すればよしとして、通称使用を拡大し戸籍に旧姓を併記する案は、ごまかしで侮辱だ。

子供の頃から親しんだ姓を変えたくない思いと、結婚する家族で同じ姓にしたい思いは、同時にある。でも、事実上の半強制で一方的に姓を変えたくない。選択できた上で夫の姓にするのなら苦痛は少ない。

家族の一体感がなくなると思う人は、自分達は同姓にしていればいい。

社会の構成要素である家族の呼称としての姓の意義が「失われる」は大げさだ。別姓を認めた場合でも、そう多くの夫婦が実際に別姓にするとも思えないし。人を型にはめないで。

 子供の姓を夫婦どちらにするかについて、婚姻時に決めるのか出生時に決めるのか等は、一般人には想像つかないので、専門家が提示して議論を進めて下さい。

政府の世論調査の結果、「国民の意見が分かれている」というのも国民をだしにして大げさに言っている。前回の政府調査後のテレビ取材で一般女性が、自分は夫の姓にしたいから別姓でなくていいというだけで、選択的別姓に反対と言っている風に見えた。自分はそうしないからというだけで反対してしまう。旧姓使用拡大でいいという意見も、それでは足りないことは難しくて理解されない。ゆるい反対と思う。差別は多数決でないと言われている。アンケートというものをどれほど信じるか? 導入した場合、世論調査で反対意見だった人達も、あらそうなったのね、というくらいではないか。