hateSyoushiの日記

少子化の本当の原因って、問題は医療、産婦人科が男だからじゃない?

(LGBT)職場トイレ制限訴訟の最高裁判決は、ベースのロジックに違和感あり。「反対もなく」と言われるのはきつい。

(2023年7月20日掲載分を9月10日一部修正しました(++部分追加)。)

本訴訟により、その醸す雰囲気のせいか、テレビを観ている限りでは、多様性の議論が、トイレにもかかわらず、女性よりもLGBTに流れていってしまった印象がある。

日経ネット2023年7月12日に本判決要旨と補足意見が掲載されたので、流されずに自分の意見をまとめることができたので、述べたい。

 

1.原告側主張について

数年前から、経産省LGBTの職員の方が、女性用トイレを使えないことの訴訟を起こしているという会見をよく見た。訴訟なので、代理人である弁護士がついて、訴訟戦略を考えた上で、ご本人をメディアの前に出し、発言もアドバイスによるという推測のもと、これは弱者ではないので、女性として遠慮なく意見を述べたい。

会見によれば、「2階(以上)離れた女性用トイレ(自分専用と思われる)に行かざるを得ないこと」、(女性用トイレ使用について他の女性職員の)「反対もなく」、「更衣室は一緒に使っている」、「今まで問題もなく」と述べられていた。

私は差別はしないが、「反対もなく」の部分は、本当かな?本心かな? 初めて聞かれたことでLGBTの方がどれほど男性を感じさせるものかわからず、それをトイレに受け入れるとどういう感じになるかまだ想像がつかないから、何も言わないで控えているのではないか、反対していない印象を与えるが、表明していないだけではないか。

更衣室というのも、同室で着替えている印象を与えているが、経産省は制服でないから更衣室と呼んでいる部屋は着替えをするわけではなく、破れたストッキングくらいスカートをまくって変えるが、トイレに隠れてするのかもしれないし、女性側が気を使いながら利用していると推測するが、同室着替えが問題なく行われているような印象を与えている。

「問題なく」は、トイレが一緒でないなら、問題が発生しないのが当然で、そのような状況にもかかわらず問題なくと言っていると思われる。

訴訟を有利にする戦略であり、弁護人なら当然することだが、テレビを通して「反対もなく」等が言い続けられたので、女性は嫌でないんだという印象をテレビに与えるのに成功したようだ。が、判決直前のインタビューで(反対者が)「2人いた」と述べられた。反対はあったのですね。もう判決にもテレビにも影響はないので弁護士さんから明かすことを許されたのかな? 

2階(以上)離れた女性用トイレに行っていることも、経産省内において自分だけそういう状況なのは確かに不便で不利だろうと同情はする。但し、男性は男性として育って来た方も含めて、不利な取り扱いをされることに慣れていなくて、わずかなことでも不当だと騒ぐと感じることは他の話題でも以前からあった。又、男性用トイレに行かざるを得ないということではなく、女性用トイレを自分一人でだと思うが、使えるのだから、性自認に合わせたトイレ利用であり、この点での苦痛はないように思う。

長く働いて色々な建物のトイレを経験して来た女性でないとわからないことがあるし、若い女性は経験少なくて知らないだろうから述べるけれども、狭いビルでフロアに1つあるトイレを大勢いる男性に譲るしかなく女性は3階離れたトイレを利用せざるを得ない会社、別の会社は古いビルで部屋の奥にトイレがあり女性が耐え難くて外に出て階段を1階のぼるかおりて雨の日も傘をさしてトイレに行くというところ。昼休みの女子トイレはよく混雑するので様子を見計らって交代制のように行くので休み時間をあまり自由に使っているとは言えない会社は結構ある。昔からずっと不利だと思い続けてきたが、トイレの増設・改修は上下水道管の増設等を含みあとから増設できるのかも不明だし大変お金がかかるだろうから職場に要求することなど考えられなかった。建て替えるまで長~く待つものであった。又、職場への通勤途中に駅の女子トイレを利用する時は、私の経験では必ず長い列ができていて時間をはかったら待ち時間だけで毎回15分近くかかった。遅刻する可能性があり電車を1本早めなければならなかった。  

「2階以上離れた」は他と比べて著しく不利ではないと思われる。女性として生きたい、女性用トイレを一緒に制限なく利用したいという思いがあっても、男子トイレを強制される訳でない状況で、女性という相手のあることであり、世の中これくらいのことはあると考える。

尚、経産省には完全個室の「多目的トイレ」というのかな、あるのか知らないが、あるとすればそれを利用することで、利用できるトイレの少ない不便さを解消できたかもしれない。

 

2.職場における女性のトイレの利用のし方について

(1)裁判でも一般でも、職場における女性のトイレの利用のし方が判っていないというかあまり検討されていないようなので、説明しなければならなくなった。テレビなど公の場なら苦笑されそうな内容である。年長者の私のような者が言ってやるのが務めだろう。

先ず、職場のトイレの特性として、週の内何日も、1日の内何時間も、過ごす時間が長く、1年中で、辞職するまで続き、要するに生活の一部となり、また嫌でも他を使うことが出来ず、要するに免れられない状況で、厳密に考える必要があると思う。

 男性だとさっと用をたすだけの場所だろう。女性用もドア1枚隔てているので大丈夫だと思われがちだろう。

女性がトイレをしている姿を想像してみろ、一辺に興ざめするから(興ざめとは違うセリフだったかもしれない)と言う外国の作家か忘れたが言いぐさがあったし、万国共通だろう。扉を閉めた個室内で、下着を下ろしお尻をまくって用をするという想像をされる可能性がある。だから職場でトイレに行ったとわからないように席を立つ女性も多い。異性を感じさせる人がはいってきたら、たとえ扉があっても、想像されることが気になるのではないか。

女性には排尿だけでなく生理がある。生理のごみ箱がトイレの個室内に置いてある。家庭内では小さい男の子が興味を持つということがあるようだ。絶対に開けられたくない。又、使用前の生理用品は、職場のロッカーや引き出しに入れておくと取り出した時に生理だとばれるので、トイレ内に棚を作って置いてある職場もあるが、その棚に手を伸ばして取れば生理中なことがトイレ内にいる人にはわかってしまう。

胸元やスカートのすそなど洋服をちょっと直す時に、執務する部屋でははばかられ、トイレや更衣室にいくこともある。ストッキングが破れたらトイレでスカートをまくって履き替える人もいる。

産後すぐ仕事に復帰した女性は、お乳が張って痛くなったり病気になるので搾乳をする必要があるが、場所に困って、トイレの個室で搾乳する人もいるようで、個室より洗面台のほうがやりやすく、乳房を隠すようにしても、異性を感じさせる人が来たら、ええもうどうにでもなれと思うより仕方ないのかな?

体が男性の方が、座る形のトイレを使うと、壁に飛び散って結構汚れるけれども、座って排尿するよう強制することはできないし、その都度掃除することもできない。狭いトイレ内で壁にスカートやコートのすそが触れないようにすることは大変だ。又、身体に関するプライベートなことなので聞いてはいけないことで、つまり飛び散りなど確かめようがないということでもある。

ここまで見ても排泄だけでなく生理から含めて出産機能のある女性特有のデリケートな場所である。

今まで女性用トイレは異性が絶対入って来ないという安心感からリラックスして利用できてきた。このような場所に異性を感じさせる人がいた場合、表情かたまるというか手がとまるというかぴくりとするような緊張感が一瞬走ると思うのだが、このぴくりは性的な侵襲であり、からだに触れられなくても、犯罪でなくても、見られる可能性があり、心理的な侵襲であり、女性を笑顔でいさせたいのならば、可能な限り避けて頂きたい。経産省では可能だろう。

(2)その上で、今現在、トイレは男性用女性用の2種類しかないところがほとんどで、どちらかを使うしかない職場もあろう。その場合に、男性用へ行ってではなく、性自認や外見に従ってトイレを利用していただくのは、比較的多くの女性がどうぞいいですよ、という気持ちになれると想像できる。もちろん、女性用トイレの特性と心理を理解していただいた上でである。又、多目的トイレを増やして原則的にはそちらを使ってほしいと思っている。

LGBTの方がトイレで困っているというのはどういう状況なのだろうか? この裁判の原告の場合は、自分用の女性トイレ使用が可能なのに他の女性と一緒を求めていて、どこにおいても制限なく性自認に従って利用できることを目指していると思える。そういうことではなくて、もう少し具体的にこんなこと言われるとかこんなふうに困ったとか伝わってくるのならば、よりよい解決策を出せると思うのだが。

公共施設を始め職場でないトイレは、職場と違って、一時的な利用が多く、顔見知りも少なく、利用の仕方も濃厚ではないので、LGBTの方の状況を理解できる可能性がある。判決の補足意見に公共施設は不特定多数の利用でこれは対象でないと書いてあったが、むしろ職場のほうが、女性にとって大変だ。

++7月時点ではそう思ったが、最近、女性用トイレは、使用後の水洗レバーやドアの鍵が、衛生上の理由で触るのが気がかりなことを思い出した。家庭と違い中に手洗い場もない女性用トイレを、男性の体かもしれない方が使用した後は、その手で鍵などに触れることに気づいた。顔を思い切りしかめた。又、このことに女性がすぐに気づくのは難しい。男性の裁判官も他の男性もどうして気づいて言ってくれない? 女性とLGBTとの間の問題で自分は蚊帳の外だと? こういうこともスルーして理解をとか言ってるのはおかしい。職場だろうと公共施設だろうと、女性としては男性用を使ってくれたほうがいい。++

 

3.LGBTのみでなく全少数者の解決策として、多目的(多機能)トイレに搾乳機能追加

「多目的トイレ」や「誰でもトイレ」について、私が経験した例を紹介する。商業施設で、フロアに男性用女性用の2種類のトイレがあったが、男性用トイレのあった場所を、「誰でもトイレ」に改修し、男性用は階段を1階おりてエレベーターの止まらない階に移った。「誰でもトイレ」は車いすで入れるように広く、一人ずつはいる完全個室で、ドアの横に大きく見やすい掲示があり、車いす、幼児が座れるベルト付きのチェア、おむつ交換代、男性のマーク、女性のマークがあり、見やすく、誰が使えるのかが明確で迷うこともなかった。LGBTの方というのは書いていない。しかし、それは掲示するようなものではないし、男性マークと女性マークがあるので、ご自分で判断して頂くことでいいのではないかと思うし、女性トイレでトラブルが生じた場合でも、誰でもトイレへ行ってと言えるので、女性が免れられない状況に陥ることは一応避けられる。又、男性用小便器と座れる便器と両方選べたほうがいいLGBTの方もいるのではと推測するので、彼ら彼女らにとってもこの方が便利ではないか。尚、男性は階段を降りることは不便だが、その施設では利用は少数で、松葉杖になるなどしても誰でもトイレを使えるので、特に問題ではないと思う。建物に恵まれているところならば、フロアごとに今ある男性用女性用のどちらかを改修して、こういうトイレにしていけばいいのではないか。ただ、まだ改良の余地があり、次の段落へ行く。

先日、NHKの番組で、多目的というのかな?同じようなトイレがあって、紹介されていた。前段落の誰でもトイレの例のほか、排泄の病気がある方もいて、使いやすくするように改良中というか、まだ問題点はあるような話しだった。色々な障害のあるケースも考えていると思われる。搾乳も出来るように是非したらいいと思う。やはりこういうトイレが流れだと思った。助成金でもだしたら・・・。本訴訟もあって、多様性をきちんと考えておかないと、無駄なトラブルになると考えるので、霞が関の省庁で率先して設置したらどうだろうか。

 

4.今回の訴訟のトイレでの多様性を考えるのに基本となるロジックについて

本訴訟が続いてから、一般紙に、性自認に応じた女性用トイレ利用を考えるにあたっては、女性が多数者で、LGBTが少数者という考え方なのだというのが、たぶんどこかの専門家の意見だと記憶するが紹介されていた。女性用トイレに進出してくる問題であるが、本来そのような考えに至るには実のある理論の積み重ねがあるはずだが、抽象的な題目しかなく、恐らく欧米にあった考え方のその部分だけ、ぼんと持ってきて、あてはまらないのに日本にあてはめたのではないかと思われた。ありがちだ。欧米は男女で近い文化で、又、男女に関係なくキスやハグをする文化で、パーティでは服を脱ぎ出す女性もいてそれを楽しんでいる。社会が正しい女性の扱い方も知っている。そういう文化と社会なら、性自認に従ったトイレ利用があっても何でもないくらいではないか。ならば、性自認に従った女性用トイレ利用において、LGBTが少数というロジックは日本で根拠がない。

別の考えを紹介する記事もあり、LGBTと女性の利害が対立する問題であると書いてあった。 こちらが本当だろう。でも新しい考え方でなく、はやらないのだろうか。日本の法律には比較衡量という用語があり法の専門家でないので便宜的に使うが、この問題は、両者の利害が対立する問題で、双方を比較し、利害を調整していく考え方が、裁判でもメディアでも欲しかった。

判決後の会見で、代理人弁護士さんから、犯罪を心配する声があることを、無理解であるかのように懸念していた。一人のことを言っているわけでなく、LGBTの方のトイレ利用が増えれば、だいたい男のほうが悪い奴はいるわけで、犯罪を懸念することは自由に言っていい意見だ。LGBTへの理解を広めたいそうだが、自由意見を言うことも批判するのを、弁護士が言うとは行き過ぎだ。犯罪者扱いして中傷したわけでもなさそうだ。意見を自粛する雰囲気を醸成しかねない。というかもう自粛しているのかも。

尚、性同一性障害は、逆のケースもあるが、もと女性の方のほうが主張が少ないと思われる。こちらも「問題もなく」とみなさないように留意しなければと思う。

 

5.判決を読んで

全般的に、LGBTを少数者であるととらえて、各論点を、少数者に有利になるように解釈していったものと思われる。「反対もなく」をかなり重視しているが、反対もなくは表明できなかったケースも含むもので、一切の反対がないような解釈は言葉のあやで、それは法律上はなかったという解釈なことは知っているが、もっと慎重に、本当にいいのか将来も問題は生じないかくらい考慮してほしかった。これに基づき、経産省が説明会か何かで数人が嫌な顔をしたことを根拠にしたことを過度なこととしているが、犯罪でもない心理的性的侵襲の状況下で、女性のノーの意思表示は、ウっと言うくらいの慎ましやかなものだ。心理的に打撃を受けている状況でもあり、侵襲されている本人が自ら気持ちを奮い立たせてノーと言うのはやや酷で、周囲が代弁するのだ。それが女性の扱い方だ。経産省の担当者がそうしたのは、全く正しい。雇用者は、性的心理的侵襲を伴うこの初めてのことに、声を大にして反対する人がいなくたって、女性職員は本当に大丈夫か考えるのは当然のことだ。それを過度なこととしてしまった。また両方の立場も考え、他にいるかもしれないLGBTは大丈夫かも考え、これから入省する方までに適用できるのかも考えるのは、雇用者として普通することで、一人に対してだけの問題とは考えない。判決のような非難に値しない。判決のように、女性が何でもないのだとみなして、LGBTは少数者と考えるのなら避難は成り立つのだろうが。

 

6.最後に

裁判の結果として、LGBTはトイレ制限されて大変であり、女性もLGBTのトイレを理解することこそが多様性だという雰囲気が各方面から感じられた。多様性やLGBT理解増進のような何かの大義名分の為に、女性に自己犠牲を求めてしまった印象だ。こういう類のことは昔からしてきた。

反対もなくとみなされる女性に対してこそ理解が必要だ。昔から、女性の意思や特に性的侵襲に対するノーが通じにくい国であり、女性を守る発想が少ない国であり、これは欧米とも中国や韓国とも違っている。昔、外国から日本企業に転勤してくる人も増えた頃、外国の方から、女性をかしずかせるとか、女性の扱いを知らないとかいう声が聞かれた。今は知らない人も知っている人もいるようだ。女性にとって何をするにも一丁目一番地で、多様性も実現しないと思う。日本人もそろそろ、女性の正しい扱い方を知るべきである。

 全く同時期に、改正刑法が施行され、強制性交から不同意にノーの範囲が広げられ、撮影罪も新設されたことは、気を吐いた。正確に把握していないが、ほんの1~2年くらい前までは議員さんに不同意などを説明しても、なめられてるくらいの反応だったらしい。いつの間にか進んだ感があるが、何十年も前から待っていたことであり、ここまでくるのに相当な年月と労力が必要だったと思う。今度は刑法にふれなくても、女性の意思がノーが尊重される世の中にしたいものだ。

以上

お産のイメージが悪い。少子化、虐待の連鎖、自己肯定感の低下・・。いいお産を!

「お産の時の経験は女性の人生に重大な影響をもたらします。」「お産がいいと女性はエンパワーすると言います。」助産婦さんが言った。たぶん世界の標準ではそう言われているのだろう。日本のお産はどうか。2001年、保健婦助産婦看護婦法の、婦から師への名称変更の改正の時、男性助産師導入への布石であると反対運動があって、助産婦さんが国会に呼ばれて、お産についての話をした。その証言後に、複数の国会議員さんから「これは大事なことだね。」と言われたと聞いたことが忘れられない。 ごく小さい赤ん坊や子供が、両親から暴力を受けたり虐待死するニュースが、ここ数年多いので、驚いている。子供というものや育児というものを、やり方を知らない、教えられていないということはあるだろう。それを考慮しても死なすまで暴力を奮うだろうか? 産んだ時のイメージがもっと幸せなものだったら、両親の気持ちが違っていたかもしれないと思うのである。社会の矛盾が弱者に現れている。少子化だけでない、世の中おかしくなっていまいか。 少子化問題では、政治家もメディアも男性の発言のほうが多い。そのせいもあるのか、産んでくれる人だけを相手にしていると感じることも多い。もちろん、両立や妊娠出産からみる政策もあることは知っている。男性と女性は同じ体験をしていないから、想像力が必要で、女性を少子化問題の話し合いにもっと参加させないのかと少し感じている。日本では結婚しない人や子供を持たない人が世界より特に多いようで、彼らがその選択をした理由は人それぞれで、聞いてもまとまらないだろうし、でもやりたいことをやった結果なのでなく、あまり自由に選んでいないと思われる。結婚するように仕向けても無駄で、政治家が、女性や若い男性もだが、その人生まで思いを馳せ、金銭ばかりでなく世の中を転換できるのか、みている。 保助看法・名称変更の改正時に、反対運動側から聞いたことは、ポイントは冒頭に書いたが、政治との関わりが少しだけわかった気がするので、詳しく書く。 この改正は男性助産師導入への布石であるとして、助産婦さんら女性達が集まり国会議員へ働きかける反対運動をしていることを新聞報道により知った。ちょうど自分も、医療セクハラひどいなあと思っていた矢先だったので、状況を近くで見ていた。 規制緩和の流れの中で、今はない日本新党の政権の時に、看護師さん達の職能団体である日本看護協会あるいは看護連盟の働きかけにより、助産婦資格が女性に限られていることを止めて男性にも認めることが、閣議決定されていたとのことだった。この閣議決定の報道は私はみなかったし全然知らなかった。職能団体がいいとすれば政治の場で簡単に通り、女性達に知らされず議論もなく女性の意志は無いもののようで、抑圧されているようで苦しかった。若干ほっとしたのは、男性の国会議員から出た話ではなく、男性議員から、さすがに、「(助産婦に男がいて)いいのかい?」と言われたということ。しかし女性である看護婦さん達の団体がいいとしているので、それならいいのだなと思ったのだろう。規制緩和というのは流れで一斉にわっとやったら危ない、どの規制をどう緩和するのか1つ1つ国民に分かるように議論してほしいと思った。 改正直前、野党の議員秘書さんから、産婦人科医が男でいいのに助産婦だけ男はだめだというのは通らないと言われ、年配の男性からは産婦人科医が男でいいと思われているんだとわかり、青ざめた。 反対運動の報道があってから、一般女性からも強い反対の声が聞かれた。最後の砦と表現された方もいて、追いつめられたと思った。産科医が男なのを我慢しているのに、研修医がいることもあるし、助産婦まで男がいるのは我慢が限界で、怒りが噴出していたと思う。 職業選択の自由だから認めるべきだという論点があった。当時は男女共同参画が言われていて、女性が職業上の男女差別をなくせと言うのなら、男性にも助産婦を認めたらどうだという男性側の心理があったようだ。事実、労働組合の連合だったか(正確な団体名を覚えていない)へ運動に行った議員さんが、組合はこれまで女性の職業の平等の為に色々やってきた、女性も男性に助産婦の道を認めるべきだと反発されるように言われたという。又、そもそもは助産学を教える教育の人、教育現場から出た声とのことで、男性看護師の生徒さんの中に助産を学びたい人がいたらしく、教えている人は自分の生徒にそうしてあげたかったのだろうが、助産学上の必要性とかいう話しではないようだ。助産師は内診もすれば乳房マッサージもするし、正常産はほぼ助産師だ。女性が激しくノーと言っている。しかし、助産師のやることも病院が女性をどう扱っているかよく知らないあるいは確かめない一部の法律家から、職業選択の自由の見地から認めるべきだという意見が、ちょっとあって、危ないと思った。女性の絶対的嫌悪を目の当たりにした法律家から、「職業選択の自由は弱い権利です。憲法を読めばわかりますが、公共の福祉に反しない限り、認められる権利です。世の中には数えきれないほどの職業があって、ただ1つの職業から排除されたからと言って、職業選択の自由が直ちに害されたとは言えません。公共の福祉に反するのなら、男性に助産師を認めないのは職業選択の自由に反しないでしょう。」とそんなことを聞いた。女性の羞恥心やお産の安心が害されないのであれば、助産師資格に男性を認めないことはこれに抵触するかもしれないが、この時以前から現在までそんな状況ではない、だから公共の福祉に反すると考える。 そして、女か男か選択権があればよくそれが鍵だと言う若手男性の意見もあったけれど、若い方は日本の病院というものを知らないから、医療従事者の性別を患者が選ぶことは最初の外来でこそ可能なこともあるが、普通させてもらえない、よく知らない人から不安な意見が出された。更には、選べないのはおかしいと言っている人に対し、選べないんです我慢してもらいますいう現実を正直に言えないのか、看護連盟の当時の議員さんが、今ならかなり上の年代になるが、選ばなきゃいけないんです、というありえないことを言っていた。病院は家の近くから選ばなきゃ患者はすごく大変なのは知っているはず。この年代の医療の方だと、今もあるが、上からものを言う、自分の都合でものを言う、ということは多かったようだ。 更には、別の職能団体で、肝心の助産婦会は、男性の導入を認めていないのに話が進んだようだ。この団体は国会議員を出していない。又、女性達も団結して女性団体があるわけではない。今もそうだと思うが、日本の民主主義は、色々な産業ごとの職能団体による利益誘導型政治と言う面が強いようだ。女性に選挙権があっても政治力に差がある。女性議員が増えるだけではだめで、家事育児などから解放されて団結して力を持てなければと思う。 反対運動側の弁護士さんが、(男性助産師導入について)議論するだけでも性暴力と言った。 海外の学会などへ行く方が、一連のことを海外の方に話したら、海外では男性助産師がいる国もあるらしいが、日本の女性は嫌がるというように話したら、女性がノーなら性暴力ですよと言われた。また、海外では日本のようなそんな問題は起こりえないとも言われた。推測だが、海外の病院では女性が嫌がることをしないし、嫌がってはいけませんと言う考えもない、男性助産師にはそれなりの何か役割分担があるのだろう。 ドイツは医療先進国、福祉先進国だが、男性助産師は正常分娩において女性が緊張するので自然な分娩を行うのに「有害」だということで、認められていないと聞いた。  この一連の出来事は、どの女性も知っているわけではないが、女性の心に城壁を作ったかもしれない。こういうことも少子化の一因だろう。 冒頭のような、いいお産がしたいものだ。

少子化の本当の原因は、産婦人科が男だから。これは構造問題だ。

少子化のみならず、多い人権侵害、経済の低成長も構造問題だ。戦後体制とエコノミックアニマルの発想から脱却し、失われた30年に解決できなかった問題を解決しつつ、日本を次のステップに構造変革すべきである。(一番初めの記事と2部構成です。)

Ⅰ.自分は子供の頃からずっと、「産婦人科が男だ」、「嫌だなあ」、「どうして男なの」と、男性産科医に対してではなく、そういう世の中に怒りを感じていた。その経過は前述の厚労省パブコメの意見(及び追加)に書いてある。男も嫌悪して「人権侵害だよな。」と言っていた。看護師さんはどんなことやるか知っていて、「産婦人科いやだ」と言っていた。ごく最近、テレビに珍しく女性の産婦人科医が出演しているのを見て、気持ちがすっとはいって寄りかかれるようで、いいもんだなと思った。テレビに男性の産婦人科医が登場すると、どんなに礼儀正しくても緊張感があった。自分は「産婦人科医は女の先生がいい。それも女医がやるのが原則の産婦人科病院でなきゃ行きたくない」。でも日本にはなさそうで、振り返ると、無意識に、産婦人科に行くことになるのを避ける選択を重ねていた。

 何で男がやってる?と複数の女性に聞かれ、ずっと考えてきた。パブコメには短く書いたので、こちらのⅡに詳しく書いた。1.女性産婦人科医だけでなく日本女性全体の社会進出の問題で、女性へのニーズの高い産婦人科医でさえ、仕事と家庭を両立して仕事を出来なかった国だということ、2.意外だが昔から性的に緩い慣習があった、という二方面だと考える。これを変えるには戦後の世の中の仕組みから現在までの構造を変える必要があるようだ(Ⅱ,Ⅲ)。

Ⅱ.1の概要.日本は現代でも女性の社会(職場)進出がとても遅いのは、差別が強いのではなく、昔からかなり質素な国という物質的理由が根本原因で、家事が重労働で、職場はホワイトカラーの労働生産性がかなり低く、通勤も長く、結果として体力が続かない等の理由で当の女性が出来なくて辞めて行った。仕事と家庭の両立が困難な為に女性本人が出来なかったことが大きい。政策に優先順位をつけて、制度作りや大きな道路やハコモノといった生産設備や産業を優先し、家庭に押し付けて来た色々があるようだ。住宅の性能不足、家庭に電気を使わせない、街の機能がない等々、家事はあまり楽にならなかった。これは家事育児お産などを手伝う女性を支援する職業の女性も、自分の家の暮らしで手一杯で継続就労しにくく外国と比べて育って来なかったということをも意味する。女性が家事から解放されれば、自分の家庭以外の他の家庭を助けられる女性が出てきて、女性が(産婦人科医や乳腺外科医を含めて)両立できてくる。職場の働き方や意識にも原因はあるが、意識は環境によることが大きく、両立できるように政策から変えるべきだ。患者本位の医療制度改革も重要だ。2の概要.昔から性的に緩い慣習があったようで、産婦人科に男性がはいってきやすく医療行為に歯止めがかからなかった一因と思える。

1.地理的条件、歴史、物質的理由、戦後からの流れ、日本の家事は重労働で両立出来ない。

(1)日本は今はグローバルでも、世界の東の端に位置し(極東)、地震など災害も多く、資源も少なく、食べ物もあまりとれず、地理的条件が悪くて昔からかなり質素な国だった。とても貧しいと特に女性は人身売買までされてしまう。

(2)戦争で特攻隊までやり焼け野原で、戦後すぐの状況は、かなりひどくて食べ物もなく戦争中よりも餓死者などの死者が多かったそうなので、戦後の政治は経済最優先だったろう。男性も女性も全会一致で支持したと思う。ここまで貧しいと一部の女性は性産業に行かざるを得なくなるということもある。政策に優先順位をつけて、民主的な「制度」や、物を運ぶ大きな道路等の「生産設備」を第一次に作り、中くらいの生活道路は次で、住宅は、正確には知らないが国の計画にはいっていないのかもしれない。

(3)高度経済成長、先進国の仲間入り、成功と言える。男性は企業では滅私奉公でもよく働いてくれて、男女の価値観の争いはあったが、当時の女性の望みは先ずは家計・収入で家の中を何とかしたい思いで、女性は恩を感じている。

ただ、高度経済成長は、日本の長い歴史の中では一瞬のこと、社会資本は蓄積したかというと、国や産業用で、家庭や住宅や個人まで回っていない。尚、トリクルダウンは有り余るほどの豊かさが続かないと起きないのではないか。日本は災害で持って行かれてしまうし。

暮らしに関わるほうは、見えないところで政策の優先順位が低く、家庭の仕事を少々犠牲にして産業を経済をよくするという形ではなかったかと思う。住宅の性能不足、街の機能がない、家庭に電気を使わせない(1~3段料金という設定で、電気を多く使った分は料率が高い段階に上がるのでびっくりさせて使わせない方法、産業界が優先)、暮らしに密着した厚生省は小さい役所で忙しい、といったところが私が気づいた点だ。学校も役所の手続きも病院も引っ越しも、あれもこれも忙しい。主婦は楽だと思われていたが、仕事以外の家の全部を担っていた。

この時代、企業は、妊娠出産があり家事育児介護まで担う女性より、男性を使ったほうが効率よく活動できたろう。企業は概ね差別で行動するのでなく、効率性を考えて合理的な選択をしていると思うので、偏狭な考えはあっても、女性の社会進出が遅れたのは企業に責任はあまりないと思っている。経済発展も女性の地位向上も一辺にはできなかった。働きたい女性には酷だが、時代だった。

地理的条件等がこんなに悪い国では、公害や女性の地位など負の面はあっても、そうでもしなければ発展しなかった。

この成功体験で日本は1億総中流の豊かな国と思い、自分が見えなくなったのかもしれない。

(4)男女雇用機会均等法が、バブル経済直前の1985年にできた。法律で、雇用機会は均等にすべしと認められたことはよかったが、均等法を作るだけで、女性が家庭も持って働くには、(女性への助けを)色々なことをやらなければいけないのに、しないで均等法だけ作られた。

(5)1991年から1993年頃のバブル崩壊後から最近まで、失われた30年と言われる。この時期、指摘されても解決されずに通り過ぎた問題が色々あったように記憶している。戦後体制の経済一辺倒の頭だったのか、文化や暮らしがだいぶ違う欧米を見て手本にしてしまったのかもしれない。この30年ほどを総点検したい位だ。

(6)日本は家事の内、食事作りが最も大変だ。アジアでは、家から5分位のところに屋台や商店街があったりデリバリーが発達したりして、家で食事を作らなくても済むので、日本より女性が楽に社会進出できるのではないかと聞いた。日本は食事作りが大変なために女性の社会進出が遅れているという話しがあり、自分も実感する。外国の人から日本の女性は料理できないと思われているし、日本の男性も料理をちゃんと作れるようになってから外で働いてくれと明確に言う人もいた。日本は鎖国していた時に香辛料がはいって来なかったが、香辛料は食事を劇的に変えたと、世界史の教科書に書いてあったほど大きな出来事だった。専門筋によると、どんな国でも食は完成しているが、和食は香辛料なしで完成してしまった。外国はパクパク食べられるおいしさだ。日本の肉や魚を甘くするのは臭みを感じにくくする調理法で臭みが完全にとれるわけではない。糖尿病が国民病になっているし、子供が食べなくて母親は苦労する。肝心な肉や魚の料理がなく、定番料理が多ければ楽になるのに、手を変え品を変えレシピになり重労働、外国は一皿に色々はいっているが一汁三菜は日本独自で重労働・・。食は自分達でやることで、今みんな頑張ってやっている所だと思うが、食は時間がかかるそうだ。

(7)これらの結果の1つとして、他国より際立って、家事が重労働だ(終わらない、夜中までやってる、作業環境・動線が悪い、家の付属設備が少ない、外注率が低い、家庭で使う物より、業務用の物から先に発展していく、世界一の自動車メーカーがあっても路上駐車ができなくて家の用事をちょっと足すのにも使えない、買い物もあちこちに行くし、洗濯洗剤を買うにもメーカーと種類が多すぎて迷うし品切れ多いし、外国は2つくらいのメーカーに収束して一瞬で決まる、経産省の産業の護送船団方式?)、外国人からは、どうしてそんなに大変なのと言われる、アメリカの家事は日本の何倍も楽、暮らしやすいヨーロッパ、裕福なら朝8時から家に手伝いに来てくれる人がいる、ベビーシッターの伝統、アジアはお姑さんが子供を見てくれるが日本はもううんざりだろう、等々)。又、家事は工夫すれば楽になると思ったが、工夫しても小さいことしかできなかった。住宅の性能、電気、街の機能等、大きいことをやらなければ楽にならないのだ。日本の女性は家事時間が世界一長く、男性の家事時間が短く、男性の家事分担が推奨されたが、手伝いにくくて、もとからやらなければだめだ。但しすぐにできないことなので、今は手伝うしかないけれども。

 結果、保育士やお手伝いさんを初め、家事育児を手伝うような女性を支援する職業の女性も、自分の家の暮らしで手一杯で、途中でやめて、近隣アジアと比べても、有資格者は増えても稼働できる人が少ない。外国では女性が社会進出する以前から、女性が向いていて担っていた教師とか看護師とか医師も、少なかったり続かなかったりする。夜間早朝休日まで出来る人、一切やってくれるほどのサービスまで広がっていくような発展が望めない。助産師が産後の家に派遣されても、まだ産後院とまではいかず、労力が楽になるわけではない。女性産科医の場合、小さい子がいる時に当直ができないことがネックだ思うが、夜、来てくれるほどのベビーシッターとかまで発展してほしい。

2.昔から性的に緩い慣習があったようで、民族学、中国人女子留学生の記事、韓国ドラマ等が参考になった。

大昔、日本が財力がない為に、銭湯が男女別に作れなくて混浴で、来日した外国人がびっくりしていたそうだ。三助さんと言う背中を流す職業の男性がいて、蒸し暑いせいもあるのか、どこか羞恥心が緩い場合があったようだ。現代も番台が内側に。それで産婦人科医に男性がはいってきやすかったのかもしれない。そんな時代でもお産は女性の助産婦でやっていたが。

留学生に指摘されたという記事(business insider japan)では、中国の女性は親から、自分の体を守るように、こんこんと言われると。日本女性は肩を触られても笑っているので嫌でないのかと驚いたと。嫌だという気持ちは同じだが、人の和が一番大事だという価値観だったようで、雰囲気を壊してまでノーが言いにくい。

LGBTの方が女湯を使わしてほしいと、日本女性は断ると差別にならないか悩んでいるというような状況(テレビ)。韓国への取材で「韓国は絶対です!」。日本女性も嫌だという気持ちは同じはずだが、LGBTの方を差別しないという啓発があって、それは賛成だが、着替えや入浴までは拒否できるはずなのにそのイメージがなく、どう考えていいか判らなくなっている。

日本の女性は他国のように、自分の体を守ることを親から教わっていないし、性的に侵害されるような場面で、犯罪は別だが、毅然とした態度をとることがあまりできない。この意味で女性が自分を守るということが確立していないように思う。

そういう中で社会の仕組みが作られ医療も発達、医療を学び、女性の医師、看護師、検査技師、医療ライターの中にも、羞恥心への配慮が緩い場合があり、医療の場でノーが言いにくい。

例えば、数年前の自身の経験で、個人医院のレントゲン室で、ここは誰も来ないからと女性技師さんばかりの中で言われ、着替えていたら、男性医師が何かを取りに入って来て、まだ着替えていますと叫んだが完全無視された。女性技師さんに丁寧に苦情申し上げたら、「医療従事者ですよ!」と怒られ、その男性医師にもとても礼儀正しく、更衣中に入室するのはびくつくのでやめてほしいと言ったら、これまた「医療行為!」と言われ一切聞き入れなかった。ぼかっと殴られたみたいだった。医療行為だと何なのですか?と聞いたが答えはなかった。更衣中の入室は完全に避けられたこと。医療行為ならいいのだと思われている点が嫌だった。マナーをよくするとか言ったって、この考え方の方が強い。ほかでの健康診断でも、物陰の更衣スペースすら作られず、女性が着替えているのに、レントゲン室のガラス窓の向こう側のカーテンを、異性が断りなくぱっと開けて、更衣が終わったかどうか確かめ、女性がいいと言わないのに入って来るところが多く、びくびくしながら着替えていた。どの病院へ行っても何かしらあるので、もう病院に寄り付けない。やられたことの結果である。私に責任はない。

 中国や韓国の時代劇ドラマに、医療の場で「男女の区別が厳しいゆえ」と言う場面が複数あった。医療の初期の内から、絶対権力者や宗教か儒教の強い立場で、医療を牽制してきたようで世の中の秩序になっている。日本では儒教は庶民には広まらなかったそうだ。医療を牽制するもの、女性を守るものがない。ならば「女性がノーなら性暴力ですよ」と、かんで言って含めるように言い続けるしかない。

Ⅲ.これどうやったらいいのだろう。私には原理的なことしか判らないが、こう考えて来ると、これは構造問題だ。少子化のみならず、多いと言う隠れた人権問題、虐待的な世の中、労働生産性の悪さ、経済の低成長等もだ。戦後体制とエコノミックアニマルの発想から脱却し、失われた30年に解決できなかった問題を解決しつつ、日本を次のステップに構造変革すべきである。

先ずは、日本には見えないところで権限ある立場で世の中のつまりになっていることがあると思う。つまりを取り除くことで世の中が動くのではないか。

政治は、産業や制度中心で、以前は、国の形こそ大事で国民に対しては何なのだろうと思うこともあった。暮らし(収入のことではない)に目を向け、財源については国の予算のバランスを変えるなど、構造変革すべきだ。

 少子化の底流には、人権意識の変化があると思う。表向き話せなかったプライバシーがネットでばれてきている。構造変革が、女性の家庭・育児と仕事との両立、お産のイメージの向上、医療制度改革まで行かなければ、少子化の底流は続くと思う。お産の時、女性は最も無防備だ。そこでプライバシーをはじめしっかり守られているというイメージがなければ、子孫を残す本能にも関わる。昔からあるような女性は子供を産めという感じがしたら、もうついていけない。自身は病院は押し付けて来ることを知っていたので、お産は男子禁制でなければ産まないと決めていた。選択は人それぞれであるが、自由に選択できていないと思う。

子供関連については、子育てにお金がかかるし、育児は重労働だし、国の予算の家族関係支出というのか子供関連予算が、ずっと少なかったことがあるようで、これを増やすのは、中身を考えつつだが、賛成である。ただ特に少子化対策とは思わず、今までやるべきだったことを、やっとやりだしたということで、少子化対策の第一段階ならいいと思う。更に、親の労力も考えてやってほしい。赤ちゃんが生まれた家に助産師さんを派遣することは言い様に見えるが、管理がこれ以上強まるのは今の人は嫌だろうし、親の労力を減らすものでないし、ケアプランはやる人によって能力の違いがあり、担い手の人材面から、患者主体の医療制度改革も必要だ。

 金銭給付については、永らく経済が上がらず賃金を抑えて会社等が倒れないようにしてきたので、収入不十分で結婚や子供を持てないケースは、目立つと思う。だからと言って、税での調節や金銭給付をどんどん増やす方向に行ったら、みんながそれで産むと言うわけではないし、日本には産めという発想がまだあってそれを感じる。金銭給付は常識的な範囲でいい。

結婚しないから、晩婚化だから生まれないのではなくて、産む適齢期もあるので、産みたければ結婚に向かって努力するだろう。産みたくなければ結婚はゆっくりでいい。

少子化というのは、どんな国でも、国や社会の仕組みと国民の人生があわなくなったところに基調としてでてくるという気がしている。

人権関連では、外国の人は感情というものを大切に取り扱うと、昔の新聞に書いてあった。日本人は感情的だったり感情論になったりするが、それではなく感情である。たぶん人権感覚のもとだろう。感情、感性、モノ扱い、虐待的な世の中、愛情表現、ものづくりだけでない戦略的思考・・・自分も含めて日本人も学べたらいいと思う。

経済についても、人は自分の代より子供の将来がよくなることを願って、一生懸命働くのだと聞いた。この自然の摂理が働くのならば、経済も人権も好転するのだと思っている。その入口の妊娠出産は特に大事で、育児も両立も人生も大事だ。女性に家事ばかりやらせるより、付加価値を高める労働を出来るように世の中を転換したほうが、現代は効率がいいと思う。

女性を使うためには、場合によっては女性に啓発が必要かもしれない。日本の女性は家庭でも外国の女性のような交渉能力がないと昔の新聞に書いてあったし、最近、中国の女性はもっと言うよと日本に来た中国の人が言っていた。言う力が必要だ。又、日本の女性は歴史的に権威ある立場についたことが極めて少ないが、管理や指導の立場になった場合、やり方が判らないのではと思うことがあり、医療介護保育でもその他でも感じる場合がある。

女性産科医の現状は? 準備はできているのに目詰まりがあるのでは? 女性医師だけで分娩ができる産科を、東京都でネット検索したらほぼ皆無だった。現在、産婦人科に入局する女性は男女比で過半数(まだその程度)だが、分娩をとる産科に残るのは男性が多いとのこと。今のところの理由は、分娩は24時間いつ始まるかわからなく、当直等の勤務が大変、産科事故も多いからとのこと。なり手自体も減っている。女性が開業する場合は分娩を扱わないレディースクリニック(婦人科のみ。妊婦健診あり。)が多いようだ。女性産婦人科医に支援してほしいことをよく聞いてほしい。環境・支援さえ整えば、すぐさま分娩をとるく準備はできていると感じた。能力は充分ある人達なので、支援さえ適切で充分ならば、すぐに浮上してくると思う。「産婦人科勤務医の待遇改善と女性医師の就労環境に関するアンケート調査報告」(2015年1月、(公社)日本産婦人科医会)を発見、女性医師の就労支 援は多数行われているようだが、実効性は? 構造問題であるので、現場にやらせるだけでは壁にあたるから、支援してあげてほしい。以上

産婦人科医療を男ばかりでやると、こうなります。

 もうずっと昔から産婦人科医療に不満があり、緊急避妊薬すら長~く認めないことにぶち切れて、ちょうど作年末から、厚生労働省「緊急避妊薬のスイッチ OTC 化に係る検討会議での議論」に関する御意見を募集していたので、意見を提出した。字数が多くなるので、避妊薬に直接関係なかった++部分は今回追加した。人によって感じ方に違いはあっても、日本の標準で規範となるようにと考えた。又、最近の少子化の議論を見つつ、自分の思うところで、みんなも同意してくれるだろうところを、もう1つの文章にまとめた。

 

パブリックコメントの意見:緊急避妊薬の薬局販売は承認するのが当然で、生殖権について繰り返し述べるのも手間、遅れこそ問題だ。厚労省が積極的になり前へ進めるべきである。かつ何故遅いか考え、他に同様の問題もあるので、産婦人科医療の改革につなげるべきである。++現在緊急に避妊したければ産婦人科へ行く必要あり。近隣アジアと比べてもすごい遅れ++

意見の理由、根拠等:(++から++までは、提出したもにはない)

産婦人科医療の遅れは色々あって今回のこともその1つである。国民の半数に関わり、ひいては少子化等の国力にも関わると考えるので、特定の職業全体を批判することになるが、1産婦人科の父権主義、2産婦人科を含む医療の場での女性の事例、3厚生行政に日頃から思うことから述べる。

1(1)私は、日本で男の産婦人科医を、初めから信用することはない。何故なら日本はアジアの国、欧米と違い、胸とお尻は異性に見せない性文化のもと、女性患者ばかりのもと、大きく開脚させて覗き込み、膣へ指や器具を挿入する内診という最高レベルの羞恥心を伴う医療行為を、嫌そうにしている女性に我慢させることのできる人達だからだ。女性が医師という仕事を本当にできなかっただろう大昔なら、やる人がいないので存在理由があるが。医療行為ならやってよく、医療従事者なら多くが見てよく、屈辱感のない方法を最大限とるわけでもない。

 以前テレビで、老産婦人科男医が「やってあげる」と言っていた。医療行為は治療のメリットがあるがそれでも嫌でなくなる訳ではない。むしろ、我慢させてはいけない類のことを我慢しなければ、治療のメリットを享受できない。

産婦人科男医の「欧米の女性は平気です」という言葉を見た。欧米は男女で近く肌をさらす文化で男医はすごく優しいから全然平気なのだ。日本は医師が上で文化もそのままで女性にのみ平気になれと言う。医学は科学だが、患者には正しい理屈の適用でなく、押さえる理屈でコントロールしようとして来た。

以前の家庭医学書等から「恥ずかしがらずにいらっしゃい」というのをよく聞いた。まさしく父権と思う。羞恥心は子供の頃から形成された心の状態で、考え方ではなく、他から変えようとすれば毒である。医師側が恥ずかしくないやり方を工夫すべきだ。米国の家庭医学書の日本語訳には「一部の女性は内診を嫌がる。その場合には医師は説明をしてくれるであろう」と羞恥心に触れる優しさがあった。日本のように、恥ずかしがらずにと言われると、恥ずかしいという言葉も怒られそうで言えなくなる。羞恥心を無視する流れである。昔からずっとで、上層部の医師がそうなら病院の人にも広がった。

別の老産婦人科男医が、昔の女性は内診台の前でもじもじしていたが、最近の女性はさっと上がってくれると喜んでいた。速くすまさなければ苦痛が長引く。心を曲げてしまった。

診察する環境も、内診台のお腹の上でカーテンを横に引き、誰がいるか確認できないところへ秘部を出すのが、日本独特で疑問視されていた。理由を聞けば気持ちへの配慮と言っても、医療者が業務しやすく、見学もさせやすいだろう。他にもある。

高名な老産婦人科男医を称えるテレビ番組で、産後に乳が張っているか、一人ずついきなり掴んでいた。違うと思った。++女性達は無表情で感情を押し殺しているようだった。++

++産婦人科の男性医師「病気を治してもらうと言っても仕事でやっているのです。必要以上に感謝することはありません。」仕事でやっているとは、患者の為ばかりでなく自己実現や収入を得る道だということだ。女性側は感謝すると気持ちが楽になる心理もあると思う。++

++日本の女性には嫌な医療行為は拒否できると教えてやらなければいけないだろう。++

欧米へ留学経験のある男医が「日本の女性は胸とお尻はだめです」と言い、日本の病院の羞恥心を無視する状況をネットで怒っていた。別の方も、外国の医療者から日本について(医療行為であっても)「女性がノーなら性暴力ですよ」と言われたと、これは普遍的なはずだ。又、米国の男医は女性が嫌そうにしていたら出来ませんとすぐさま向こうから引くそう。日本のような、そんな問題は起こりえないそう。日本の女性の医療の場での傷付きは、宙に浮いている。

最近のテレビで男の先生が「男がやるとこういうことが起こります。」

産婦人科が父権主義とは調教的ということだ。治療でも色々我慢させて来たと推測する。

今回の事も、報道によれば、義務教育での性教育を、アジアの隣国でなく、性文化が全然違う欧米と比較した。アンケートや課題の中にも細かく、産婦人科医の権限外と思われる自己決定の範疇のものが目立ち、余計だと感じた。高いハードルを設定しゆっくり待つ。又、学校での性教育の遅れを指摘するが、性教育の主要な担い手は産婦人科医のはずだし、受診しやすく医師の説明が十分あれば患者は性の知識が増えるもので、矛盾を感じた。学校で性教育するにも日本は中絶が手術による為、生徒に中絶ビデオを見せてびっくりさせて避妊に向かわせるという性教育、脅かされるような性教育があったと聞く。学校での性教育の後退の一因かもしれない。そのような性教育にならないことを望む。薬事態が問題ないのに、緊急避妊しやすいかという女性の人生の一大事に思いを馳せるでもなく、楽な選択肢を与えないで壁になった。

(2)産婦人科でさえ、また乳腺外科医でさえ女医が少ないのは、女性が家庭と仕事を両立し働き続けられない、海外より困難なこの国の特殊な事情がある。男医「女性が出来なかったから我々がやっているのだ」

戦後のGHQの政策は?まだ助産婦でやっているのかと。産めよ増やせよ政策もあった。

厚労省以外の構造問題があって、1つに、日本の家事労働はそもそも重く、毎日の食事作りが他国と比べかなり大変で足かせで、これは自分達でやるが、政策が永らく、制度作りや大きな道路やハコモノや経済等を優先し、家庭に押し付けて来た色々があるようで、性能やエネルギー不足で家事のやりにくい住宅、街の機能がない、子供関連予算不足等々、暮らしは優先順位が低かった。これは家事育児を手伝うような女性を支援する職業の女性も、自分の家の暮らしで手一杯で継続就労しにくく外国と比べて育って来なかったということをも意味する。このせいか産婦人科医でさえ乳腺外科医でさえ女性ができなかったと考える。政策は、他省庁であるが、保育園は入れなければ仕事ができないという“危急の問題”であってそれだけでは当然足りず、育児支援でも足りず、妊娠出産から見て行く必要があり、医療は最も重要で、女性の暮らしから見ていく必要があり、今まで優先順位が低かったこういう根本からやって、予算のバランスも大事で、両立できるようにしてほしいと望む。

又、一部医学部で女子受験生の合格基準が密かに厳しいことが判明、テレビ局の女医へのアンケートで、やむを得ないという意見が多くキャスターが驚き、識者によれば「あきらめ」だそうで、一般社会より封建的なようで、外部からよくみてやってほしい。入局や採用差別もだ。女医を求めても担い手を増やせないではどうにもならない。

又、日本の産婦人科の妊娠出産は大変なやり方をし、労働量が多くなっていると感じる。韓国は2012年に男性の産婦人科への新規入局は10人となった。ほとんどが女性スタッフの産婦人科病院で、分娩予約し出産日を決め、希望者には麻酔で痛くなくし、分娩台等は使わず部屋を移動せず、家族分娩室の普通のベッドで出産しそのまま泊まる。病院に産後院までついている。医師も妊婦も楽そうだ。日本の世界より早いペースの少子化はこういう医療提供体制でないからではないか。日本では女性スタッフのみにしないと危ない++男を拒否できない。++産婦人科は大変だから女医では出来ないではなく、大変にならないようにしたらいい。

産婦人科の学会か何かのホームページで、少子化の為に我々も何かやろうと、女医が働きやすい労働環境を整えようと言うのが1件あった。私は男の産婦人科医は、女医を雇い働き続けられるようにする人を信用し始める。表面上の優しさでなく真の優しさだとの期待がある。その女医に、水準に達してもらわなければならないことは言うまでもない。マナーもである。日本の産婦人科は初めからずっと男医が作って来て男医のやり方になっている。女医がやっても侵襲性があるやり方になってしまった。志のある女医が仕切り直してほしい。

++男性は産婦人科に新規入局しないでと願っている。++

今回の事も、女性に寄り添える女性委員を増やせばよかった。一般的には、他人事でなく自分ごとのように親身に考えられるはずだ。

2.(1)私が10代の頃、母がもう大きくなったから言うねと、1960年代に私を妊娠中、健康で問題なく産む気でいたが、男医が「中絶しろって言うのよ。」金切り声で泣き顔だった。「心細くてね。」近所のその医院の前を通る様に連れて行き、「ここよ」と吐き捨てるように言った時、まだ怒っているのだと思った。お産とは、喜びと、怒りとその下の悲しみが、同時に来るのだと知った。近所の別の産婦人科医院も中絶を勧めていた。子供の頃からずっと、産婦人科医が望まない女性に中絶を勧めることが不思議だった。

(2)自身が成長するにつれ、他科も含めて、メディアや、学校検診や健康診断の一部のやり方を通して色々聞こえ経験した。まだ何が正しいのか判断がつかない若い内から、産婦人科医でさえ性別は関係ないと刷り込まれるようで怒りを感じ、医療行為は人によっては慣れさせようとしたり悪意があったりすることに憤慨した。入院着が、外国はみな胸元の上まで止まるが、日本は医療者が胸を大きくはだけさせ易いという甚平型に変わって行った時も入院が怖くなった。日本の女性は胸とお尻はだめなのが標準で、絶対かつ第一で、少しでも侵襲されればずっと苦しみ、医療が怖くなりかえって有害だ。やむを得ないとか、説明すれば判るとか、理解を得られるように努めると言われるのも苦痛だ。診察衣や検査衣が整っていれば何でもないことが多いのに極めて不十分で、診察衣等を出す義務はないとの考え方のようで、外国と違い、びっくりした。

拒否権なく、従わなければ医療を受けられないこともある。色んなこと言って、押さえ付ける役割の女性達がいる。技師さんが「私達慣れてしまって・・・」。

医療全体が、普段の診療や健診から、性別や気持ちに配慮し、悔しくなくトラウマも作らなければ、いざ病気という時に本心から少しくらいならいいわという気になるのだろう。外国はそのようで、そんな問題は起こり得ないそうだ。いい加減ということはなく、その方が真に患者のことを考えるので、レベルが高い。日本は逆のことをしている。真に優しい人もたくさんいるのに、そういう人達の力が勝ってほしい。

(3)産婦の死亡率は下がった(栄養状態や衛生状態の改善も寄与)が新生児の死亡率は高かったそう。小児科医「産婦人科の色々な問題」

経口避妊薬のピルが、海外より遅れなぜか解禁されなかった。

子宮がんと乳がん検診が始まった頃、病気の説明がなく早期発見と検診の勧めだけなのが不信で、米国の家庭医学書の日本語訳を買ったら、病気の説明と自己検診(乳がん)と定期健診だった。性別不明の検診医療機関一覧表を渡され、ネットのHPもない頃は調べることもできず、外国にあるというほとんどが女医の産婦人科専門病院、乳がん検診もそこで、こういう病院の1つも作らないで、日本の女性は受診率が低く意識が遅れているかのような言い様がある。受診率が低いのは外国とやり方と信用が違うからだ。他科の医師も「健診関係者が・・・」

中絶の方法が諸外国よりもずいぶん遅れ、薬でなく、まだ吸引やそうは法といった外科的手術がとられているとか。手術は高いし。

子宮頸がんワクチンが、具合が悪い人が出るともうずっと受けられなくて、WHOの勧告。

生殖補助医療が進歩し卵子凍結など選択肢が増えて嬉しい気がしたが、基本的な妊娠出産をもっとやってほしかった。

専門家は正しいことを言うが、この分野は自分で調べ直さなければならず、負担だ。

(4)自身が妊娠適齢期だった頃、出産した人の感想が聞かれ、生まれて嬉しそうだが、内輪になると違った。「これでもう恥ずかしいということは何もない。」「私は大変だった。女は損だ。」「私はすごく大変だったのに、子供が生まれたらみんな子供のことばかりで、誰も私のこと心配してくれなかった。」「大丈夫よ」「怖い」「そんなでもなかった」

++ネット上にはもっと激しい言葉があった。一人産んだらもうこりごり、役所と病院に管理されるようだというのもあった。++

奥さんが出産してすぐの男性が女性には聞かせられないようなことがあって怒っていた。悔しそうにわなわなし続け言葉を発せられなかった後輩。都内で女性医師のみでやっている産院(個人)を探そうとしたが、情報がなく探せず知る限り1件で、医療者を選択し通せないと分かり、産める病院がなくなった方、産むのをやめた方々。産めなくなるのも大変だから、見ないよう触れないようにする。平気と思い込む。お腹の超音波検査なのに上半身を裸にしてバスタオル1枚ですますところがあると聞いた。ネット検索で驚くほどの触診が時々あるのを知り気分が悪くなった。嫌悪が勝り産む気が萎えた。

産むのは一過性という特徴があり、産んだ後は育児が大変で、振り返る余裕はなく、聞かれれば子育ての支援をと言い、お産の時の大変さは深層心理となり、何かの時に噴出するだろう。

お産は何が起こるかわからない、母と子の2つの命の安全が強調されていた。心は?

外国より多いという内診。

雑誌等で、産婦人科は女医がいいかというアンケートをとられ、技術と安全の為には男も女も関係ないと言わされる。妊娠や病気ではそりゃ安全でなきゃ怖い。女医を選ぶかと言うのも、女医の総数が少ないので選べたものではなく、~女性産婦人科医のイメージも少なく~、選ぶという回答が低いのは当然だ。私が男医は嫌でないかという聞き方をしたら、心からいいと言う人は一人もいなかった。無言5人、嫌悪を示す人6人、切れた人1人、優しそうなら別にいいが1人。前者は世の中の仕組みに従った現状の枠内の考えで、後者は本音と思う。結果を合わせると、妊娠出産や病気では、嫌でも安全重視で選んでいるが、びくびくしながら受診している。これを続けて日本の女性はどうなるのか。

~医療を自由に選択できるものではない中でのアンケートの回答より、真実は行動に出ている。受診が遅れる、受診がつらい、探せなくて放浪してる・・・。~

(5)2015年~16年に102人の女性が妊娠中から産後にかけて自殺との調査結果があった。自殺の原因は判らないが、どうやら海外よりだいぶ多いらしく、産後ホルモンバランスが崩れるとの説明だけでは納得いかない。その後の調査は聞かないが、他の年もなのか。

(6)大学病院のホームページで、医学生がお産を見学、同意してくれた女性への感謝と感動したとの記載。一方ネットでは別の病院だが、断ることはできないと説明された、断ったのに見学された、嫌で嫌でしょうがなかった、大勢の異性に。別の医学生「かわいそうだ」。産後すぐの女性がみんなの前で言いたいことがあったのに、泣いて体を支えられず言葉にならず、助産婦さんが抱きかかえ見学されたのねと言っていた。ある指導者は出産時は「そんなこと言ってられない」でしょと。抵抗できない状況なのでは? 大学病院は教育研究機関だとも。医師本位の、そこまでやる必要ないだろう見学。自己決定権の判例があり社会規範のはずだが知らないのだろう。同意には自分に何が起こるのかわからない中での同意もあり、同意などに関わらず分娩中の女性のプライバシーは守られるべきだ。お産が重くなるとか本人が大変になるという発想はあるか? 達成感を得るのは医療者でなく本人でなければならない。産後の力をそぐようなことをしてはいけない。

(7)他科もあるが、医学生にカーテンの向こうで患者の意思から切り離された人体としての秘部等を見学させていたのは、患者の意志を無視することを教えてしまい、人格形成上いかがか。医学部で教えていることは何か。

(8)女性に厳しい医療はもうやめてほしい。女性への医療のあるべき姿を心が求めたが、日本にそのイメージはなく、外国に求めるしかなかった。外国は住まないと判らないので、韓国・中国など海外へ行った人のブログ等が情報だ。産婦人科は先ず、ほとんどが女性スタッフの産婦人科専門病院で、女医がやるのが原則で、産婦人科医は、女性が若い内から検診、妊娠出産、感染症等で頼って行く職業専門家だ。開脚する脚は、日本みたいに皆の方でなく壁を向き腰回りにカバーするので、1人の目だけだし、スカートをはいて来て言われることなく自由な服装で受診していい。入院着は胸元の上まで留まり、検査衣は透けない色柄のガウン型で、背中の診察はガウン型を後ろ前にして着て、肩の診察はキャミソール型のワンピース、健康診断も穏やかな気持ちで受けられるそう。韓国は襟元の中に白い布を入れて心臓マッサージする。検査衣を着てももちろんいい加減ということはなくレベルが高いようだ。実際に行っていないのでここまでしかわからないが。 ++韓国がうらやましい。外国の人は感情というものを大切に取り扱うと聞く。日本人も学べたらいい。++

(9)今回のことも、他の科の薬と比べて、女性に厳しいと感じる。

++(10)日本では性暴力の定義に無知であるということがある。医療行為では人を裸にしないと出来ないこともあるので刑事罰をはずされるが、日本ではそのことを、医療行為ならどんどんやってよくて全て性暴力でなくなると考える人達がいる。こういうのは無知から来ると思うので説明してみる。世の中、医療の理屈だけで動いている訳ではなく、自己決定権もあれば、一般常識もあり、女性が傷つくのならば、医療行為であっても女性の心の中では性暴力だ。人を殴るのと同じである。基準は明確で、日本の女性は胸とお尻はだめだ。侵襲されれば一生苦しむ。これは絶対で心の状態のことで、他人が説得して変えさせるものでない。

性教育に水着(ビキニ)で隠れているところは人に見せない触らせないというのがあり、全医療系学校でこの性教育と、聴診、心電図、心臓超音波、AED、各種検査等々で、女性も男性も恥ずかしくないやり方を考案して教えて行ってほしい。外国はそのようだ。

一部の医療者が言った、そんなこと言って病気になったらどうするのですか?病院に行けませんよと。世間もそう考える人は多いだろう。病気になった時のことを心配し、尚且つ困るから言うのだろう。恥ずかしがってたら批判してたら病院に行けないよと持ち出したら、医療を批判することはできなくなる。批判を受け入れ、医療全体が、普段の診療や健診から、プライバシーに配慮し、優しく悔しくなくトラウマも作らなければ、いざ病気という時に本心から少しくらいならいいわという気になるのだろう。外国はそのようだ。

昔の新聞にも書いてあった「(医療の)知識も設備も持っている側が、それを権限を振るうように使ったら、そんな業界はおしまいだ」と。補うと、医療へのけん制をさせなかったら改善の道を封じることだ。その影響は測り知れない。++

3.厚労省は日本の女性は医療へのアクセスがいいと言うが制度上のことだろう。受診がこんなに辛い国はない。ジェンダーギャップ指数にも反映されない。女性の場合、男性のように、病気や健康は医師に任せると言う感じがしない。

診察衣検査衣の費用は、知らないが診療報酬に十分織り込んで要求できるようにしてほしい。

産婦人科の医療提供体制は、韓国をはじめアジアの隣国や福祉先進国の北欧やドイツをみたらどうか。体の安全ばかり追求しても心置き去りで国民はついていけない。++男女混合の周産期医療センターへ集約したらますます少子化ではないか。++

国民の医療への力関係の弱さ。ほんの1例だが、厚労省は法律に書いていないと「周知」ができなくて、例えば、特定療養環境室(差額ベッド)の通知はよく調べてあるが、患者は何も知らないから同意書にサインさせることができる。関連個所だけ健保組合の郵便で国民に「周知」し病院に示せるようにしたらいい。又、法令に「同意を得る」と書いたら、同意できる内容にするよりも、何が何でも同意を得ようとするから、自由な同意の意味から書かねばならないのかもしれない。++介護のほうだが、法令に主体性は、~は、~がで表現されているが、わざわざここでの主体は患者や利用者であるというふうに書かないと、本人抜きで連携し結果だけ伝えるなど意志をスルーされる客体のように扱ってしまう。又、「医師と患者の信頼関係のもとに」は、知識や設備を持っている医療サービス提供側が信頼されるよう努めるのが前提だが、患者は医師を信頼しなければならないことになってしまう。このままではニーズに基づく医療をやるにも、患者の権利や、産科事故を始め苦情処理機関も、医師が認めたものだけになってしまう。++

++日本の医療関連法規はガチガチに固められていて・・とコロナ国会審議で。僭越だが、法令をあまりに細かくするのはうまくなく、帰納法演繹法の資質が必要と思う。++

日本の医療は理系の人ばかりでやっていて、危ない。やっている人がひどいと言うのではない。制度の原理原則から、国がやり切れなかった足りないものがあるのだろう。++わからないだけで、教えればわかるのだと思う。医学部の勉強では人間を人体としてみることを教えているようだが、意志や気持ちは常にあって、生身の人間にこれを忘れたら、耐えがたいことになる。抽象的な生命健康の追求になってしまい、一人一人に負荷がかかっている。エビデンスに基づく医療も適用が違うと思うことがある。国民の生命健康が私の生命健康まで至りますように。++

厚労省少子化の原因に医療は関係ないとしているようだが、ここに書いたこと全てから、女性側の原因として関係ないことはなく、もう押さえつけられなくなったのだろう。少子化ばかりでなく、医療が国民の半数の女性の支えとして辛く弱い。人口減少による国力の低下と、女性の力という2つの意味で国力に関わる。改革や女医を育てるのは時間がかかるから手遅れにならない内に正しくとりかかるべきだ。大きく改革するとともに、それには自己変革もしてほしい。1つ1つのこともやって行く必要があるから、今回の事も、緊急避妊薬の薬局販売は承認するのが当然で、厚労省が積極的になり前へ進めるべきである。かつ何故遅いか考え、他に同様の問題もあるので、産婦人科医療の改革につなげるべきである。以上

(後述のもう1つの文章と2部構成です。)