hateSyoushiの日記

少子化の本当の原因って、問題は医療、産婦人科が男だからじゃない?

少子化の本当の原因は、産婦人科が男だから。これは構造問題だ。

少子化のみならず、多い人権侵害、経済の低成長も構造問題だ。戦後体制とエコノミックアニマルの発想から脱却し、失われた30年に解決できなかった問題を解決しつつ、日本を次のステップに構造変革すべきである。(一番初めの記事と2部構成です。)

Ⅰ.自分は子供の頃からずっと、「産婦人科が男だ」、「嫌だなあ」、「どうして男なの」と、男性産科医に対してではなく、そういう世の中に怒りを感じていた。その経過は前述の厚労省パブコメの意見(及び追加)に書いてある。男も嫌悪して「人権侵害だよな。」と言っていた。看護師さんはどんなことやるか知っていて、「産婦人科いやだ」と言っていた。ごく最近、テレビに珍しく女性の産婦人科医が出演しているのを見て、気持ちがすっとはいって寄りかかれるようで、いいもんだなと思った。テレビに男性の産婦人科医が登場すると、どんなに礼儀正しくても緊張感があった。自分は「産婦人科医は女の先生がいい。それも女医がやるのが原則の産婦人科病院でなきゃ行きたくない」。でも日本にはなさそうで、振り返ると、無意識に、産婦人科に行くことになるのを避ける選択を重ねていた。

 何で男がやってる?と複数の女性に聞かれ、ずっと考えてきた。パブコメには短く書いたので、こちらのⅡに詳しく書いた。1.女性産婦人科医だけでなく日本女性全体の社会進出の問題で、女性へのニーズの高い産婦人科医でさえ、仕事と家庭を両立して仕事を出来なかった国だということ、2.意外だが昔から性的に緩い慣習があった、という二方面だと考える。これを変えるには戦後の世の中の仕組みから現在までの構造を変える必要があるようだ(Ⅱ,Ⅲ)。

Ⅱ.1の概要.日本は現代でも女性の社会(職場)進出がとても遅いのは、差別が強いのではなく、昔からかなり質素な国という物質的理由が根本原因で、家事が重労働で、職場はホワイトカラーの労働生産性がかなり低く、通勤も長く、結果として体力が続かない等の理由で当の女性が出来なくて辞めて行った。仕事と家庭の両立が困難な為に女性本人が出来なかったことが大きい。政策に優先順位をつけて、制度作りや大きな道路やハコモノといった生産設備や産業を優先し、家庭に押し付けて来た色々があるようだ。住宅の性能不足、家庭に電気を使わせない、街の機能がない等々、家事はあまり楽にならなかった。これは家事育児お産などを手伝う女性を支援する職業の女性も、自分の家の暮らしで手一杯で継続就労しにくく外国と比べて育って来なかったということをも意味する。女性が家事から解放されれば、自分の家庭以外の他の家庭を助けられる女性が出てきて、女性が(産婦人科医や乳腺外科医を含めて)両立できてくる。職場の働き方や意識にも原因はあるが、意識は環境によることが大きく、両立できるように政策から変えるべきだ。患者本位の医療制度改革も重要だ。2の概要.昔から性的に緩い慣習があったようで、産婦人科に男性がはいってきやすく医療行為に歯止めがかからなかった一因と思える。

1.地理的条件、歴史、物質的理由、戦後からの流れ、日本の家事は重労働で両立出来ない。

(1)日本は今はグローバルでも、世界の東の端に位置し(極東)、地震など災害も多く、資源も少なく、食べ物もあまりとれず、地理的条件が悪くて昔からかなり質素な国だった。とても貧しいと特に女性は人身売買までされてしまう。

(2)戦争で特攻隊までやり焼け野原で、戦後すぐの状況は、かなりひどくて食べ物もなく戦争中よりも餓死者などの死者が多かったそうなので、戦後の政治は経済最優先だったろう。男性も女性も全会一致で支持したと思う。ここまで貧しいと一部の女性は性産業に行かざるを得なくなるということもある。政策に優先順位をつけて、民主的な「制度」や、物を運ぶ大きな道路等の「生産設備」を第一次に作り、中くらいの生活道路は次で、住宅は、正確には知らないが国の計画にはいっていないのかもしれない。

(3)高度経済成長、先進国の仲間入り、成功と言える。男性は企業では滅私奉公でもよく働いてくれて、男女の価値観の争いはあったが、当時の女性の望みは先ずは家計・収入で家の中を何とかしたい思いで、女性は恩を感じている。

ただ、高度経済成長は、日本の長い歴史の中では一瞬のこと、社会資本は蓄積したかというと、国や産業用で、家庭や住宅や個人まで回っていない。尚、トリクルダウンは有り余るほどの豊かさが続かないと起きないのではないか。日本は災害で持って行かれてしまうし。

暮らしに関わるほうは、見えないところで政策の優先順位が低く、家庭の仕事を少々犠牲にして産業を経済をよくするという形ではなかったかと思う。住宅の性能不足、街の機能がない、家庭に電気を使わせない(1~3段料金という設定で、電気を多く使った分は料率が高い段階に上がるのでびっくりさせて使わせない方法、産業界が優先)、暮らしに密着した厚生省は小さい役所で忙しい、といったところが私が気づいた点だ。学校も役所の手続きも病院も引っ越しも、あれもこれも忙しい。主婦は楽だと思われていたが、仕事以外の家の全部を担っていた。

この時代、企業は、妊娠出産があり家事育児介護まで担う女性より、男性を使ったほうが効率よく活動できたろう。企業は概ね差別で行動するのでなく、効率性を考えて合理的な選択をしていると思うので、偏狭な考えはあっても、女性の社会進出が遅れたのは企業に責任はあまりないと思っている。経済発展も女性の地位向上も一辺にはできなかった。働きたい女性には酷だが、時代だった。

地理的条件等がこんなに悪い国では、公害や女性の地位など負の面はあっても、そうでもしなければ発展しなかった。

この成功体験で日本は1億総中流の豊かな国と思い、自分が見えなくなったのかもしれない。

(4)男女雇用機会均等法が、バブル経済直前の1985年にできた。法律で、雇用機会は均等にすべしと認められたことはよかったが、均等法を作るだけで、女性が家庭も持って働くには、(女性への助けを)色々なことをやらなければいけないのに、しないで均等法だけ作られた。

(5)1991年から1993年頃のバブル崩壊後から最近まで、失われた30年と言われる。この時期、指摘されても解決されずに通り過ぎた問題が色々あったように記憶している。戦後体制の経済一辺倒の頭だったのか、文化や暮らしがだいぶ違う欧米を見て手本にしてしまったのかもしれない。この30年ほどを総点検したい位だ。

(6)日本は家事の内、食事作りが最も大変だ。アジアでは、家から5分位のところに屋台や商店街があったりデリバリーが発達したりして、家で食事を作らなくても済むので、日本より女性が楽に社会進出できるのではないかと聞いた。日本は食事作りが大変なために女性の社会進出が遅れているという話しがあり、自分も実感する。外国の人から日本の女性は料理できないと思われているし、日本の男性も料理をちゃんと作れるようになってから外で働いてくれと明確に言う人もいた。日本は鎖国していた時に香辛料がはいって来なかったが、香辛料は食事を劇的に変えたと、世界史の教科書に書いてあったほど大きな出来事だった。専門筋によると、どんな国でも食は完成しているが、和食は香辛料なしで完成してしまった。外国はパクパク食べられるおいしさだ。日本の肉や魚を甘くするのは臭みを感じにくくする調理法で臭みが完全にとれるわけではない。糖尿病が国民病になっているし、子供が食べなくて母親は苦労する。肝心な肉や魚の料理がなく、定番料理が多ければ楽になるのに、手を変え品を変えレシピになり重労働、外国は一皿に色々はいっているが一汁三菜は日本独自で重労働・・。食は自分達でやることで、今みんな頑張ってやっている所だと思うが、食は時間がかかるそうだ。

(7)これらの結果の1つとして、他国より際立って、家事が重労働だ(終わらない、夜中までやってる、作業環境・動線が悪い、家の付属設備が少ない、外注率が低い、家庭で使う物より、業務用の物から先に発展していく、世界一の自動車メーカーがあっても路上駐車ができなくて家の用事をちょっと足すのにも使えない、買い物もあちこちに行くし、洗濯洗剤を買うにもメーカーと種類が多すぎて迷うし品切れ多いし、外国は2つくらいのメーカーに収束して一瞬で決まる、経産省の産業の護送船団方式?)、外国人からは、どうしてそんなに大変なのと言われる、アメリカの家事は日本の何倍も楽、暮らしやすいヨーロッパ、裕福なら朝8時から家に手伝いに来てくれる人がいる、ベビーシッターの伝統、アジアはお姑さんが子供を見てくれるが日本はもううんざりだろう、等々)。又、家事は工夫すれば楽になると思ったが、工夫しても小さいことしかできなかった。住宅の性能、電気、街の機能等、大きいことをやらなければ楽にならないのだ。日本の女性は家事時間が世界一長く、男性の家事時間が短く、男性の家事分担が推奨されたが、手伝いにくくて、もとからやらなければだめだ。但しすぐにできないことなので、今は手伝うしかないけれども。

 結果、保育士やお手伝いさんを初め、家事育児を手伝うような女性を支援する職業の女性も、自分の家の暮らしで手一杯で、途中でやめて、近隣アジアと比べても、有資格者は増えても稼働できる人が少ない。外国では女性が社会進出する以前から、女性が向いていて担っていた教師とか看護師とか医師も、少なかったり続かなかったりする。夜間早朝休日まで出来る人、一切やってくれるほどのサービスまで広がっていくような発展が望めない。助産師が産後の家に派遣されても、まだ産後院とまではいかず、労力が楽になるわけではない。女性産科医の場合、小さい子がいる時に当直ができないことがネックだ思うが、夜、来てくれるほどのベビーシッターとかまで発展してほしい。

2.昔から性的に緩い慣習があったようで、民族学、中国人女子留学生の記事、韓国ドラマ等が参考になった。

大昔、日本が財力がない為に、銭湯が男女別に作れなくて混浴で、来日した外国人がびっくりしていたそうだ。三助さんと言う背中を流す職業の男性がいて、蒸し暑いせいもあるのか、どこか羞恥心が緩い場合があったようだ。現代も番台が内側に。それで産婦人科医に男性がはいってきやすかったのかもしれない。そんな時代でもお産は女性の助産婦でやっていたが。

留学生に指摘されたという記事(business insider japan)では、中国の女性は親から、自分の体を守るように、こんこんと言われると。日本女性は肩を触られても笑っているので嫌でないのかと驚いたと。嫌だという気持ちは同じだが、人の和が一番大事だという価値観だったようで、雰囲気を壊してまでノーが言いにくい。

LGBTの方が女湯を使わしてほしいと、日本女性は断ると差別にならないか悩んでいるというような状況(テレビ)。韓国への取材で「韓国は絶対です!」。日本女性も嫌だという気持ちは同じはずだが、LGBTの方を差別しないという啓発があって、それは賛成だが、着替えや入浴までは拒否できるはずなのにそのイメージがなく、どう考えていいか判らなくなっている。

日本の女性は他国のように、自分の体を守ることを親から教わっていないし、性的に侵害されるような場面で、犯罪は別だが、毅然とした態度をとることがあまりできない。この意味で女性が自分を守るということが確立していないように思う。

そういう中で社会の仕組みが作られ医療も発達、医療を学び、女性の医師、看護師、検査技師、医療ライターの中にも、羞恥心への配慮が緩い場合があり、医療の場でノーが言いにくい。

例えば、数年前の自身の経験で、個人医院のレントゲン室で、ここは誰も来ないからと女性技師さんばかりの中で言われ、着替えていたら、男性医師が何かを取りに入って来て、まだ着替えていますと叫んだが完全無視された。女性技師さんに丁寧に苦情申し上げたら、「医療従事者ですよ!」と怒られ、その男性医師にもとても礼儀正しく、更衣中に入室するのはびくつくのでやめてほしいと言ったら、これまた「医療行為!」と言われ一切聞き入れなかった。ぼかっと殴られたみたいだった。医療行為だと何なのですか?と聞いたが答えはなかった。更衣中の入室は完全に避けられたこと。医療行為ならいいのだと思われている点が嫌だった。マナーをよくするとか言ったって、この考え方の方が強い。ほかでの健康診断でも、物陰の更衣スペースすら作られず、女性が着替えているのに、レントゲン室のガラス窓の向こう側のカーテンを、異性が断りなくぱっと開けて、更衣が終わったかどうか確かめ、女性がいいと言わないのに入って来るところが多く、びくびくしながら着替えていた。どの病院へ行っても何かしらあるので、もう病院に寄り付けない。やられたことの結果である。私に責任はない。

 中国や韓国の時代劇ドラマに、医療の場で「男女の区別が厳しいゆえ」と言う場面が複数あった。医療の初期の内から、絶対権力者や宗教か儒教の強い立場で、医療を牽制してきたようで世の中の秩序になっている。日本では儒教は庶民には広まらなかったそうだ。医療を牽制するもの、女性を守るものがない。ならば「女性がノーなら性暴力ですよ」と、かんで言って含めるように言い続けるしかない。

Ⅲ.これどうやったらいいのだろう。私には原理的なことしか判らないが、こう考えて来ると、これは構造問題だ。少子化のみならず、多いと言う隠れた人権問題、虐待的な世の中、労働生産性の悪さ、経済の低成長等もだ。戦後体制とエコノミックアニマルの発想から脱却し、失われた30年に解決できなかった問題を解決しつつ、日本を次のステップに構造変革すべきである。

先ずは、日本には見えないところで権限ある立場で世の中のつまりになっていることがあると思う。つまりを取り除くことで世の中が動くのではないか。

政治は、産業や制度中心で、以前は、国の形こそ大事で国民に対しては何なのだろうと思うこともあった。暮らし(収入のことではない)に目を向け、財源については国の予算のバランスを変えるなど、構造変革すべきだ。

 少子化の底流には、人権意識の変化があると思う。表向き話せなかったプライバシーがネットでばれてきている。構造変革が、女性の家庭・育児と仕事との両立、お産のイメージの向上、医療制度改革まで行かなければ、少子化の底流は続くと思う。お産の時、女性は最も無防備だ。そこでプライバシーをはじめしっかり守られているというイメージがなければ、子孫を残す本能にも関わる。昔からあるような女性は子供を産めという感じがしたら、もうついていけない。自身は病院は押し付けて来ることを知っていたので、お産は男子禁制でなければ産まないと決めていた。選択は人それぞれであるが、自由に選択できていないと思う。

子供関連については、子育てにお金がかかるし、育児は重労働だし、国の予算の家族関係支出というのか子供関連予算が、ずっと少なかったことがあるようで、これを増やすのは、中身を考えつつだが、賛成である。ただ特に少子化対策とは思わず、今までやるべきだったことを、やっとやりだしたということで、少子化対策の第一段階ならいいと思う。更に、親の労力も考えてやってほしい。赤ちゃんが生まれた家に助産師さんを派遣することは言い様に見えるが、管理がこれ以上強まるのは今の人は嫌だろうし、親の労力を減らすものでないし、ケアプランはやる人によって能力の違いがあり、担い手の人材面から、患者主体の医療制度改革も必要だ。

 金銭給付については、永らく経済が上がらず賃金を抑えて会社等が倒れないようにしてきたので、収入不十分で結婚や子供を持てないケースは、目立つと思う。だからと言って、税での調節や金銭給付をどんどん増やす方向に行ったら、みんながそれで産むと言うわけではないし、日本には産めという発想がまだあってそれを感じる。金銭給付は常識的な範囲でいい。

結婚しないから、晩婚化だから生まれないのではなくて、産む適齢期もあるので、産みたければ結婚に向かって努力するだろう。産みたくなければ結婚はゆっくりでいい。

少子化というのは、どんな国でも、国や社会の仕組みと国民の人生があわなくなったところに基調としてでてくるという気がしている。

人権関連では、外国の人は感情というものを大切に取り扱うと、昔の新聞に書いてあった。日本人は感情的だったり感情論になったりするが、それではなく感情である。たぶん人権感覚のもとだろう。感情、感性、モノ扱い、虐待的な世の中、愛情表現、ものづくりだけでない戦略的思考・・・自分も含めて日本人も学べたらいいと思う。

経済についても、人は自分の代より子供の将来がよくなることを願って、一生懸命働くのだと聞いた。この自然の摂理が働くのならば、経済も人権も好転するのだと思っている。その入口の妊娠出産は特に大事で、育児も両立も人生も大事だ。女性に家事ばかりやらせるより、付加価値を高める労働を出来るように世の中を転換したほうが、現代は効率がいいと思う。

女性を使うためには、場合によっては女性に啓発が必要かもしれない。日本の女性は家庭でも外国の女性のような交渉能力がないと昔の新聞に書いてあったし、最近、中国の女性はもっと言うよと日本に来た中国の人が言っていた。言う力が必要だ。又、日本の女性は歴史的に権威ある立場についたことが極めて少ないが、管理や指導の立場になった場合、やり方が判らないのではと思うことがあり、医療介護保育でもその他でも感じる場合がある。

女性産科医の現状は? 準備はできているのに目詰まりがあるのでは? 女性医師だけで分娩ができる産科を、東京都でネット検索したらほぼ皆無だった。現在、産婦人科に入局する女性は男女比で過半数(まだその程度)だが、分娩をとる産科に残るのは男性が多いとのこと。今のところの理由は、分娩は24時間いつ始まるかわからなく、当直等の勤務が大変、産科事故も多いからとのこと。なり手自体も減っている。女性が開業する場合は分娩を扱わないレディースクリニック(婦人科のみ。妊婦健診あり。)が多いようだ。女性産婦人科医に支援してほしいことをよく聞いてほしい。環境・支援さえ整えば、すぐさま分娩をとるく準備はできていると感じた。能力は充分ある人達なので、支援さえ適切で充分ならば、すぐに浮上してくると思う。「産婦人科勤務医の待遇改善と女性医師の就労環境に関するアンケート調査報告」(2015年1月、(公社)日本産婦人科医会)を発見、女性医師の就労支 援は多数行われているようだが、実効性は? 構造問題であるので、現場にやらせるだけでは壁にあたるから、支援してあげてほしい。以上